陸海、央都へ
曲がりくねった幾つもの上り坂を越えた後、ようやく俺達は怪物の住んでいた炭砿の外へと出た。
洞窟を抜けた先には、雲一つない青く高い空。
そして、見渡す限りに続く、鬱蒼とした森の景色が広がっていた。
澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、ほっと一息を入れた少女は、後ろを付いてきていた俺と眼帯男を振り返る。
「それじゃ、とっとと帰るとするわよ。途中で神託達成の報告と、報酬の受け取りも稜雲でやらなきゃだし、いつもより早足で! はい、じゃあ私に続いて、全速前進!」
張りのある声で指示を飛ばした少女は、林の間に伸びる砂利道を駆け足で渡っていく。
そんな彼女の背中を気怠そうに追う眼帯男に、俺は悄然としたまま、萎えた足取りで追いすがるしかなかった。
いったい、ここはどこで、俺の身に何が起こったのか。
全くもって想像の及ばない、理解の範疇を遥かに超えた現在の状況に、俺は衝撃と混乱からほとんど思考停止へと陥っていた。
俺が怪物のいる世界へとやってきてしまった理由を、トヨオゲヒメとか言った少女と、その相方らしき黒の男は知っているらしい。
だが、彼女は時間がないとして、説明は後でするの一点張りだった。
連れの眼帯男もずっと口を閉ざしている以上、俺は例えどんなに気に食わなくても、彼らと共に行動するしか他になかった。
ぬりかべとか何とか言った、岩と石の肉体をもった巨大な怪物。
そして、それを簡単に倒してしまう程の、謎の怪力を手に入れていた俺の体。
そんな、夢物語か妄想でしかありえない、しかし現実として起こっている数々の出来事を、俺は無視して忘れることなどできなかった。
正直、得体のしれない彼らに付いていくのも、気は進まない。
だが、自分の居場所さえも分からない今の俺には、その奇妙な二人組を頼る以外に術はなかった。
痛む頭を抱えながら、俺は先を行く二人に遅れないよう、懸命に重たい足を引きずっていく。
やがて、どれくらいの長さか判然としない時間が経った時。
不意に、変わり映えのしなかった景色が開ける。
そこには、平地の中に延々と続く、背の高い白塗りの壁。
そして、その内側へと囲われた、巨大な街の遠望が現れていた。
「やれやれ、やっと着いたわね。ほら急いで、ぐずぐずしてると門限になって、妖怪や怪異達と一緒に野宿するはめになるわよ!」
少女の叱咤に急かされ、俺は言われるがまま、目の前に伸びる道を進む。
底の深い空堀に掛かる橋を渡った俺達は、重厚な木製の門を抜ける。
厳重な囲いを通過した俺は、直後に一風変わった街の風景と、そこから湧き起こる人々の喧噪と熱気に直面した。
綺麗に均された大通りの両脇には、江戸時代からタイムスリップしたような、古風な瓦屋根の建物が並んでいる。
だが、その上空には飛行船のような大きな機械が幾つも浮かび、多くの人でごった返す街路には、バイクや車のような乗り物が何台も通っている。
その様は、まるで時代劇のドラマに間違って、一昔前のSFの小道具を使ってしまったような、違和感と不協和音に満ち満ちた光景だった。
ちぐはぐな世界観の中を行き来する人々は、どの人も着物を現代風にアレンジしたような、和風寄りの衣服を身に付けている。
そこまでは、まだ許容範囲ではある。
だが、その中へと鳥の羽や動物の耳、または大きな角を生やした異形の人間も少なからず混ざっているのは、俺の常識からは完全に外れた状況だった。
「おい、あまり忙しなく視線を巡らせるな。街へと登ったばかりの田舎者の感に溢れ過ぎて、見るに堪えん。共にいる俺達にも恥をかかせるような真似は、止めろ」
現実感のまるでない異界の景色を見回していた俺に、距離を置いて立っていた眼帯男が注意を飛ばす。
冷笑の響きを含んだその物言いに、俺は相手の澄ました顔を横目で睨む。
その時、俺達は街の目抜き通りに面して建つ、特に巨大で異様な外観をした、稜雲殿とかいう建物の前に並んで立っていた。
少し前、トヨなんとかという少女は報酬を貰うために、独りでその建造物の中に入っていった。
俺と玄月は怪物との戦いで、全身埃に塗れてしまっていた。
そんな汚れきった姿で、人目を引きやすい施設に踏み入るべきではない。
そう判断した彼女は、俺達に近くの物陰で待機しておくよう、言い渡していたのだった。
待ち初めてからは透明な壁を作り、口を開けば小馬鹿にしてきたその相手に、俺は苛立ちを抑えながら鼻で笑う。
「ああ、それは悪かったな。俺をこっちに呼んだ奴らが、全然、何にも、説明をしてくれなくてな。おかげで何が何やら分からないもんだから、自然とこんな風になっちまってたんだ。そっちに気まずい思いをさせてたのなら、心から謝るぜ。本当に、済まなかったな!」
低い声音で突き付けられる嫌味に、彼はやれやれと小さく首を振る。
俺の側から見えるその横顔は、眼帯のために表情は窺いにくい。
それでも、そいつが身に帯びている冷めた空気には、明らかに俺の存在を疎ましく思っている、気怠げで面倒臭そうな気配が、隠しようもなく漂っていた。
「前にも言ったが、貴様がこれから知るべき事柄は、実に重大なものだ。そうした話は腰を据えて行わなければ、貴様も半端な知識のまま、半狂乱へと陥ってしまうかもしれない。トヨがあの場で事の次第を告げなかったのは、そういう訳だ。分かったら、餓鬼のように喚くのは止めろ」
「お気遣いどうも、涙が出るほど嬉しいぜ! つーか、そう言えばお前、クロヅキだったか? あのトヨとかいう奴、お前は戦国武将が転生してどうとか言ってたが、どういう意味なんだ?」
「言葉通りだ。まあ、それも後であいつが説明するだろう。もっとも、貴様のような器の小さい破廉恥漢など、この俺の真名を知るには値しない者であろうがな」
相も変わらず、玄月の態度には取り付く島も無く、発言もまた要領を得ない。
だが、彼が俺をあからさまに見下しているのは、こちらもはっきりと肌で感じ取れた。
いい加減に我慢も限界へと達した俺は、無言で玄月へと詰め寄っていく。
荒い足取りで突撃を仕掛けた俺だったが、その行進は突然に行く手へと割り込んだ、トヨ何某とかいう少女によって阻まれた。
「はーい、二人共お待たせ! あれ、何か空気が重い……ちょっと、もしかして喧嘩でもしてたの?」
「……そんなんじゃ、ねぇよ。こんな奴と、そんなことなんかする訳ねぇだろ」
「全くもって、右に同じだ。そいつと戯れるほど、俺は稚拙でも暇でもない」
「あー、はい、なるほどね……そういうことなら、それで良いんじゃない? うん」
互いに視線を交わそうともしない俺達に、少女もそれとなく事情は察したようだった。
二人の間に立って、乾いた笑いを浮かべる彼女に、玄月は人通りへと顔を向けたまま尋ねる。
「そんな話はどうでも良い。肝心の報酬の方は、どうだった?」
「ええ、ちゃんと討伐の証もあったし、問題なく貰えたわ。しかも聞いて、ちょうど私が金子を受け取った直後に、交換所へと輪廻の枷が大特価で並んだのよ! いやぁ、まさか報酬分とぴったりの値段で、あれが手に入るだなんて運が良あだ痛たたたたたたた痛い痛い痛いいっ!!」
息を弾ませながら得意顔で話していた少女は、目にも留まらぬ速さで額に押し付けられ、頭を締め上げる右手に悲鳴を上げる。
前頭部を掴まれながら手足をバタつかせる彼女に、玄月は拘束を緩める気配もなく、左目から冷たく尖った視線を浴びせた。
「お前も、知っているはずだぞ。俺達の組座は、ただでさえ持ち金に乏しい。その上、今日からは食い扶持がもうひとつ増えるというのに、要であるはずの資金をこうも容易く手放すとは、はっきり言って愚行でしかないと思うのだが?」
「でっ、でも、枷はなかなか手に入らない珍品だし、神託を達成した直後に並んだのも何かの縁だし、食糧の方はどうにかなるし、だから、ほんとに痛いから、放しなさいよこれぇっ!!」
悲痛な叫びを上げながら暴れる彼女に、近くにいた通行人達も驚きの眼差しを向け始める。
徐々に集まりつつある衆目に、玄月は小さく鼻を鳴らし、右手を開いて拘束を解いた。
「相も変わらず、勝手なことだ……。しかし、新参者に我ら豊尾刈組の、例の悪しき通過儀礼を施す意味でも、良い機会にはなるかもしれないな」
「悪しきって何よ、悪しきって! てか、あんたもいい加減に、私にもっとこう、ちゃんと敬意をもって接しなさいよ! 何で神の私が、自分が召喚したまれびと達に、こうも立て続けに酷い目に遭わせられないといけない訳、もう……!」
恨みがましく文句を呟きながら、少女は握り締められていた頭を痛々しそうに抱える。
そんな彼女の隣で、涼しい顔をしてそっぽを向く玄月に、俺は二人の関係性がいよいよもって分からなくなってしまった。
そうして、二人の痴話喧嘩染みたやり取りを見せられた後、俺は彼女達の拠点であるという所へ連れていかれた。
既に空が茜色へと変わりつつある街は、変わらず多くの人々で溢れていた。
活気に満ちた通りを抜けた俺達は、打って変わって人気のない街外れへと移る。
周りに人家もあまりない、雑木林に覆われた小高い山。
そこの山肌に敷かれた石階段を登った先に、彼らの本拠地はあった。
山頂を切り開いて作られた広場は、漆喰の剥がれた薄い土壁で四角く囲まれている。
テニスコートを一回り広くした広さのそこには、手前に短い階段の付いた、神社の本殿らしき小さな建物が奥に見える。
そして、丈の短い雑草に覆われた地面の上には、ホラー映画にでも出てきそうな井戸や、壁のない小屋も二つある。
それらが、彼らの根城にある、全ての設備だった。
「ここが、豊尾刈組の社。私達の、そしてあなたの家となる場所よ。素敵……とは、まだ言い難いけど、なかなかに良い所でしょ?」
「確かに、夏とかは過ごしやすそうだな。風通しは、抜群みたいだし」
率直な俺の感想に、少女は頬を引きつらせて薄く笑っていた。
10秒にも満たない案内の後、俺は唯一のまともな家屋の前へと連行される。
俺は一面に敷き詰められた緑の絨毯の、なるべく地面の露出していない所へと腰を下ろす。
一方、少女は小振りな本殿に上がる、幅広な段差の中程へと座った。
玄月は途中で別れて、細い柱と屋根だけの小屋の片方へと移っていた。
もう、自分はこれ以上俺と関わる必要はないと、そう見切りを付けたのだろう。
俺と一対一で向かい合っていた少女は、薄闇に包まれつつある庭を見渡し、むっと唇を尖らせる。
「う~ん、流石にもう暗いわね……。顔が見えないで話をするのもあれだし、ちょっと早いけど、ほいっと」
少女の軽い掛け声に合わせて、彼女の頭上に吊るされていた二つの行灯に明かりが灯る。
手品か魔法のような方法で点けられた照明に、しかし俺はもはや、ほとんど驚きを感じなかった。
「さて、これで大丈夫ね。じゃあ改めて、私達の組座へようこそ! あなたは、日本という世界から来た、上澤陸海という名前の人で、間違いない無かったわよね?」
あの岩の怪物を倒した後、俺は彼らに簡単な自己紹介をしていた。
彼女の確認に首肯を返した俺は、相手が次の言葉を放つより先に、早口で問いを投げた。
「お前、トヨだったか? あそこでお前は、俺を召喚したとか言ってたな? それはつまり、俺をこっち側に呼んだのは、お前ってことなのか?」
「いや、私の正しい名前は豊尾刈比売って……まあ、もう、別に良いか……。ええ、大体はその理解で合ってるわ。あなたは、私が完成させた幻双紙によって、こっちの世界へと転移して――――」
「一体ここは、この世界は何なんだ!? あの洞窟にいた化け物は、俺のあのバカみたいな力は、何だ!? お前は、俺を殺したあの白服の仮面野郎と、仲間なのか!?」
無意識に腰を浮かした俺は、胸へと押し込めていた疑問を捲し立てながら、相手へとにじり寄る。
その荒々しい気迫に面食らいながら、彼女は困った様子で項を擦る。
「ええっと、まずどれから説明した方が良いのかしら……。まず、この世界は中つ島という場所で、この街は央都という所よ。あなたがいた日本と違って、ここにはあなたが戦ったぬりかべみたいな、妖怪や怪異、付喪といった危険な存在がたくさんいるわ」
急に飛び出した謎の単語の数々に、俺は呆気に取られて鼻白む。
言葉を見付けられずに戸惑う俺へと、彼女は更に追い打ちとばかりに後を続けた。
「そして、あなたはこの世界に創生者……古の昔から語り継がれる、幻想譚としての御伽噺の力を、その身に宿した存在として転生したのよ」