狩るか、狩られるか
突然に目の前へと現れた、奇怪で機械的な肉体を持つ生物に、俺は呆気に取られて立ち尽くす。
唖然として固まる俺を、いち早く我に返ったトヨは強く肩を叩いて呼び起こした。
「陸海、あれよ、あいつよ!! あれが、この森に住んでいるっていう、例の付喪よ! でも、まさか体を透明にできるなんて……だから、人の目にもほとんど触れてこなかったのね――――!」
実際に目にした相手の特殊能力に、トヨは愕然として呟きを漏らす。
驚愕に息を詰める彼女の前で、幻と呼ばれると呼ばれる所以を示した五本脚の付喪は、唐突にこちらへと注意を向けた。
細長い胴体の先に付いた球体状の複眼が、眼下で凍り付く三人の侵入者を捉える。
直後、俺が反応をする暇もなく、それは絡み付いていた幹を蹴って跳び上がった。
高々と飛翔した五本脚の付喪の胴体は、再び波紋へと覆われ、瞬時に形と色を失う。
一瞬の内に姿を暗ました相手に、トヨは見開いた目を虚空へと彷徨わせる。
「消えた……!? 嘘でしょ、せっかく見付けたってのに――――!!」
隣で彼女が絶望に濡れた言葉を口にした直後、俺は広場に生い茂る草が外側へと向けて、立て続けに捲れ上がっていくのを目に留めた。
あのクモっぽい怪物が、森へと逃げようとしている。
直感から現状を察した俺は、トヨに説明する暇もなく、足に纏わり付いていたいろりを引き剥がして後ろに下がる。
近くに倒れていた倒木の端を抱え、勢い良く表面が穿たれている地面の方へと、短い助走から放り投げる。
鋭く回転をしながら宙を舞った朽ち木は、森の木々がすぐ手前へと迫る所へと到った直後、突然に木っ端微塵に砕ける。
同時に、横合いから衝突した丸太の衝撃に、五本脚の付喪は身を覆っていた透明な膜を吹き散らされながら突き飛ばされた。
草むらを滑りながら倒れ伏す巨体に、いろりを抱き止めていたトヨは息を呑む。
凍り付く彼女達を前に、横倒しとなっていた付喪は、機用に蠢かせた脚で体を起こす。
細身の上半身に付いた二つの目玉は、こちらを正面から見据えている。
どうやら、追撃を行ってきた相手を、奴は排除すべき有害な敵として認識したようだった。
「トヨ、いろりを連れて隠れろ!! 来るぞ!」
硬質な体から放たれ始める不穏な気配に、俺は背後の二人へと素早く叫ぶ。
俺の声に我へと返った彼女が、急いで森の方へと引き返した直後。
その逃走を許すまいとするかのように、五本脚の付喪が猛烈な勢いで、こちらへと突進を仕掛けてきた。
軽い地響きを立てて迫る鋼鉄の蜘蛛を、俺は正面から迎え撃つ。
これが昨日の出来事であれば、どうして良いか分からず、途方に暮れていたかもしれない。
だが、あの一夜を過ごした今日の俺は、自分が出来ることと、為すべきことを知っていた。
攻撃範囲へと接近した標的に、付喪は前方の脚を加速を付けて突き出す。
こちらの胸に狙いを定めた、鋭く巨大な鉤爪の先を、俺は半身を返してやり過ごす。
続けて、相手が引き戻すよりも早く両腕でそれを抱え、渾身の力で横方向へと振り回した。
昨夜のサクラによる特訓のおかげで、俺は自分の実力をだいたい把握できていた。
そして、現在の腕力であれば相手を持ち上げられるとした俺の判断は、為されるがままにジャイアントスウィングを受ける付喪によって、その正しさが証明された。
充分な遠心力が付いたのを見計らい、俺は三角錐の形をした脚から手を放す。
支えを失った五本脚の付喪は、錐揉みとなって宙を裂き、広場中央の枯れ木の梢へと激突した。
叩き付けられた巨大な鉄の塊に、太い幹は中心から真っ二つに圧し折れ、乾いた木片を撒き散らす。
痛烈な反撃を受けた五本脚の付喪は、背中から乗りかかった大木の上半分と共に落下する。
受け身も取れずに地面へと叩き付けられるその姿に、俺は確かな手応えを感じて拳を握った。
上手くいけば、このまま一気に押し切れる。
有利に傾く状況へと確信を得た俺は、早々を決着をつけるべく、握り締めた右手へと意識を集める。
と、俺がトドメの一発の準備をする前で、大樹の残骸と一緒に崩れ落ちていた敵の姿が消えてなくなる。
またしても透明化によって視界から逃れた相手に、俺は素早く視線を巡らし、痕跡を探す。
すると、広場の左側へと向けて、先程と同じように地面の草と土が小刻みに巻き上げられているのが見えた。
どうやら逃亡を図ろうとしている様子に、俺は逃すまいと急いで後を追う。
昨晩で動かし方をしっかりと学習していた足は、見るみる内に標的との距離を詰める。
間を置かず前方へと捉えた敵の足跡に、俺は力と気を蓄え終えた右拳を引き絞る。
おおよその目算を付けて俺が躍りかかろうとした時、唐突に、奇妙な風音が周囲へと響き渡った。
突然に鼓膜を打つ騒音に、不意を突かれた俺は一瞬だけ怯んでしまう。
刹那、強烈な見えない一撃が、俺の左頬を貫いた。
正体も出所も分からない痛打に、俺の体と記憶は同時に吹き飛ぶ。
やがて、何を言っているのか聞き取れないトヨの叫びに起こされた時、俺は地面の上へと仰向けに倒れていた。
痺れと痛みに支配された口の中には、生臭い鉄の味がいっぱいに広がっている。
激しい頭痛に吐き気を覚えながら体を起こした俺は、少しばかりぼやけた視界が薄闇に覆われているのに気付く。
顔を上げると、そこには俺へと覆い被さるように立つ、大きな影の塊が立ちはだかっていた。
背筋を電流となって走る悪寒に、俺は反射的に両手を前へと掲げる。
直後、左手の甲を重い衝撃が叩き、鋭い風切り音に遅れて左後ろの地面が陥没する。
どうやら、俺は前後不覚となっていた間に、五本脚の付喪からマウントを取られてしまっていたようだった。
知らない間に訪れていた窮地に、俺は危うく直撃を免れた不可視の脚を、再び繰り出されないよう慌てて掴み止める。
だが、次の瞬間俺は、相手にはまだ、四本も同じ物があるという事実を思い出した。
自ら動きを止めた的へと向けて、数も位置も定かでない鉄の爪が振り降ろされるのを、俺は全ての産毛が逆立った肌越しに感じた。




