「行ってらっしゃい。」と言える日々。
毎朝、翔兵が学生服を着て、家を出るようになった。普通の中学生なら当たり前の光景だが、私にしてみれば継続して登校している姿を見ていると、キツネにつままれたような気分になるときさえある。
「行ってらっしゃい。」
そう言って見送る毎日が続いているが、つぎの恐怖はゴールデンウィークである。しかし、そうなったらそうなったで仕方ない。忘れてはいけない。期待してはいけないということを。今の状態をありがたく思いつつも、その先を期待しないことにした。
しかし、ゴールデンウィークが明けても登校が継続している。そして修学旅行も行くつもりのようだ。そのためにボストンバッグや、持参するお菓子、その他の細かい物も購入した。
「服が足りなくなりそう。」
そう。修学旅行中は制服で行動する日も私服で行動する日もある。元ラプンツェルの彼は、服をほとんど持っていなかったのだ。そしてイザ、買いに行ってみるとラプンツェル期のころと変わらず黒ばかり選ぶ。パンツも、Tシャツも、パーカーも黒。私も黒は好きだが、上下とも黒という、不審者も顔負けのその真っ黒なコーディネートに心理的な問題を感じてしまう。学生服が上下真っ黒なのは不自然ではないが、私服が上下真っ黒というのはかなり目立つ。まあいい。ここでとやかく言うのは有効とは思えない。不審者のような恰好だろうが、修学旅行に行こうとしている気持ちが優先である。そうは言ってもパーカーの中に着るTシャツは黒も買ってやったが、「アクセントがあったほうが良いよ。」と提案して、一枚は濃いグレーのものを買うことを了承した。
出発の前日には大きなボストンバッグを宿泊先のホテルに送るとのことで、通常の授業の用意のほかに、ボストンバッグを持って登校していった。
そして迎えた修学旅行当日。睡眠障害の名残がまだ少しはある彼が、朝きちんと起きられるんだろうか?いやいや、期待しちゃいけない。しかし、時間になったら起こすことだけはしよう。行くか止めるかは、それからである。そして、忘れるな、私!
『期待しちゃいけない!!!』
朝の支度や洗濯をしながら時計をチラ見する。普通なら自分で起きられる年齢ではあるが、まだ今の彼には自分で起きるということをさせることはしなくても良いとジャッジして、場合によってはこちらから起こすようにしている。
「翔兵~!」
部屋のドアをノックすると勢いよく起きてきた。よかった。起きただけで充分である。突然「やっぱり行かない」などと言い出しても仕方ない。その時はその時だ。無理やり行かせることはするまい。
そう思っているうちに朝食を済ませ、私服に着替えて支度をしている。おお。これは本当に行く気だな。
時間が来た。駅まで歩かせても良いが、心配だから送って行くことにした。
駅のロータリーに着くと、翔兵は小さな荷物を持って、ためらうことなく車から降りて行った。
「ありがとう。行ってきます。」
小さな声で言う翔兵に私は言った。
「行ってらっしゃい!」
行ってらっしゃい。楽しんできてね。




