手取り、足取り
冷たいくらいに透明な月と星の光は、彼女の白い燐光を帯びた影を更に際立たせていた。
夜の闇の中で冴えざえと輝くその様は、さながら楽園から舞い降りた、和風な天使といった雰囲気をまとっていた。
あまりにも幻想的で蠱惑的な光景に、俺は思わず夢か幻かと目を疑う。
言葉を失い反応に困る俺へと、やがて彼女は胴体に宿している白光とは好対照な、闇色の長髪を揺らして小首を傾げた。
「こんばんは、通りすがりのヒーローさん。今日は、夜の運動にもちょうど良い、素敵な晩ね」
穏やかながら良く通る声は、間違いなく以前に聞いた彼女の、そして現実のものだった。
固く温い唾を音を立てずに呑み込んだ俺は、動揺を悟られないよう彼女へと笑い返す。
「それと、散歩にもな。だが、まさかこんな街の外にまで出歩いてくるなんて、幾ら夜更けの散歩が好きでも行き過ぎじゃないか、お前?」
「ちょうど用があって、この近くに仲間と一緒に来ていたのよ。それで、夜風に当たりたくて河原を歩いていたら、前に助けてくれた人が特訓をしていたものだから、少し見物させてもらっていたの」
「用事……? おい、まさか、それって―――― 」
あっさりとした彼女の返答に、俺は嫌な予感へと襲われる。
手付かずの自然が残るこの周辺には、特に目立った施設や立地などはない。
となれば、彼女が属している組座もまた、河近くの森に潜伏しているという付喪を狙ってきている可能性があった。
予期しない競争相手の出現に焦る俺に、サクラは袖口で隠した口から、クスクスと可笑しそうな笑いを漏らす。
「心配しなくても良いわ。私達の仕事はもう終わって、明日の朝には央都に戻る予定だから。あなた達の組座が何の目的でここに来ているかは知らないけど、邪魔もしないしできないわ」
「そう、か……。だったら、尚更こんな時間に、こんな所をフラついていたら拙いだろ。帰る直前になって、化け物にでも襲われなんかでもしたらつまらないし、シャレにもならないぞ」
「そうね、今夜は満月だし、もしかしたら狼男なんかが出てくるかも。けど、あなたみたいな向こう見ずで頑張り屋さんで、だけど優しくて逞しい狼サンになら、襲われちゃっても良いかしら?」
俺の忠告にそう返した彼女は上半身を屈ませ、こちらを覗き込むような恰好で見上げる。
数本の髪の毛が掛かった上目遣いの両目には、思わず背筋が凍る程の、挑発的で扇情的な輝きが灯っていた。
相手の物言いへと冗談で答えようとした俺は、しかし適当な単語が全く頭に思い浮かばない。
思わず視線を逸らして俯く俺に、やがてサクラは満足気に相好を崩すと、軽やかな口調で話題を転じる。
「それはそうと、あなた、まだ創生者としての力に慣れてないみたいね。何度も躓いてコケていたから、見ていてハラハラしたわよ」
「う、うるさい、もう問題ないっての! てか、どんだけ前から盗み見してたんだよ、お前!?」
「ま、こっちにきたばっかりって話だったし、仕方ない気はするけど。あなた、同じ組座で先に創生者となった人や、創生させた組頭の神から、何も教えてもらってないの?」
純粋な疑問が込められた素朴な問いに、俺は言葉を濁す。
そんな相手の様子から事情を察したらしい彼女は、力の抜けた苦笑を浮かべると、前屈みとしていた体を元の体勢に戻す。
「なるほど、大体は理解したわ。そうなると、やっつけの地力だけであのアキトに少しでも力を使わせたなんて、逆に凄く思えてくるわね」
「アキト……そうだ、あいつ……! おい、あの青コートの野郎も、お前と一緒にここに来て―――― 」
「来ていたら、リベンジでもするつもり? だけど、残念ながら今のあなたの実力じゃ、また軽くあしらわれて終わりよ。恥の上乗りをしたいのなら、止めはしないけど」
辛辣な注意を飛ばす相手を、俺は苛立ちを込めた眼差しで薄く睨む。
しかし、実際に彼女の言う通りである自覚はあったため、俺はなけなしの自制心から、口にしかけていた反論をぐっと喉奥へと呑み下した。
視線を地面へ落として沈黙する俺に、やがてサクラは見兼ねたように、自らで言葉を繋げる。
「私達はいわば、三本目の腕を付けられたようなものなの。元々、何の異能も有していなかった私達がそれを動かそうと思っても、今までのような感覚のままじゃ、一生掛かっても出来っこないわ」
唐突な説明口調に当惑した俺は、直後に彼女が、創生者としての力について語っているのだと気付いた。
呆気に取られる俺を前に、サクラは座っていた岩からおもむろに降りる。
滑るようにこちらへと歩み寄った彼女は、固まる俺の右腕を取って、先程それが殴りつけていた巨岩の方へと差し向けた。
「創生とは、対象者の中に別の存在を『創り』、『生み』出すこと。だからこそ、創生者は自身の中のそれを感じ取って、対話をし、加護を得なければ、真の力は発揮できない。無理矢理に、従わせようなんてしてはダメ。あくまで、助力を希うように、謙虚で真摯な心で臨まなければいけないわ」
「え、あ……いや、そんなこと言われても、何がなんだか―――― 」
「自分の中に耳を澄まして、全身の神経を指先まで全て、隅々まで研ぎ澄ませるの。そうしたら、今まで生きてきた中で感じた事のない、不思議な触感をどこかに探し当てられるはずよ。後は、それを自分の方へと引き付ければ良い。自分の心と感覚に従えば、自ずと方法と答えは見つかるはずよ」
正直、彼女の助言は曖昧で、具体性に欠けるものだった。
だが、体温が感じられる程に体を寄せ、耳元へと吐息を吹きかけるように語る彼女に、俺は大人しく従うしかなかった。
俺はサクラに促されるまま、目を閉じて精神を集中する。
彼女に言われた通り、澄ませられるところを残らず澄ませるが、やはり何も変わった感じはない。
やがて、成果の一つも得られず、痺れを切らして諦めかけた時。
俺は、サクラの触れている右の手首付近に、動揺や興奮からのとは明らかに違う、奇妙な熱の塊のようなものが蟠っているのに気が付いた。
得体の知れない謎の感覚に、俺は恐る恐る神経を集中する。
瞬間、その気配を察したかのように、腕の芯へと潜んでいた微熱が周りへと散る。
直後、凄まじい破砕音と衝撃が、俺の全身を押し包んだ。
驚いた俺は息を呑み、思わず閉じていた目蓋を開く。
そこには、朦々と舞い上がる細かい粉塵。
そして、蜘蛛の巣状の深い裂け目を全面に刻み、真下の岩盤へとめり込んでいる巨岩があった。
突然に無惨な姿を晒した標的を、俺は愕然として凝視する。
そんな隣人を笑みに細めた目で見上げ、サクラは手を添えていた相手の腕を軽く叩く。
「やったわね、上出来よ。まだ制御は出来ていないみたいだけど、初めてにしては充分じゃない。今の感じを忘れなければ、少しずつ力の扱いも分かってくるはずよ」
「え……? これ、俺がやった、のか…………?」
「私の能力は、ここまでの破壊力はないわ。そして、ここには私とあなたしかいない。だったら、答えはひとつでしょ?」
彼女の言う通り、眼前の岩が強烈な衝撃に砕け散ったのは、俺が妙な手応えを覚えたのと同時だった。
ひしひしと遅れてきた実感に、俺は奇妙な達成感から、思わず口元を綻ばせる。
そこで俺はふと、貴重な助言を施してくれたサクラに、今更ながらある疑問を抱いた。
「なあ、お前どうして、俺に手を貸してくれるんだ? 確かに、凄く助かってありがたくはあるんだが、ここまでしてもらう義理も、筋合いもないというか―――― 」
「あら、運命的に再会できた恩人に、恩返しをしてあげたいって思うのは不自然かしら? それに、私もちょうど暇を持て余していたし、あなたが気にする必要は全然ないわよ」
「そうか……。じゃあ、最後まで付き合ってもらっても、一向に構わないってことで良いんだよな?」
「ええ、もちろん。その代わり、今夜は寝かせないつもりでいくから、覚悟しなさいね」
俺の渾身の意趣返しは、流石の切り返しの前に敢えなく撃沈してしまう。
そして、小悪魔的な微笑と共に為された宣言通り、やや加虐的な性格のコーチによる指導は、空の闇が朝日に駆逐される時刻まで続けられたのだった。




