璃子について。
「頭が痛い。クラクラする。熱も少しあるの。休みたい。」
璃子が朝になると頻繁に言うようになった。
実は翔兵が入院した頃から、妹である璃子が学校にあまり行けなくなっていた。当時六年生だった彼女は中学への不安から自律神経が乱れ始め、検査を受けたこともあった。結果は血液、尿、レントゲンいずれも異常なし。この場合、それ以上の検査はよほどの事情がない限り、行われない。そして神経性、またはメンタルが要因だという診断が下される。不調の状態は違えど、翔兵のときと同じである。
朝から璃子を連れて翔兵のところへ行ったことも何度かあった。
「お前、学校ねーのかよ?」
翔兵の入院している病院で外来で受診するために一緒に連れて行ったのだ。外来の受付を済ませてから病室に顔を出すといつも翔兵に言われていた。
「不登校はきょうだいにも出ることが多いよ。」
不登校つながりの友人から言われたことがあるが、まさにそのとおりかもしれない。翔兵が落ち着いてきて、ガクッと来たのかもしれない。それまでの彼女は、ずっと私と一緒になって気を遣ってきたのだから。
あまり登校できないまま中学校生活がスタートし、今度はクラスに苦手な子がいると、彼女の五月雨登校は加速されていった。
「あいつ、何やってんだよ。」
翔兵が璃子のことを言うようになった。少し前までの自身を棚に上げてよく言えたものだ。
「今の璃子の気持ちを一番わかってあげられるのは翔兵なんじゃないかな。」
よく言えたものだ、と言いたい気持ちを飲み込んでそう一言だけ言うと、翔兵はそれ以上は言わなかった。
学校嫌いだった私が言うのもおかしいが、ここまで頻繁に休むことは私にはできなかった。親がそれを許さなかったということもあるが、やはり休むことに罪悪感があったからだ。
そうこうしているうちに、入学当初は中の上だった成績も見事に下がり、このままでは高校は無理だろうというところにまで行ってしまった。精神的にも不安定になり、反抗期と重なって、不安定な日々が続いた。
一年生の終わり頃に「このままではいけない」と気持ちを切り替えて欠席を減らすようになるまでの間の約一年間、璃子はずっとこんな調子だった。
しかし、不登校だけはしたくないということはずっと言っていた。兄の翔兵が泣きながら勉強をしていたのを見て、大変さをわかっていたのだろう。
私はといえば、「翔兵の次は璃子かよ…。」と気持ちが落ち込み、何年もやめていたタバコが再発。失声症や動悸もたびたび起こり、円形脱毛症にもなった。璃子にしてみれば、兄の真似をしても良いと思っているわけでも、別に私を困らせるつもりもなく、嘘をついているわけでもなさそうだったが、私にしてみれば、これ以上の対応には限界を感じていた。




