飛び散る火花
洗面器から掬った水を、勢い良く顔面へとぶつける。
冷たい水滴が鼻先から垂れるのを感じながら、俺は洗面台に腕を突いた姿勢で溜息を漏らす。
打ち合わせが終った後、俺はいろりをトヨに任せて、共同の男性用トイレへと下がっていた。
和風な室内装飾の施された洗面スペースには、絶えず水を流し続ける竹筒の蛇口と、それを受ける底の浅い木桶がズラリと並んでいた。
滾々と湧き出す流水で、俺は何度も繰り返し顔を洗う。
その甲斐もあって、肌の熱が奪い去られる頃には、俺のゴチャゴチャとしていた頭もだいぶ冷静さを取り戻していた。
俺を組座戦の最後に回すと、トヨから伝えられた時。
俺の胸には自分でもどう表現して良いか分からない、怒りと喜びと困惑と悲しみが混ざり合ったみたいな、奇妙な感情が湧き起っていた。
彼女の判断はとても合理的で、筋が通っていた。
メンバーをそれぞれの特性を元に、なるべくリスクの少ない競技へと割り当てる。
更には、黒星が先行する危険性を少しでも下げるため、実戦経験の少ない俺を最終試合へと置く。
それらは、限られた戦力で強大な敵に立ち向かうために必要な、最も有効で効果的な策だった。
そう頭では理解していながらも、俺の心は、素直にその結論を受け入れようとはしなかった。
そもそも、この組座戦が行われる流れになったのは、俺の言動が発端だった。
なのに、その原因で元凶な張本人が、お荷物そのものとして扱われている事実に、俺の気持ちは自然とささくれだってしまっていた。
別に、トヨへと怒っているのではない。
無謀な戦いを、碌な考えもなしに勝手に引き受けておきながら、本番ではただの足枷となっている。
そんな重荷と化してしまっている自分自身が、俺はどうしようもなく情けなく、恥ずかしかったのだった。
確かに、俺は創生者としての力を、ある程度使えるようにはなっている。
だが、トヨはそんな俺を、組み合わせの最後尾へと配置した。
それはつまり、俺の異能が未だに力足らずであるか、もしくは、俺自身の技術が追い付いておらず、彼女の信用に足りないということに他ならなかった。
自分が犯した過ちの責任は、自らの手で挽回したい。
しかし、そのために最も望ましいのは、自分が試合に出ないことである。
そんな矛盾に満ちたダブルバインドな状況に、俺は胸の片隅に暗い残り火を灯したまま、ひとまず控え室に戻るべく踵を返した。
濡れた頬を袖口で拭いながら、洗面台のある部屋から出る。
そこで、俺はちょうど中へと入ってきた相手と、正面から鉢合わせになった。
俺は小声で謝りを入れ、左へと体を移す。
道を開ける俺へと、対面の相手は右腕を掲げる。
礼を告げるかのように上げられたその腕は、擦れ違いざまに俺の喉元へと、鋭く短い軌道を描いて叩き付けられた。
予期しようのない、突然の強烈なエルボーに、俺は激しく視界を揺らしながら後方へと飛ばされる。
宙を舞った俺の体は、背後にあった仕切りの壁へと激突する。
木の板が砕け、凹む感触を背骨で感じながら、俺は床へと崩れ落ちた。
創生者となった俺の体は、ちょっとやそっとでは動じない程、頑強となっていた。
そんな俺が、喉仏が潰れたような激痛に悶え、息もままならない状態へと陥る程に、その不意打ちは凄まじい威力を伴っていた。
「あっはは、悪ぃ悪ぃ。つい、腕がぶつかっちまったみてぇだ。怪我は、まあ、あの程度でしてる訳なんかないよな? なぁ?」
蹲ったまま身動きが取れない俺に、ゆったりと歩み寄ってきた相手は、緊迫感のまるでない口調で尋ねる。
頭上から降る軽薄な声に、俺は激しく咳き込みながら、震えるように視線を上げる。
そこには、こちらを薄笑いからの半眼で睨め降ろす、俺と同じ齢の頃の男が立っていた。
俺を殴り飛ばした右手は、こちらの世界では見た事のない、ストレートの鮮やかな金髪を掻いている。
急に現れ、何の脈絡もなく攻撃を仕掛けてきた相手を、俺は茫然として見上げる。
狐に摘ままれたまま言葉を失う俺に、金髪の男は業とらしく驚いた様子で、両目を見開く。
「おやぁ? 良く見たらお前、トヨオゲの所の奴じゃねぇか? ええっと、確か創生者で、名前はムッツリとかナントカ……とにかく、家の組頭サマの挑発にバカ正直に乗っちまって、自分とこの組座をピンチにさせちまった自爆野郎だったな」
嘲笑を帯びたその独り言に、俺はチャラい風貌をした彼が、あのワカメ頭の一味であると知った。
俺は怒りの声を上げようとするが、痙攣した喉は上手く動かない。
辛うじて吐き気を堪えるしかない俺に、金髪の男はグッと顔を寄せ、低く抑えた声音で囁きかける。
「何にしても、良い暇潰しを作ってくれてサンキューな。ま、俺が出るとしても最後の試合だから、直接やってやれる機会はないだろうけど。ま、何にしても頑張って、観客の皆さんを楽しませてくれよ。こっちはせっかく早起きまでしたってのに、あっさり終わられたらクソつまらねぇし。そんじゃ、また後でな~」
嫌味な物言いでそう告げた彼は、親し気にポンと俺の肩を叩く。
そのまま金髪の男は腰を上げると、ひらひらと右の手を振りながら立ち去っていった。
遂にトイレを利用することはなかった相手の背を、俺は陰へと消えるまで視線で追う。
独り、誰も居ない通路へと取り残された俺は、脂汗の滲む顔へと笑みを浮かべる。
この時、俺は玄月か百萌のどちらかが引き分けになって、是非とも俺まで出番を回して欲しいと、心からそう願った。




