元の世界なら、弁明の余地もなく重罪
宙と床の全方位から、大口を開けた人形達が肉薄する。
確かな殺傷能力を有して迫る、数えきれない糸切り歯を前にして、俺は腰へと下げていた壺に差し入れていた右手を抜き放つ。
時計回りに払われた拳の内からは、握られていた半透明の砂が飛び散った。
不意に放たれた細かい砂礫は、俺の目前へと迫っていた人形達へと降りかかる。
直後、床を駆けていた人形達はもんどりを打って足を止め、飛翔していた一群も激しく身を捩らせながら落下していった。
立て続けに進行を止めた彼女達は、髪や体に掛かった粉を振るい落としながら、脱兎のごとき勢いで下がっていく。
後ろへと控えていた毛玉や人形達にも、明らかな動揺と衝撃の気配が広がっていく。
目に見えて効果を発揮している、周囲へと振り撒いた一塊の塩に、俺はそれが詰められた壺を渡してきた時のトヨの言葉に嘘はなかったのだと、改めて理解した。
「はい、どうぞ。あなたは相手の注意を引いたら、これを使って時間稼ぎをしておいて。投げ掛けたり、床に撒いたりしておけば、しばらくは動きを止められるはずよ」
「あ、何だこれ……もしかして、塩か? こんなので、本当にあんな化け物共をどうにかできるのかよ?」
「塩には元々、穢れを払い清める力があるの。だから、瘴気を帯びた存在であるあやかしは、大体がこれを苦手にしているわ。攻撃としてはほとんど意味はないでしょうけど、私の神力を込めて浄化の力も底上げしているし、牽制としては充分役に立つはずよ」
「いや、だけどなぁ……う~ん…………」
「何よ、疑り深いわね。そんなに私の言うことが信じられないわけ?」
「それもあるが、これに加えたお前の力ってのが、本当に意味あんのかなって」
「いい加減、ぶっ飛ばすわよあんた」
武器として渡された調味料の性能を疑う俺に、トヨは声高にその有用性を訴え続けた。
そして彼女の説明通り、世にも怖ろしい形相をした怪物達は、揃いも揃ってただの塩へと恐れ慄いていた。
突然の反撃を行ってきた敵に、人形達は悔し紛れに牙を打ち鳴らす。
再び彼女達が襲撃を掛けるより先に、俺は壺へと入っていた残りの塩を、自分の周りへと円を描くように零していった。
標的が張った鉄壁の白線に、人形達はたじろぎ、更に対象との距離を広げる。
じりじりと後退する自らの手勢越しに、毛玉は怒りと憎しみが混ざった眼光で、俺を射差していた。
背水の陣となって守りを固める俺と、攻め手を欠きながらも一層に包囲を固める人形軍団。
互いの一挙手一投足を油断なく見張る、神経を削ぎ落としていくような睨み合いが続く中。
重く固まっていた居間の空気を、不意の打突音が静かに揺らした。
突然に乾いた音を立てる、俺の足元近くの床板に、毛玉は見開いた両眼の焦点を合わせる。
当惑の雰囲気を漂わせる相手を前に、俺は「遅かったじゃねぇか」と小声で毒づき、鋭い踏み切りから真上へと跳躍する。
高々と宙を舞った俺が、天井から下がる鉤付き棒へとしがみ付いた直後。
こちらを一斉に見上げた人形達が立つ床へと、囲炉裏の手前を中心にして、白い靄のような塊が広がっていった。
破裂音にも似た軋みを上げ、瞬く間に足下を染め上げていく無色の結晶に、異変に気付いた毛玉一党は背後へ跳び退こうとする。
だが、その時既に彼らは、足裏と床との間に生じた氷によって、その場に固定されてしまっていた。
触れた物を瞬時に凍結もさせられる、冷気と氷を操る異質の力。
それこそが、今回の作戦で敵の足止めを務める玄月が持つ、転生者としての特異な能力だった。
敵陣に乗り込んだ俺が囮役となって、人形達を離れの一ヶ所へと誘導する。
一方、玄月は隙を突いて床下へと忍び込み、俺が相手方の動きを止めるまで待機しておく。
そして、状況を見計らって俺が足音を鳴らし、その箇所へと移動した玄月が合図を返した直後、床全体を凍らせて敵の足を釘付けとする。
それこそが、豊尾刈組の賢き頭脳であるトヨが発案した、会心にして渾身の奇策であった。
正直、実行する上では問題も多々ある、机上の空論の感も否めなくはなかった。
しかし、状況は俺が危惧した事態には陥らず、彼女が狙った通りの展開となっていた。
空中へと避難した俺が掴んだ、囲炉裏の上へと伸びていた棒は、その勢いと重みに耐え切れず根本から折れてしまう。
それでも、支えを失った俺が着地をする頃には、居間に詰めていた毛玉と人形達は軒並み、凍り付いた床の上で行動不能となっていた。
身動きが取れない彼らは、薄氷による拘束から逃れようと激しく足掻く。
凄まじい速さで身悶える人形達を、俺は懐から例の紐を取り出しつつ、一足跳びに跳び越える。
彼女達の頭上を低空飛行で掠めた俺は、その中央で髪を振り乱していた毛玉へと、抱き付く格好で激突した。
体当たりを仕掛けた俺は、続けざまに相手を床へと組み伏せる。
馬乗りとなって動きを封じてきた相手に、毛玉は鋭い叫び声を上げて暴れ狂う。
間近から浴びせられる強烈な奇声と独特の異臭に、俺は一瞬、前後不覚へと陥ってしまう。
真っ暗になりかける俺の視界には、氷の届かない位置にいた人形達が、リーダーを救おうと一丸となって迫る光景が映る。
のんびりなんかしていたら、あいつらに全身の肉を齧り取られてしまう。
遠くなりかけていた気をどうにか引き戻し、俺は顔面を乱打する細い両腕を、左手でまとめて掴み取る。
そして、俺の背中や肩に乗った人形達が、その鋭い歯で自らの足場を食らおうとした時。
俺がしゃにむに突き出した紅白の紐は、毛玉を覆っていた長く黒い簾を突き破り、相手の急所である首元辺りへと命中した。
瞬間、ガサついた黒髪に埋まった俺の右手へと、留め具が掛かる小気味の良い感触が走る。
直後、毛玉は先程よりも強烈で凄絶な、しわがれた鈍い絶叫を放つ。
刹那、俺が組み敷いていた矮躯が痙攣を起こしたかと思うと、その身を覆っていた蓬髪が途端に爆発四散して飛散した。
密着した状態でまともに受けた衝撃に、俺の記憶は一旦そこで途切れる。
次に目を覚ました時、虫の羽音染みた高音が響く耳に届いたのは、甲高いトヨの叫び声だった。
「陸海、大丈夫!? 聞こえるなら、返事をしなさい!! 陸海!!」
頭へと響く彼女の呼び声に、俺は呻き声を漏らしつつ顔を上げる。
ぼんやりとした目で周りを見ると、氷が溶けて黒く湿った床の上に、日本人形達が折り重なるように散乱していた。
横倒しとなった彼女達の顔は、おちょぼ口のふくよかな物へと戻っている。
生気も殺気も欠片もないそれらの様子に、俺はどうにか五体満足で、死線を掻い潜られたらしいことを悟った。
九死に一生を得られた喜びを噛み締めていると、開け放たれていた居間の襖の間へとトヨが現れる。
部屋一面に敷き詰められた人形達に面食らっていた彼女は、やがて、その中へと埋もれるように倒れている俺の姿を見つけて喜色に顔を輝かせた。
「陸海!! ああ良かった、無事だったのね!」
「無事かどうかは、分からねぇが……どうにか、生きてはいるみたいだな」
「だったら、たぶん大丈夫ね、うん! ところで、あの妖怪は? 枷の方は付けられたの?」
「結局、そこかよ。まあ、そっちもたぶん、上手くいったぜ。ったく、こいつ、余計な手間をかかせやがって―――― 」
俺は節々が痛む体を浮かせて、下敷きとしていた毛玉野郎に目を落とす。
人形が同心円状に吹き飛ばされた俺の周りには、先程の爆発の飛散物らしき、癖の強い髪が切れ切れとなって散らばっている。
一方、爆心地となった毛玉の妖怪には、艶やかな光沢の黒髪が残されていた。
そのロングの頭髪の下には、微かな寝息を立てて眠る、幼女と呼ぶべき年頃の顔立ちをした女の子姿があった。
ちなみに、彼女の細く小さな体は、一糸纏わぬ全裸だった。




