表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

一章:3  『最凶最悪の女王候補』

 一週間前。

 中国内陸部のある都市。



 「……なに、これは?」

 しばらく言葉を失っていた一人の女性――ユアンは呆然としたまま白い吐息を漏らす。

 目の前に白く凍てついた景色が広がっていた。

 時折吹き抜ける冷風が、彼女の長い三つ編みをはためかせる。

 そこには彼女の知る景色はなかった。

 季節は春。

 冬でも比較的温暖な気候に恵まれた土地だ。

 近隣には農村地帯が広がり、苗が植えられた田畑に緑が揺れていた。

 周囲の山々の木々には若葉が生い茂り、青々とした美しい景色を湛えていた。

 暖かくなった街では人々の活気が増し、ビルが並ぶ繁華街は喧騒に満ちていた。

 

 その全てが真っ白な霜に覆われ、深い霧の海に沈んでいた。


 霜が潰れる音を響かせながら、道なりにゆっくりと歩いていく。

 右を見ても、左を見ても、視界に映る光景は地獄の底のようだった。

 彫刻のように凍りついた、夥しい数の遺体。

 その身体には皮膚を突き破った血の結晶が、花のように咲いている。

 寄生植物に侵されたような、気色の悪い有様だった。

 そして、道端に無造作に転がった自動車やバイクの数々。

 エンジン部分から立ち上る蒸気が、少し前まで人を乗せて走っていた事を物語っていた。

 ふと、空を見上げる。

 分厚い鉛色の雲から真珠の欠片のような氷が、ハラハラと舞い落ちていた。

「……まるで映画のようね。世界が終わった後みたい」

 フッと鼻で笑ってしまった。

 天変地異でも起こらない限り、こんな現象が起こるはずがない。

 あまりにも不自然すぎる。

 何もかもが。

 

 ユアンの足が止まる。

 視線の先に浮かび上がる、墨滴の漆黒と紅。

 白銀の景色を染めたのは、女性の長い髪とドレスだった。

 霧のベールの向こう側に映るその姿に、ユアンは目を見開く。

 そこにはユアンのよく知る友人が立っていた。

 だが、佇まいがユアンの知る彼女とまるで違う。

 更にその身に纏った金糸で刺繍を施した真紅のドレスに、頭には見たことのある白銀のティアラ。

 色こそ違っているが、あの姿は――

「……誰、あなたは?」

 眉をひそめたユアンに、女は口角を釣り上げる。

「私は金蓮チンレンと申します。お目にかかれて光栄ですわ、ユアン様」

 ドレスの裾を摘み、うやうやしく頭を下げてみせた。

「どうして私の名前を?」

「あら、我々の界隈では有名でしょ? 《七聖大》の称号を冠する御一人なのですから」

 金蓮はおどけた口調で肩をすくめる。

「我らが女王陛下直属の七大吸血鬼の一人。二つ名は颶風公主(竜巻姫)。支配領域は東アジア及び東南アジア全域。子供でも知っていますわ」

「……それで?」

「なら、これが何か分かりますよね?」

 金蓮が長細いカードを取り出し、その絵柄をユアンに見せつける。

 王冠を被った蛇と翼を持つ竜が八の字を描いて互いの尾を噛む図柄を背景に、太陽と月を上下に従えた大樹が描かれていた。

 太陽に這った十本の根は、絡み合う三本の幹となり、月影へ向かって伸びる梢が複雑に絡み合っている。

「……それは、月皇聖帝のシンボル。女王候補者の証」

「流石、話が早くて助かりますわ」

 わずかに目を見開いたユアンへ嘲笑を滲ませる。

「その女王候補者が何の用かしら? あなたが向かうべき相手は、私ではないはずでしょう?」

「ええ、その通りです。ただ、この女王を選別する戦いが始まったものの、分からない事が多いのですよ。分かっている事は二つ。一つは、私と同じ候補者が全部で十四人いる事。もう一つは、生き残った最後の一人が次の女王の座を継ぐという事。これだけじゃ、どう動いていいのやら。だから――」

 空気を切り裂く音が響く。

 ユアンは己の首筋に冷たいものを感じた。

 一瞬の間に目の前に現れていた金蓮が、巨大な斬首刀を押し付けていた。

「教えなさい。この月皇聖戦に関する、知りうる限りの全てを」

「……」

 刀身だけで二メートルは超えるだろうか。肉厚の刃は人間の身体など、小枝を削ぎ落すがごとく無造作に切り裂けるだろう。

 その鈍い輝きから、余裕を滲ませる金蓮へ視線を移す。

「一つ、聞きたい事があるわ」

「なにかしら?」

 自身の優位を確信しているからだろうか、嘲り混じりの表情のままの金蓮が首を傾げる。

「この惨状は、あなたの仕業かしら?」

「それが何か?」

「なら、それが女王陛下の意向に反しているのは、理解してるのかしら?」

 現女王は人間との無用な衝突を忌避している。

 金蓮はユアンを誘き出すために、ユアンの支配域直下の一都市を潰した。

 女王候補者は一種の治外法権が与えられ、多少の無茶は許される。

 だが、金蓮の行為は度を超え過ぎていた。

「――くっ、クックックック……」

 金蓮は喉の奥で込み上がる笑い声を押し殺し、ニタリと心底ユアンを馬鹿にした笑みを向けた。

「何を言うのかと思えば、そんなくだらない事を気にしていたの? 人間なんて七十億はいるのよ。たかだか、二万、三万が死んだところで、どうしたっていうの?」

「……私も、随分舐められたものね」

 ユアンの顔から表情が消えた。

 空気が渦巻き始め、遠くから雷鳴が響いてくる。

 鉛色の雲が土石流に飲み込まれるように真っ黒な雷雲に染まり、空から氷の粒がポツポツと降り始めた。

「――そう。何も言わないつもりなら、それでも構わないわ。素直になれば、余計な痛みを感じずに済んだものを」

 ユアンの妖力が高まってゆくのに呼応して、天候が荒れ狂い始めていた。

 臨戦態勢に移ったユアンへ、金蓮はひときわ大きな嘲笑を浮かべる。

 それを幕切れに、二人の間で暴風が爆ぜた。

 金蓮が吹き飛ぶのと同時に、霰が滝のように降り注いだ。




 中国内陸部のとある都市が消滅した。

 その一報はすぐに女王の耳に入った。

「それで、詳しい状況は?」

 檀上の椅子に座る女王は、ユアンの地区から派遣された大使に声をかけた。

 静かな語りかけだったが、大使は鉄の塊を喉に押し込まれたように声が出なくなった。

 その言葉と態度の奥には、押し込めきれない鬼気が滲み出していたからだ。

 普段の物静かで穏やかな姿しか知らない彼女は、そのギャップに身がすくんで顔を上げることも出来なかった。

 だが、このまま黙っていては、山を背負わされているような途方もない重圧に身体が持たないと、脳の奥から恐怖の悲鳴が上がった。

 カラカラに乾いた口を開き、唇を震わせながら状況を話し始めた。

 かつての面影もなく変形した、数十キロに及ぶ大地。

 戦禍の爪痕。

 未だ消息が掴めないユアン。

 詳細を聞き終えた女王は深い溜め息をついた。

「それから……もう一つ気になる情報があります。現場から一番近い軍事基地で、全ての兵士が忽然と姿を消したそうです。先の報告の件も含め、中央政府は箝口令を敷いているそうですが……」

「――状況は分かりました。下がりなさい」

 頭を下げた大使は足早に玉座から去っていった。

「……さて、どうしたものかしらね」

 大使の足音も聞こえなくなった頃、女王は誰ともなしに呟いた。

 彼女の統治以来感じたことのなかった巨大な妖力の衝突を、遠くから感じ取っていた。

 ユアンは強い。

 彼女の実力は数多の吸血鬼の中でも最上級に位置する。

 その実力を買っているからこそ、七聖大に抜擢していた。

 その彼女を倒せる相手となると、その候補は自然と限られてくる。

 もし、騒ぎを起こした元凶が女王候補者だとしたら……。

 後ろに垂らした床につくほどの髪が、さざ波のように揺れ動く。

 再び溜め息をつき、額に手を当てた。

 白金のティアラを載せた、ネイビーのドレス姿。

 それは、あの金蓮の衣装とそっくりであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ