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長い道のりのうちの一部。

翔兵は小学四年生後半から中学二年生終了までの四年半を五月雨登校と不登校で過ごした。

本人の中にもかなりの葛藤があったが、見守る私たち家族にも大きな不安を投げかけた時間だ。しかし人生という長い道のりの中、これはほんの一部分にすぎない。

元気になって過ごすようになって一年半が経ち、今でこそそのように思えるが、当時はほんの一部分だなどと思えなかったし、終わりのない出口のない迷路にいるとしか思えなかった。そして今でも、実はいつ再発するのではとヒヤヒヤする気持ちがあることも否めないのだ。

このまま元気に過ごしてくれれば、このタイトルとおり「いつか笑い話に」なる。それを願わずにはいられない。

ただ変わったのは、エリート街道を走ることを私が望まなくなったこと。何も言わなくても感受性の強い彼は無言のプレッシャーとして感じ取っていたことだろう。当時の私は、とにかく学校へ行ってほしいとばかり願っていた。学校へ行けばそれで済むという問題ではないということに気づいていなかったのだ。

そして現在は元気になることで学校に行くようになった。

「学校へ行く」という結論は同じだが、本人が元気であるということは無視できないのだ。


不登校ということは、学校へ行かないという、そのままのことだが、よくよく考えると、学校へ行っていないというだけで、特に悪いことはしていない。ましてや私たち家族に迷惑をかけてやろうと思っているわけではないのだ。

また折にふれて書いていくつもりだが、学校側というのは、特に小学校というのは、意地でも登校させたがる。そのために私は当時の担任とやりあったし、意地になりすぎた担任がストーカーのように電話してきたり、会議室に閉じ込められて暴言を投げつけられたこともあった。あまりにひどくて教育委員会や議員さんにまで助けを求めたこともあった。あそこまで意地になられると、自分の立場しか考えていないのではないかと不信感が募った。

何よりも、本人の体調を無視してまで登校させたがるのだから。

このことで、本人の問題とは別の場所で大人同士のいさかいが起きてしまっていたのだ。


実のところ、この問題で私はずいぶん傷ついたし、メンタルもかなりダメージを受けた。この苦しかった時間は、私が変わるための時間でもあったと、今なら言える。私の人生の中でも、この時間はほんの一部分である。

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