火種、炎上
冷淡な物言いで放たれた罵倒に、癖毛の青年はポカンとした表情で目を瞬かせる。
どうやら、こちらの世界で生まれ育った彼には、俺の放った言葉の意味が分からなかったようだった。
反応に戸惑う主人へと、後方に控えていたスーツ風の姿の女性が、間を置かずに耳打ちする。
部下による通訳を受けた癖毛の青年は、即座に表情と顔色を変えた。
彼は微かに青みを差した顔面に引きつった苦笑を浮かべ、俺を暗い眼差しで睨み付ける。
やがて、小さく鼻で笑った彼は、隣に立つトヨへと視線を移す。
「さて……どうやら君の配下の創生者君は、僕へとあらぬ言い掛かりをしてしまうくらいに、今回の取引には乗り気でないようだ。主人である君もまた、彼の意見に賛同なのかい?」
乾いた笑いを伴った、意味深な響きの問いかけに、彼女は小さく音を立てて息を呑む。
横目からこちらへと向けられた、戸惑いに揺れる弱々しい眼差しを、俺は無言で受け止める。
仮にも、彼女はトヨオゲ組のリーダーであり、俺が仕えるマスターでもある。
そんな相手が決めた事には、例え受け入れ難い内容であったとしても、最終的には俺も従わなければならないだろう。
もっとも、その場合は、今後のお互いの関係性を考え直す必要は出てくるだろうが。
沈黙を保ったまま反応を見守る俺に、やがてトヨは重々しく吐息を漏らし、肩を落とす。
脱力した面持ちとなって、ぎこちなく相好を崩した彼女は、答えを待つ癖毛の青年へと向き直る。
「先輩のご厚意とお申し出には、感謝をしてもし切れません。ですが、やはり彼女は、私達が責任を持つべき、私達の大切な仲間です。本人が望んでいるのであればともかく、現在の彼女の意向がそうでないのであれば、私はそれを出来るだけ叶えて上げたいと思います。折角のお話ではありますが、どうか、今回はご容赦の程を頂ければ幸いです」
心底申し訳なさそうに、しかしどこか事務的な調子でトヨはそう告げ、深々と頭を垂れる。
丁寧に交渉を謝絶する彼女に、癖毛の青年が率いる面々へと動揺が走る。
面食らう者、薄ら笑う者、怒りを顕わにする者、スルーする者と、反応は人によって様々だった。
そして、彼らの真ん中に立つ癖毛の青年は、そんな多種多様な感情を一緒くたにした、複雑怪奇な顔付きとなってトヨの頭頂を凝視していた。
鋭く張り詰めた沈黙がしばし辺りを包んだ後、癖毛の青年は大きく音を立てて深呼吸をする。
妙に冷めた表情で、彼は感慨深げに数回頷くと、いかにも寛容そうな柔和な笑顔を浮かべた。
「そうかそうか、うん、分かったよ。君がそう言うのならば、無理強いは出来ないね。分かったよ、今回は縁がなかったのだと、そういうことにしておくよ、うん」
独り饒舌に捲し立てた癖毛の青年は、爽やかな微笑みを残して踵を返す。
ようやく解放されそうな気配に、トヨは音も無く肩を落として嘆息する。
直後、癖毛の青年は急に大きな声を上げると、優雅なターンでこちらを振り返る。
そして、面食らう俺達に対して、彼は困惑した表情から申し訳なさそうに告げた。
「ああ、言い忘れていたが、これから僕達は組座の戦力拡充と増強のために、一層に多くの神託や依頼を熟していくつもりなんだ。だから、もしかしたら今まで歯牙にも掛けなかった、君達のような小さな組座に相応しい仕事まで、僕達が総浚いしてしまうかもしれないけど、その時はどうかご容赦を願うよ」
あっけらかんとした、清々しささえ感じられるその返答に、トヨは目を点として棒立ちとなる。
徐々に面へと青みを差していった彼女は、穏やかな笑みを頬へ刻む相手へ、震える声で問いかけた。
「あの……それは、つまり、私達の組座を囲い込んで、仕事も何もできないようにすると、そういうことなのでしょうか……?」
「まさか!! そんな姑息で卑怯な手なんかで、この僕が君を虐めるはずはないだろう!? ふむ、だが確かに考えてみれば、僕の新たなる試みのために致し方ないとはいえ、君の所のような零細の組座にまで累が及ぶというのは心が痛む。ならば、君の組座も私の傘下に加わるというのは、どうだい? 我々の庇護下に入れば、この先における豊尾刈組の安泰は約束されたも同然だ。無論、その恩恵に見合った返礼は、是非とも期待させてもらうけれどね」
いけしゃあしゃあとした白々しい放言に遅れて、眼前の人の壁からは失笑と苦笑が漏れ出す。
蔑みと嘲りに満ちたそれらは、おどけた身振りをする自らの主人ではなく、その対面で直立不動となる俺達へと向けられていた。
飴が効かないと分かれば、お次は鞭か。
形振り構わない懐柔策に舌を巻きつつ、俺はトヨの方を窺う。
真っ青に血の気が引き、息を吸い込んだ瞬間に固まったような顔をした彼女は、唇を強く噛み締めている。
泣きと笑いが歪に混ざったその表情は、静かに荒れるその内心を、何よりも如実に物語っていた。
今にも卒倒しそうな自らの主人に溜息を漏らし、俺はにやけている癖毛野郎へと彼女に代わって笑い返す。
「やれやれ、参ったぜ。まさかそこまでご執心とは、お前、よっぽどこいつのことが気に入ったんだな」
「その新生者の子が持つ、力にだ。変な思い違いをしているようだが、痛くもない腹を探られるのは気に食わないな」
「おや、そうだったのか済まないな。あと、ついでに謝っておきたいんだが、お前の期待を裏切るようで悪いが、こいつの幸運を呼ぶ力ってのは全然大したことはないみたいだぜ」
予想だにしない俺からの告白に、癖毛野郎だけでなく、その手下達やトヨまでもが虚を突かれる。
一同が揃って当惑の眼差しをこちらへ集める中、俺は軽く肩を竦めて理由を述べた。
「だって、そうだろ? こいつが仲間になった途端、乾いたワカメっぽいのを頭に乗せた、貧乏神だか疫病神だかみたいな変態野郎に絡まれてんだぜ? そんな奴に話しかけられただけじゃなく、ネチネチとした根暗っぽい嫌がらせまで受けるなんて、悪運も悪運、最大級の不運以外の何ものでもない―――― 」
「貴様ぁ、また斯ような戯言で我が主を愚弄するか!! 重ねての不遜な所業、このまま捨て置くと思うてかぁ!?」
俺からの遠回しの嫌味に、最も早く反応したのは、バンテツと呼ばれていた坊主頭の男だった。
憤怒の形相を真っ赤に染めた彼は、全身に怒気と力を漲らせて前へと踏み出す。
早々に我慢の臨界点を超えたらしい彼に、数人の仲間達も少し遅れて足並みを揃える。
どうやら癖毛野郎の手下は、堪え性のない奴が多いみたいだった。
挑発に殺気立って迫る男達に、トヨは掠れた悲鳴と共に、その場で小さく跳び上がる。
突然の展開に凍りつく彼女を、いろりを押し付け様に後ろへと突き飛ばした俺は、押し寄せる血気盛んな一群へと対峙する。
別に俺だって、暴力的な対話をしたい訳じゃない。
だが、話の通じない高慢野郎の鼻はへし折っておかなければ、どうにも気が済まなかった。
興奮から思わず笑みを零し、俺は先陣を切るゆでダコと化した男を迎撃すべく、握り締めた右拳を力任せに振りかぶった。




