勝つために必要な事
何はともあれ、そんな事情を知り得なかった自分の独断のせいで、彼女に迷惑を掛けてしまったのも事実である。
そうした引け目と負い目から、俺は彼女の暴力的な抱擁を甘んじて受け続けた。
やがて、俺をサンドバッグにして気が済んだのか、それとも抵抗の皆無な相手に虚しさを覚えたのか。
技を決めていた両腕を外し、引き付けていた俺を解放したトヨは、脱力感と無力感に満ちた溜息を零れ落とした。
「はぁ……まぁ、もう決まったことを、いつまでも愚痴っていても仕方ないわよね……。じゃあ、いろりをちょっと、貸してもらうわよ」
社へと帰り着いた直後に訪れた、ワカメ頭からの伝令には、トヨと共に俺も対応に出ていた。
そのため、俺と付かず離れず動いているいろりも、必然的に彼女のすぐ目の前にいた。
自分に注意が向けられたことを肌で察し、いろりはおっかなびっくりと身を強張らせる。
トヨがチョークを決めていた間も、絶対に俺の左脇から離れようとしなかった彼女を横目に、俺は不機嫌そうに唇を尖らせるトヨへと小首を傾げる。
「別に、構わないが……俺も、付いていった方が良いか?」
「ごめんだけど、ここから先は男子禁制だから。こっちが準備をしている間に、あなたは玄月へと今回の件を伝えておいてちょうだい」
「あ、ええ……俺が、かぁ…………?」
「責任を感じてるつもりなら、それぐらいはしなさい! じゃ、いろりちゃん、お姉ちゃんと一緒に行きましょ~。大丈夫よ~、怖いことなんてしないからね~、うん」
半泣きとなって必死に抵抗するいろりを宥め賺し、トヨは彼女を本殿の方へと連れていく。
二人の姿が立派な小屋の中へと消えたのを見届けた後、俺は自然と重くなっていた足を、粗末な方の小屋にいる玄月の所へと向けた。
先に社へと戻っていた彼は、いつもの位置に腰を下ろしていた。
うたた寝でもしていたのか、彼は柱へと背を預けて目を閉ざしている。
床へと投げ出された足の近くへと立った俺は、目覚まし代わりに彼の名前を呼ぶ。
「おい、起きてるか玄月。実は、折り入って話が―――― 」
「起きている。それから、聞いていた。ウカマドの組座と、何やら事を構えたみたいだな。差し詰め、原因はあの小娘か?」
躊躇いがちに口に出していた俺の言葉を、唐突に静かながら芯のある声が遮る。
俺が本題に入るよりも早く、静かな口調で核心を突いた玄月は、ゆっくりと開いた目でこちらを見遣る。
薄々予想はしていたが、やはり狸寝入りから地獄耳をそばだてていたらしい。
見た目に反した奇妙な趣味に苦笑を漏らし、俺は鋭利な流し目を送る相手へと首肯を返す。
「あいつを寄こさなきゃ嫌がらせをしてやるって、買い物の帰りにねちっこく絡まれてな。まあ、組座戦とかいうのにまで発展させたのは、俺のせいではあるんだが…………」
「だろうな。トヨであれば、そんな無謀な真似はしない。ウマカドは央都の組座でも、有数の強大な勢力の一つだ。そんな相手を敵に回そうなどと考えるのは、よほどの猪武者か愚か者だ」
「そうかもな。で、冷静で賢いお前は、そんなとばっちりを食らうのなんかは御免だってか?」
「他人の尻拭いは好むところではない。だが、望むと望まざるに関わらず、飛びかかる火の粉は払わねばなるまい。それに―――― 」
不意に嫌味たらしい文句を切った玄月は、おもむろに腰を上げる。
こちらと同じ位置へと視線を上げた彼は、戸惑う俺へと小さく口角を持ち上げてみせた。
「権威を笠に着た天狗鼻の山猿に、俺達の手でお灸を据えてやるというのも一興だ。そうだろう?」
淡々とした、しかし僅かに高揚感を滲ませたセリフと共に、彼は不敵な微笑を頬に刻む。
静かな熱意を燃やす細目を前に、俺は今一度、玄月という男の中身が良く分からなくなってしまった。
正体不明な仲間の戦意に、俺が言い知れない心強さと薄ら寒さを覚えた直後。
奇妙な沈黙が訪れていた社の庭に、トヨの高らかな叫び声が響き渡った。
「はい、二人ともお待ちどう様! 全員、こちらに注目!!」
突然の号令に、俺と玄月は同時に声の方を振り向く。
そこには、開け放たれた本殿の扉の前で、俺達へと見栄を切っているトヨ。
そして、その隣で頼りなさげに体を揺らしながら立つ、新しい服へと着替えたいろりの姿があった。
サイズの合わない粗末な古着を脱ぎ捨てた彼女は、街で買った子ども用の衣服を身に付けていた。
淡い紅色を基調とした、所々に花の刺繍が施された着物は、全体の見栄えを考慮してか、微妙に色彩の異なる帯で締められている。
派手過ぎず、地味過ぎず、適度な実用性とお洒落の中間を取ったような、そんな見た目の和服だった。
トヨの手から放たれた彼女は、垂らした袖をはためかせ、大急ぎで本殿前の段差を駆け下りる。
履き替えた下駄を忙しなく鳴らし、危なっかしい足取りで庭を走り抜けると、行く手にいた俺へと正面から抱き付いてきた。
軽い衝撃に体勢を崩す俺の鼻を、着物から仄かに立ち昇る、甘い香の匂いが掠めた。
一目散に保護者の元へ戻ったいろりに遅れて、トヨも俺達の前へとやってくる。
並んで立つ俺達をぐるりと見渡した彼女は、やがて俺にしがみ付く少女を、険しい顔付きで指差した。
「はい、あなた達、感想をどうぞ! 可愛いわよね!? お色直ししたいろりちゃん、前より更に可愛いわよね!?」
「え……? な、何だよ、突然―――― 」
「そこ、答え以外は禁止! 可愛いかそうじゃないか、二択で答える! はい、どっち!?」
有無を言わせない調子で迫るトヨに、俺はたじろぎつつ、懐の中のいろりを見下ろす。
話題に上げられているのを知ってか知らずか、彼女は自分を見つめる俺を上目遣いに見上げる。
そして、目尻に涙の溜まった目を嬉しそうに細めると、桃色に染まった顔で俺のヘソ上辺りへと頬擦りをしていた。
そんな、いじらしくも愛くるしい仕草を前にして、彼女を可愛くないと言い張るのは、逆に不自然極まりないような気がした。
ぎこちない苦笑を刻む顔を人差し指で掻き、俺は躊躇いがちにトヨへと返答する。
「あー、うん、まぁ……どちらかと言えば、可愛い――――んじゃ、ないか? たぶん…………」
「はい、可愛いね、うん! 次、玄月はどうなの!?」
「そいつの所感に、異論はない」
「よし、全員一致ね! だったら、そんな私達の可愛い彼女のためにも、組座戦は死ぬ気の本気でいきなさい!! 守るべき、か弱くも儚く美しい姫君が二人もいるとなれば、あなた達だってやる気も倍増しでしょ!」
「どうでも良いが、そのか弱くも儚く美しい、もう一人のお姫様ってどこにいるんだ?」
「う……い、言わせないでよ、恥ずかしい! とにかく、そういうことだから、試合にはどっちも絶対負けないこと! いい、分かったわね!?」
さっと頬を赤らめたトヨは、恥ずかしさを押し隠すように、俺と玄月を相互に三白眼で睨む。
守るべきものがあれば、強くなれる。
そんな、どこぞの少年マンガやヒーロー物みたいな、精神論的な青臭い論理の効果は、正直なところ疑わしい。
だが、どちらにしても、俺は負ける気など初めから欠片もなかった。
別に、自分を慕っているいろりのためとか、面倒事に巻き込んでしまったトヨ達の手前とかだけではない。
対話の相手を数と力で露骨に見下し、交渉という名の脅迫を行ってきた、ウマカドとかいうワカメ頭の神。
そんな、高慢ちきでうざったるい邪神のにやけ顔が、驚愕と絶望に茫然として青白く染め上げられるのを、俺は是非とも目にしてみたいと、そう思ったのだった。
その点では、互いの目的が一致している俺と玄月は、眉を怒らせているトヨへと、合わせて顎を小さく引く。
無言の肯定を見て取った彼女は、満足気に頷くと、そのまま言葉を繋げた。
「はい、じゃあ皆の意見も一致したところで、次に大事なお知らせ! 玄月も聞いたと思うけど、今回の組座戦は三本勝負。だけど、いろりは試合には出せるはずもないから、このままだと不戦敗になって圧倒的不利は免れないわ。と、いうことで――――」
息継ぎから溜めを作った彼女は、戸惑いの眼差しを集める三人の配下へと、得意気な笑みと共に言い放った。
「明日の早朝、新しい仲間を手に入れるため、付喪狩りへと遠征に出ます!!」




