童女の名は
鉄の眼差しを正面に据え、玄月は黙然として起立している。
作戦終了後に合流した彼は、二言三言トヨと言葉を交わした後、再び周囲へと不可視のバリアを張り巡らせていた。
作戦中の援護が遅れた件について、俺は幾つか玄月へと問い質したかった。
だが、俺と隣り合って並ぶ彼は、いつも以上にこちらと敬遠するような、冷めた雰囲気を放っていた。
無言で透明な氷壁を築く隣人に、俺は重い溜息を漏らし、反対側へと視線を返す。
そこには、玄月が不干渉を貫いている原因と思われる、首へとあの赤と白の市松模様の紐を巻いた少女が、俯き加減となって俺の脇へと取り縋っていた。
明らかにサイズの合わない、トヨが雇い主から調達してきた古びた着物を身に付けた体躯は、少しばかり華奢で肉付きも薄い。
腰まで真っ直ぐに伸びた、濡れたような輝きを帯びた黒髪の間からは、肌理の細かい柔肌をした丸顔が覗いている。
黒目勝ちな大きな目や、淡い薄紅色をした小振りな唇などは、とても可愛らしい顔立ちを作っている。
しかし、それらはいずれも不安を表す形へと歪められ、血の気が引いた白抜きの頬には、今にも泣き出しそうな悲し気な表情が浮かべられていた。
彼女が掴んだ生地越しに、細かい震えが伝わってくる。
怯えきった様子でしがみ付いてくる彼女に、俺は対処の仕方も分からず、ただただ途方に暮れて天を仰ぐしかなかった。
そうして、針の筵のような、過酷な沈黙を耐えること十分近く。
豪華な邸宅前に置かれた、重厚感溢れる門の下で待ちぼうけていた俺達の元へと、ようやくその玄関先から出てきたトヨが舞い戻ってきた。
軽やかなステップで敷石を渡った彼女は、俺達の前へと膝を揃えて着地する。
前屈した姿勢から、俺と玄月の顔を舐めるように見上げると、急にクシャリと相好を崩して吹き出す。
喜色を満面へと浮かべ、くぐもった笑い声を喉奥から漏らし始める相手に、俺は身を引きながら眉をしかめた。
「何だよ、気色悪いな。今のお前、かなりブサイクだぞ」
「なぁ~んとでも言いなさい! これが、笑わずにいられるもんですか! さぁ、見て驚けっ、じゃじゃーーーん!!」
俺の苦言をどこ吹く風と受け流したトヨは、快活な掛け声と共に、後ろ手に回していた腕を差し出す。
そこには、水墨画風の背景の中に立つ、奇妙な風貌をした男性の肖像画が描き込まれた、紙切れの束。
そして、中央に四角い穴の開いた、鈍い光沢をした楕円形の金貨が数枚握られている。
どうやらそれらが、今回の依頼の報酬でもある、この中つ島で流通している貨幣のようだった。
トヨが見せつけている紙幣や金貨に、どれだけの価値があるのかは分からない。
それでも、眉間に皺を寄せ、僅かではあるが動揺を示す玄月に、それが物凄い金額であることは容易に窺い知れた。
「まさか、これ程とは……差し詰め、自らの管理する家屋で生じた異変を口外しないようにと、口止め料として幾らか上乗せされたか?」
「さすがに敏いわね、玄月。ということで、今回の事は他言無用ってことで! 陸海も、分かったわね?」
「間違ってもそうはならないから、心の底から安心しろ」
今回の一件について話すことは、同時に、妖怪を捕獲した経緯についても明かすことになる。
そうなったら、俺がその少女へと行った行為が、トヨ以外の人達の耳にも入ってしまう。
そんな結果だけは、俺のなけなしの沽券にかけて、絶対に阻止しなければならなかった。
今一度、背筋へと怖気を走らせる俺の心中を知ってか知らずか、その門外不出の秘密を唯一知る彼女は、満面の笑みを浮かべて俺の横へと屈み込んだ。
「でも、まさかこんな破格の報酬が貰えるだなんて、夢にも思わなかったわ。もしかしてだけど、早速彼女が私達に、幸運をもたらしてくれたのかもしれないわね」
ふやけた猫撫で声を口にしながら覗き込んでくる相手に、黒髪の少女は狭い肩を竦ませ、俺の陰へと身を隠す。
警戒感を顕わにする彼女へと苦笑いするトヨに、仏頂面へと戻っていた玄月は横合いから声をかける。
「ということは、やはり離れへと隠れ住んでいた妖怪……その小娘へと新生したのは、『座敷童』だったのか」
「そういうこと。大量の瘴気を身に帯びていたせいで、元々のとは全然違う姿になっていたみたいだけど。それでも、初見で正体を見抜いていた私は、やっぱり類い稀なる神の目を持つ神様ね」
二人が話題に上げている名詞については、俺もどこかで聞き覚えがあった。
記憶が正しければ、座敷童とは住み着いた家を栄えさせる、人に善い行いをする珍しい妖怪だったはずだ。
元より、俺の知るそれと、トヨ達の知るそれが、同じかどうかは分からない。
だとしても、裂けた口に牙を揃えた人形達を操り、全身を漆黒の蓬髪で包み込んだ怪物が、そんな可愛げのある存在であったとは、俺は今更ながらに信じられなかった。
「座敷童は元々個体数も少ない上に、その希少で貴重な能力から欲しがる人や組座も、とても多いの。そんな相手を新生者として、こうも早く仲間にできるだなんて、我が豊尾刈組は怖ろしいくらいに順風満帆ね、うん!!」
「つーか、俺らにはまだ、まともな家がなかった気がするんだが、それでも効果はあんのか?」
「そ、そんなのは些細な問題よ! 要は、自分を大事にしてくれる人達に、幸運をもたらしてくれるというのが大事なの! ということで、彼女の機嫌を損ねないように、しっかりとお世話をお願いね、陸海」
「いや、待て……おい待て。俺!? どうして俺が、こいつの面倒を見なきゃいけないんだ!?」
予想外の話の流れに、俺は思わず大声を張り上げる。
愕然として固まる俺に対し、トヨは顔色一つ変えず、あっさりとした口調で理由を述べる。
「だって、彼女が懐いているのは、あなただけじゃない。その内、私とかにも慣れてはくれると思うけど、それまでの間はあなたに頑張ってもらわないと、どうしようもないのよ」
さも当然のように放たれた彼女の答えに、俺としては返す言葉がなかった。
確かに、輪廻の枷によって新生者へと生まれ変わった少女は、ずっと俺の近くを離れようとしなかった。
こちらがあからさまに嫌な顔をしようが、苛立たしげに舌打ちを漏らそうが、少々乱暴に振り払おうが。
どのような無下な仕打ちを受けても、彼女はまるで俺が守ってくれると信じて疑わんばかりに、自分へと首枷を付けたはずの相手を必死になって追い続けていた。
「たぶんだけど、新生した後に初めて見た人のあなたを、自分の親とかと勘違いしてるんじゃないかしら? ある程度長く生きている妖怪とかなら、そんなことはなかったでしょうけど、彼女は座敷童としてもまだ幼い方っぽいし。ま、可愛い娘が一人できたと思えば良いじゃない」
「良い訳あるかぁ! いきなり長女とか、どんだけ過程をすっ飛ばしてんだよ! つーか、掃除の次は子守りとか、俺は家政婦かお手伝いさんかっつーの! こんなの、創生者とかいう奴がする仕事でも何でもないだろうが! お断りだ!」
「なら、その小娘を殴るか蹴るかして、痛めつけなければならないな。貴様が、己に害を及ぼす相手であると知れば、そいつも自然と離れるはずだ。至極、単純で明快な結論だ」
核心を突く玄月の指摘に、俺は一瞬だけ息を詰め、自分の右脇へと視線を降ろす。
先の戦闘で穴と傷だらけになっていた俺の着物を、こちらの背後へと立った少女は、皺が寄る程に両手で強く握り締めていた。
俺を見上げる薄っすらと濡れた両目には、寂しげで切実な光が灯っている。
弱々しく揺れるその澄んだ瞳は、危なっかしいまでの無垢さと純粋さを湛えて、庇護者であるはずの相手へと懸命に助けを求めていた。
生まれたばかりの小鹿を連想させるその様子に、俺は倦怠と徒労の混じった吐息を漏らす。
苛立ちから髪を掻き乱した俺は、固唾を呑んで成り行きを見守っていたトヨを、睨み付けるようにして振り返った。
「お前も、必要な時は手を貸してくれよ。朝から夜まで付きっきりとかになったら、先に俺が参っちまう」
「え? あっ、うん、もちろんよ! こう見えても私、けっこう子ども受けは良い方なんだから! あっという間に仲良くなって、お母さ~んなんて呼ばれるまでになっちゃうから!」
「それはそれで、俺との関係で余計な誤解を生みそうで困るから、せめて姉ちゃんか伯母さんか婆さんにしてくれ」
「だったらお姉ちゃん一択だわ!! てか、どれでも変な感じになるでしょうが!!」
顔を真っ赤にして即答するトヨに、俺は力無く肩を揺らして笑い返す。
幸か不幸か、俺には自分のために幼気な子どもを傷付けられる、覚悟や度胸は持っていなかった。
であれば、後はできるだけ身内の協力を得た上で、不本意ながらも彼女の世話を受け持つしか他にはなかった。
そもそも、トヨが本当に子ども好きのする性格なのかは、疑わしいが。
思いがけず回ってきた面倒事へと落胆する俺に、ふと真顔に戻ったトヨが問いを投げる。
「そういえば、まだその子の名前を決めてなかったわね。ねぇ、どういうのにするつもりなの、陸海?」
「はぁ!? それも俺が決めるのかよ!? てか、別に座敷童のままでも良いじゃねぇか!」
「そんなの、駄目に決まってるでしょ! 彼女は座敷童からの新生者であって、もう妖怪だった頃の座敷童とは違うの。それとも、あなたがいた世界では、父親は自分の愛娘に名前も付けないの!?」
「義理のお父さんがそれを考えるとか、そこはかとなく闇を感じるんだが」
「何にしても、あなたが命名した方が、これからお互いの関係を築いていく上でも一番でしょ? さっ、新米お父さんは初めての我が子に、いったいどんな素敵な名前を送るのでしょうかぁ~?」
半笑いの形に細められたトヨの目には、分かりやすい程の揶揄いの色が浮かんでいる。
露骨にこちらのネーミングセンスを見縊られた俺は、どうにかして見返してやろうと、全ての知識を総動員させる。
やがて、目まぐるしく脳裏を行き交っていた単語から、ひとつの文字列が浮かび上がる。
その天啓に似た閃きに、俺は一種の恍惚感さえ覚えながら、少女に最も相応しいであろう名前を口遊んだ。
「囲炉裏……『いろり』だ! こいつと俺達が出会った場所で、しかも、どことなく女の子っぽい響きをしていて、俗っぽさもあまりない! どうよ!?」
「いろり……う~ん、確かに悪くはないけど、その、ちょっと単純っていうか、安直っていうか―――― 」
「あれだけ長考した割には、無難に過ぎる発想だな。貧弱と言い換えても良いが」
「おう、文句は自分達も考えてからにしようか」
思考の限りを尽くして練り上げた俺のアイディアは、どうやら他の連中には受けは悪いようだった。
だが、俺へと寄り添う元・座敷童の少女、いろりは、言葉にされた自らの新しい名前を耳にして、僅かにではあるが嬉しそうに頬を綻ばせた――――ような気がした。




