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深夜の異世界散歩

 墨汁を流したような漆黒の空は、一面が(まばゆ)いばかりの星に覆われていた。

 夜空の隅々にまで()き散らされた、鮮やかな光の砂々の中心には、巨大な真円の月が浮かんでいる。

 天から降り注ぐ煌々(こうこう)とした月と星の光に、静寂に包まれた殺風景な(やしろ)は、透明感のある薄明りに満たされていた。


 今にも落ちてきそうな満月を、破れた屋根の隙間から見上げていた俺は、固い床の上で寝返りを打つ。

 早めの就寝から、体感にして小一時間程。

 疲れ果て、くたびれ切っていたはずの俺は、未だに微睡(まどろ)みさえもできずにいた。


 汚れを(はた)き落としただけの衣服は、お世辞にも肌触りはよろしくない。

 また、寝場所として与えられたボロボロの小屋にも寝具はなく、直に横へとなった板の寝床は、寝心地も最悪としか言いようがなかった。


 横へと体を倒した俺は、少し間をおいて立つ、もうひとつの小屋に目を留める。

 こちらと同じく吹き抜けとなったその中では、玄月が柱を背もたれにして眠っているのが見えた。

 

 転生者と呼ばれる彼の正体について、トヨは夕飯の途中で明かそうとした。

 何故か得意気な調子による彼女の説明を、口中の豆を苦々しく噛み締めていた俺は、やんわりと拒絶した。

 自慢ではないが、俺は日本史のテストは常に赤点だった。

 故に、歴史上の人物である戦国武将の名前を聞いたところで、俺にとっては何の意味もないのは明白だった。


 何より、本人も俺に本当の名前を知られるのを、露骨に忌避(きひ)していた。

 そんな、あからさまに嫌悪感を示し、距離を置こうとしている相手を知りたいと思える程、俺は寛容(かんよう)な心の持ち主ではなかった。


 傍目(はため)にも寝苦しそうな姿勢ではあるが、どうやら彼は熟睡しているらしい。

 耳鳴りがする程の静寂に包まれる(やしろ)を、やおら体を起こした俺は見渡す。

 トヨも既に眠りについたのか、照明の消えた本殿もひっそりと静まり返っている。

 他の面子(めんつ)が寝静まっているのを確かめた俺は、ゆっくりと立ち上がると、抜き足差し足でその場を離れ、社と繋がった石階段を早足で駆け下りていった。


 別に、本当に夜逃げをするつもりはない。

 ただ、頭の中を思考と感情が一緒くたになって渦巻く中、じっと横になって静かにしているのは、どうしても(しょう)に合わなかった。

 

 山の下に伸びる道路からは、満天の星空にも負けない、煌々(こうこう)とした光を帯びた街の景色が見通せた。

 トヨが央都(おうと)と呼んでいた異界の大都市に、俺は何の気なしに足を向けた。

 目的や理由は、特にない。

 トヨの社がある山の周りは閑散(かんさん)として、闇も深く散歩には向かない。

 なので、適当に時間を潰すにしても、そこぐらいしか良さげな場所がなかったのだった。


 誘蛾灯(ゆうがとう)()かれる羽虫みたく、俺は夜の底に輝く不夜城(ふやじょう)を目指す。

 月明かりに照らされた夜道を黙々と進んでいくと、やがて行く手から(ざわ)めきが聞こえてきた。

 大勢の人の声らしいその喧噪(けんそう)辿(たど)っていくと、そこには日本庭園らしき公園があった。


 見渡す限りに広がる庭園は、夜更(よふ)けの散策へと洒落込(しゃれこ)む異界の人々で溢れていた。

 彼らを照らす数えきれない提灯(ちょうちん)は、頭上へと張り巡らされた縄へと吊るされている。

 夜空を縦横無尽に走るその線は、間隔をおいて立つ松の巨木を(むす)んでいたが、それらは何故か緩やかな速度で互いに離れたり近付いたりしていた。

 

 庭園は数えきれない錦鯉(にしきごい)が群れとなって泳ぐ、底の浅い広大な池があった。

 そこには松の植えられた小島が幾つも浮かべられており、その足場は人々を乗せたままゆっくりと移動している。

 それらの島の端を良く見ると、毛のない肌をした太い足と頭が水面越しに映っている。

 驚くべきことに、池にある浮島の幾つかは、怪獣のように巨大な亀の甲羅を代用していた。


 のっぺりとした顔でこちらを見上げる、両生類特有の扁平(へんぺい)な頭に、俺は鳥肌を立てつつ池の傍から離れる。

 綺麗に刈り込まれた植木が点在する広場には、砂利の敷かれた通り沿いに数々の露店が並んでいる。

 その内の数軒は串物を売っているらしく、肉とタレの(こう)ばしい匂いが煙に混ざって漂っている。

 満足に食事をしていなかった俺にとって、それはあまりにも魅力的で、あまりにも耐え難い拷問でしかなかった。


「ねぇ良いじゃん、ちょっと遊ぼうよ。大丈夫だって、怖い事なんてしないからさぁ」


 空腹に眩暈(めまい)さえも覚えながら歩いていた俺は、ふと粘着質な響きの声を耳にする。

 見ると、人通りから脇に()れた木立の陰で、背の高い三人の男が一塊になって立っている。

 互いに肩を寄せて陣を組む彼らの間には、暗がりで陰となって良く見えないが、線の細い女性らしき人影が覗いていた。


「そそ、俺達はただ、お話したいだけなんだからさ。別に減るもんじゃないし、問題ないよね? ね?」

「てか、君もさっきからずっと黙ってるけど、こんな時間に、こんな所を一人で歩いてるなんて、つまりはそういうことなんだろ? だったら、お高くとまってなんかないで、もっと素直になろうぜ?」


 彼らは浮ついた猫撫で声で、取り囲んだ相手へと口々に語りかけている。

 

 この世界にも、ナンパはあるのか。

 思い掛けず知った新事実に若干の驚きを覚えつつ、俺は急ぎ足で彼らの近くから離れる。

 誰も見知った人のいない、何処(どこ)かも分からない場所で、余計な面倒事に巻き込まれるのは絶対にお断りだった。


(にぎ)わう通りを(しばら)く進み、俺はそれとなく後ろを(かえり)みる。

 例の三人組は変わらず、捕えた女性の籠絡(ろうらく)(きょう)じている。

 彼らの立ち位置も心なしか、人気(ひとけ)のない物陰の方へと移っているようだった。

 

 路地の中央で足を止めた俺は、苦虫を噛み潰しながら頭を掻き乱す。

 やがて、苛立ち混じりの溜息を吐き捨て、俺は元来た道を駆け足で引き返した。


 途中、咳払いをして喉の調子を整えつつ、俺は通りの端に(たむろ)する男達へと駆け寄る。

 そして、咄嗟(とっさ)(つくろ)った作り声で、彼らへと陽気な口調で話しかけた。


「なんだ、ここにいたのかユキハ! 全然見付からないと思ったら、こんな所で迷子になってたのかよ! あっちで皆も、すっかり待ちくたびれるぞ」


 突然に背後から起こった親し気な声に、男達は弾かれたように後ろを振り向く。

 驚きの表情でこちらを凝視する若い男達の中には、先端が黒く湿った長い鼻や、異様に毛深い顔を持った者も含まれている。

 さながら獣人めいたその風貌(ふうぼう)に面食らいつつ、どうにか俺は動揺を抑え、彼らを大げさなまでに不思議そうな目付きで見回す。


「うん、この人達は? もしかして、お前の友人か? なんだ水臭い、俺達にも紹介してくれよ!」

「あ、いや……彼女にはちょっと、あの、話をしてただけで―――― 」

「ふぅん、そうか。じゃあ悪いけど、もう連れて行かせてもらうぜ。早く戻らないと、俺があいつらに叩きのめされちまうからな。さっ、早く行くぞ、ユキハ」


 当惑する青年達を適当に(さば)き、俺はしどろもどろに答えていた相手越しに少女の手を取る。

 特に抵抗もしない彼女を俺は引き連れ、茫然として立ち尽くす軟派野郎共の前から駆け足で離れた。

 

 先にあった曲がり角を越え、密度の低い人の波に乗って通りを進む。

 時間を見計(みはか)らって後ろを確認するが、あの男達らしき姿は見当たらなかった。

 どうやら、彼らを上手く()けたらしい。

 思い付きの策の成功を確信した俺は、足を止めて安堵(あんど)の息を()く。

 続いて、手を繋いだままの相手に目を移し、あの男達が必死になって食らい付くのも無理はないと、ふとそう思った。


 白を基調にした色合いの着物姿をしていた彼女は、俺とさほど変わらない年頃に見えた。

 綺麗な(つや)めきを帯びた長髪に囲まれた顔は端正で、目鼻立ちも細い輪郭の中で、理想的な位置へと収まっている。

 思いもかけず直面した美貌に、俺は思わず息を忘れて見入る。

 そんな中、彼女は細い眉を上げると、薄い笑みを浮かべながら小首を(かし)げた。


「ねぇ、聞いても良い? ユキハって、いったい誰なのかしら?」


 自分へと向けられた(わざ)とらしい含み笑いに、俺はハッとして我に返る。

 握っていた細く長い指を放した俺は、決まり悪さを覚えながら、相手の顔から視線を剥がす。


「済まない、人違いだったみたいだ。邪魔をしたな」


 俺は平坦な声で謝りを入れ、彼女の前から早足で離れる。

 成り行きから関わってしまった面倒が(こじ)れる前に、さっさとこの場から退散するべきだと、俺の第六感が声高にそう告げていた。

 

 自分の愚かしいまでのお人好(ひとよ)しさに幻滅しながら、俺は自然と荒くなった足取りで道を進む。

 そんな俺の背中に、静かながら良く通る声が覆い(かぶ)さってきた。


「あら、名前も言わずに立ち去るなんて格好良い。前の世界であなたみたいな、素敵な男の人に出会えなかったのは残念だわ」


 その何気ない(つぶや)きに、俺は(つまづ)くように足を止める。

 耳にした言葉の内容を反芻(はんすう)した俺は、愕然として半身を返す。

 衝撃から凍り付く俺に、白服の少女は思わせ振りな、訳知りの微笑(ほほえ)みを向けていた。


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