得する女、損する男
打つ手が分からない状況に、俺が走馬灯を見かけた刹那。
突然、温かな日差しに満たされた森には不釣り合いな、本物の寒気を催す、凄まじい冷気が俺の肌を刺した。
広場を吹き抜けた霰混じりの冷風は、倒れ伏す俺を真横から包み込む。
叩き付ける吹雪のような一陣の風に、俺の右半身は痛い程の冷たさに覆われていく。
しかし、そんな俺よりも大きな被害を受けたのは、五本脚の付喪の方だった。
直撃した凍える疾風に、俺の眼前には瞬く間に横へと氷が重なっていく。
広がった白い氷の塊は、俺が少し前に目にしていた、五本脚の付喪の形を浮き彫りにしていた。
強烈な勢いで吹き付け、体表や関節部を固めていく薄氷に、透明なシルエットの怪物は明らかな動揺を示している。
不意打ちから敵の動きを阻害する雪風に、俺は半目でその発生場所を見やる。
予想通りというか、当然というか、少し離れた広場の端には、玄月がこちらへと左の掌を向けて立っていた。
能力による牽制の最中、彼は白い波動越しに俺を鋭く睨み返す。
自身の攻撃よりも冷たい眼差しを送る相手に、俺はその無言が示すところを察して苦笑を漏らす。
言葉に頼らず意志疎通を行う俺に、半分以上は氷漬けとなった付喪は、再度鉄の爪を振り降ろす。
だが、動作も緩慢になり、姿もほとんど丸見えとなった脚は、見極めも非常に容易かった。
俺は霜の降りた地面の上を横転し、繰り出された二本の爪をやり過ごす。
回避に成功した俺は、棒立ちとなっている敵の真横へと立ち上がる。
そして、相手へと次の行動に移る時間を与えず、瞬時に気と力を再補充した右腕を突き出した。
最大限の気力を込めた拳は、標的からだいぶ距離を置いた所で止まる。
俺はその右手を素早く開き、自身に潜む『三つ目の腕』を動かす。
直後、俺の右腕から放たれた無色の波動は、半凍結状態の付喪へと圧し掛かり、そのまま一気に押し潰した。
創生者としての先輩であるサクラとの、一夜漬けでの特訓。
そこでの一番の成果は、俺が持つ特異的な能力が、「対象へと瞬間的に凄まじい圧力を加える」ものであると判明したことだった。
もはや、自分の力であるとは信じがたい、アニメかマンガの登場人物めいた異能に、俺も初めは戸惑った。
それでも、サクラの指導の元で、俺はどうにかその奇妙な力の使い方を覚えていった。
そして遂には、自分より二回り以上大きく、強靭な鋼の装甲を持つ怪物を、一撃で粉砕することさえも今では可能になっていた。
直上より襲来した、見えざる圧倒的な力の前に、怪物の透明な肉体は耳障りな破砕音の悲鳴を上げる。
不可視のベールが剥がされた胴体は、表面に大小様々な亀裂が走り、関節部などが歪に捻じ曲げられるなど、無惨な姿へとなり果てていた。
不可解な攻撃を行った眼前の敵へと、相手は最後の抵抗とばかりに一本の脚を振り翳す。
だが、深く傷付いたそれは、虚しく俺の右斜め前の地面へと突き立てられる。
続け様に、氷に覆われていた胴体部も傾ぐように崩れ落ち、五本脚の付喪は沈黙した。
活力の消失した相手の体からは透明さも失われ、痛々しく半壊した脚部や胴体を晒している。
絶命したと思しき討伐対象に、俺はふと、どこか奇妙な違和感を覚える。
だが、その原因を見定めるよりも先に、決着を見届けたトヨが歓声を上げながら、こちらへと駆け寄ってきた。
「やったじゃない、陸海!! 一時はどうなることかと思ったけど、玄月の援護が間に合って本当に助かったわ! それにしてもあなた、あんな凄い技を使えるようになってたのなら、先に教えときなさいよね! ま、何にしても、これで造図面は無事に獲得ね! さあ、早くそいつに止めを刺して!」
付喪を回り込むようにして俺の横についた彼女は、その場で小さく跳びはねながら、満面の笑みで指示を下す。
トドメが必要ということは、まだこいつは息絶えてはいないのか。
予想外の言葉に、俺が彼女へとその真意を尋ねようとした時。
本来の静寂が戻っていた森へと、俺が昏倒した直前に耳にしたの同じ、激しい風切り音が鳴り響いた。
突然に辺りへと木霊する奇怪な音に、トヨは冷や水を浴びせられたようにビクリと肩を震わせる。
前触れのない異変へと面食らう彼女を横に、俺はそれがすぐ背後から発せられているのに気付く。
同時に、倒れた五本脚の付喪に感じた違和感の正体を理解した俺は、トヨを体当たりから組み伏せる。
刹那、地面へと倒れた俺達の頭上を、殺意を帯びた鋭利な旋風が切り裂いた。
凍り付くトヨに覆い被さったまま、俺は不意打ちが飛来した方向へと目を向ける。
そこには、中空で身を躍らせながら引き返していく、黒く長い一本の紐。
そして、それを臀部の先へと繋げ、背後へと生やした半透明の羽をはためかせて滞空する、五本脚の付喪の半透明な胴体があった。
玄月が凍らせ、俺が押し潰した相手には、巨大な二つの目玉が乗った上半分がなかった。
どうやら、俺達が相対している付喪は、上下に分離できる技をもった化け物であるようだった。
更に都合が悪いことに、その本体は飛行形態となって攻撃から逃れていた、上半身の方であるらしかった。
トンボのような姿となって、猛烈な羽音を轟かせる付喪は、尻尾の先の鞭で再び俺達を狙う。
そこへ、機先を制する形でこちらの真上を通過した冷風が、攻撃体勢を整える相手へと向かって飛んでいった。
真正面から迫る冷たい迎撃を、羽付きの付喪は素早く上方へと舞い上がって躱す。
玄月からの援護射撃に、多勢に無勢と見て取ったのだろうか。
広場の上空へと逃れたそいつは、即座にその場で反転し、森の方へ直進していった。
「なっ、あっ、逃げたぁっ!? 陸海、急いで! 早く、あいつを捕まえて!!」
徐々に遠ざかる討伐対象に、トヨは仰向けのまま俺の肩を乱暴に揺さぶる。
だが、どんなに急かされ、どやされても、既に大きく距離の開いた以上は、どうしようもなかった。
俺の創生者としての能力は、手の届く範囲の相手にしか当てられない。
また、既にターゲットが有効射程の外に出てしまったのか、玄月も追撃を行おうとはしない。
こちらには、空を逃げ去る相手を捕える方法は、一つとして残されていなかった。
万策尽きた俺達は、逃げ去る獲物をただ指を加えて見送るしかない。
と、脱出に成功した羽付きの付喪が、林の上へと差し掛かった時。
その進行方向にあった枝葉の繁みから、急に小さな影が跳び上がった。
森の中から現れたそれは、真正面から迫る鉄のトンボへと動線を重ねる。
瞬間、鉄のひしゃげる凄まじい打突音が鳴り渡り、羽付きの付喪は中央から二つに斬り裂かれた。
あまりにも予想外の展開に、俺とトヨは息を合わせて息を呑む。
奇襲から縦に二分割された羽付きの付喪の中からは、眩い黄色い閃光を放つ、筒状の何かが零れ落ちる。
怪物の残骸と共に出現したそれは、鉄の破片と共に落下する。
そして、地響きを上げて地面に突き刺さる二つの鉄塊の横で、その円筒状の発光体を、先に着地していた彼女は掴み取った。
それは、空中ですれ違った羽付きの付喪を、自身の身長ほどある大剣で斬り伏せた、長身和装の少女だった。




