廃屋よりの脱出
視界を黒一面に染める衝撃に、俺は後ろへと吹き飛ばされる。
室内を蹂躙する爆風に混ざって、トヨの擦れた叫び声が響く。
「きゃっ! えっ、なっ、何!?」
突然の炸裂音に身を竦ませる彼女の前に、俺は背中から床へと叩き付けられる。
咳き込みながら身体を起こした俺の眼前には、朦々と舞い上がる粉塵。
そして、その灰色の煙の中、天井から垂れ下がる鉤付きの棒にしがみつく、巨大な人毛の塊があった。
縮みきった黒々とした長髪は、一本いっぽんが意識をもっているかのように、虚空へと別れて身を躍らせている。
無数の黒蛇の団塊からは、細い手足と、爛々と輝く双眸が覗いている。
その様は、さながら生まれて一度も散髪をしたことのない、獣に育てられた野生児を連想させるものだった。
囲炉裏へと潜んでいた人型の毛玉は、眼前で凍りつく二人の侵入者を見定める。
直後、それは汚らしい頭髪に覆われた体を震わせ、見えない口から不協和音の絶叫を轟かせた。
鼓膜を破らんばかりの凄絶な叫びは、離れ全体を打ち震わせる。
その余韻が闇へと消え去らない内に、部屋へと置かれていた数多の人形達が、一斉に身震いを始めた。
小刻みに全身を震わせる彼女達を見渡し、トヨは愕然として目を丸くする。
「まさか、これって全部付喪……!? いえ、あの妖怪の気によって操られている――――!?」
驚きから考えを口へと出していた彼女は、ハッとして自らの胸先へと目を向ける。
そこでは、彼女が抱えていた人形もまた、小振りなおかっぱ頭を激しく左右に揺らしていた。
やがて、激しく振り乱していた頭を止め、それは自分を抱いている相手を見上げる。
次の瞬間、その人形は裂けた口から上下に生え揃った乱杭歯を剥き出し、面食らっていたトヨへと跳びかかった。
歪な並びの歯が、立ち竦む獲物の顔を捕えようとした寸前。
伸ばした右手で辛うじて髪を掴み取った俺は、暴れ狂うそれを即座に部屋の端へと投げ捨てた。
四肢を振り乱しながら飛んでいく仲間の悲鳴に、周囲の人形達は唇を横に裂き、大口を開ける。
ぎこちなくも素早い動きで床へと飛び降りる群れに、俺は棒立ちとなっていたトヨの腰を抱えて、半開きとなっていた襖の方へと駆ける。
あの、人の形をした毛玉が何者で、どうして日本人形達が動き出したのかは分からない。
それでも、この部屋に留まっているのが危険なことは、火を見るよりも明らかだった。
居間から逃げ出した俺達は、向かいから歩いてきていた玄月と鉢合わせになる。
彼は隣室の騒ぎを聞きつけ、様子を見に来ていたらしかった。
血相を変えて飛び出してきた二人に、彼は左目を細めて後ろに身を引く。
たじろぐ相手の肩を擦れ違いざまに突き、俺は口早に叫ぶ。
「化け物だ、逃げろ! 人形も襲ってくるぞ!」
相手が理解したかどうかを確かめる余裕もなく、俺はトヨを引き連れて広間を駆け抜ける。
しかし、縁側へと差し掛かった所で、俺達は急停止を余儀なくされた。
脱出先であった庭先には、前に運び出していた人形達が垣根を作り、出口を完全に塞いでいた。
こちらを取り囲む口裂け人形達の熱視線に、俺の頭は一瞬真っ白となる。
思考停止に陥りかけた俺は、左腕を強く引き、甲高い声で叫ぶトヨに現実へと引き戻された。
「こっちよ、急いで!! 勝手口からなら、まだ逃げられるはず!」
呆けていた俺を青白い顔で叱咤し、彼女は縁側の先へと駆けていく。
後も振り返らずに走り去る細い背中に、俺も慌てて後へと続いた。
後方からは居間から追いすがってきた群れと、庭で包囲網を作っていた一群が合流し、遁走する侵入者達を雪崩となって追跡してきた。
それでも、獲物へと跳びかかる尖兵達は、こちらの最後尾を詰める玄月が振るう箒の前に、いずれも叩き伏されてしまっていた。
背後に凄まじい数の足音を聞きながら、俺達は全速力で曲がり角を越える。
薄暗い廊下の遠目に見える突き当たりには、炊事場らしき部屋の一角と、その奥に置かれた屋外への出入り口らしき扉が見えた。
「あそこよ、走って! 外に出られれば、まだどうにかなるはず―――― 」
トヨは弾ませた息を縫って、後続の俺と玄月を鼓舞する。
いかにもリーダーっぽい彼女の発言は、しかし最後まで言い切らない内に、前方へと横の通路から溢れてきた人形の波に遮られてしまった。
「はあっ!? えっ、ええっ、嘘でしょうっ!? これじゃ、逃げ場なんてないじゃないの!!」
あえなく逃走路を潰されたトヨは、急制動をかけて悲壮な叫びを響かせる。
早速万策が尽きて頭を抱える彼女を横目に、俺は元来た道の方を顧みる。
先んじて追ってくる人形達は、玄月がどうにか食い止めてはいる。
だが、その後ろには面となって押し寄せる軍団が目前に迫っており、既に猶予はないに等しかった。
前後を封鎖された状況に、俺は左右へと目を配る。
左には、居間や広間と隣り合う、別の一室との仕切りである障子。
右には、外側に裏庭があったはずの、重たい色彩をした土壁があった。
正体も数も力も定かでない相手と、正面から戦うのは得策ではない。
となると、残された選択肢はひとつだった。
俺は絶望するトヨと、奮戦する玄月に断りを入れず、左隣にあった障子を開け放つ。
その部屋もまた、壁際には数十体の人形達が鎮座していた。
次第に生気が吹き込まれていく彼女達に構わず、俺は室内へと覚悟を決めて跳び込む。
そして、可能な限り助走と勢いをつけ、正面に捉えていた土壁へと右肩から体当たりを仕掛けた。
正直、上手くいくかは分からなかった。
それでも、常人を越えた脚力と耐久力を獲得していた俺の体は、若干劣化していた離れの壁を粉砕し、大穴を開けるのに成功した。
瓦礫と共に外へと飛び出した俺は、急いで穴の中を目掛けて叫ぶ。
「こっちだ、早く出て来い! 急げ!!」
俺の呼びかけに少し遅れて、新たに作られた脱出口からは、まずトヨが転がり出てくる。
続いて、素早い跳躍から玄月が続き、無事に三人とも屋内から逃れることができた。
死地を脱した俺達は枯れた生垣を蹴倒し、離れの敷地外へと出る。
近くにあった畑の上まで距離を取った後、俺は離れの方を確かめる。
壁に開けられた縦穴からは、無数の小さな瞳がこちらを見つめていた。
逃げおおせた闖入者を、しばし静かに凝視していた彼女達は、やがて物陰の闇へと下がっていく。
どうやら、これ以上の追撃は行われず、見逃してもらえたようだった。
身の安全を確信した俺は、そこでようやく全身に漲らせていた緊張を解く。
震える膝へと腕を突いて喘ぐ俺の横では、同じく力と気が抜けたトヨも、乙女座りでへたり込んでいた。
共に額を汗で濡らし、荒い呼吸音を合わせ続ける俺達に、玄月は素早い足取りで歩み寄る。
「あれは、何だ? 人形の付喪のようでもあるが、お前達のいた部屋からの炸裂音を境に、途端に牙を剥いてきたというのは面妖だ。あそこでいったい、何があった?」
僅かに苛立ちと興奮の混じった声音で、彼は問いを突きつける。
鋭い眼光から尋問をする相手に、俺は引きつった笑みを浮かべ、彼の右斜め下を顎で示した。
「詳しいことは、そこの張本人に訊いた方が、早いんじゃねぇか?」
俺の発言に眉を顰め、玄月は指された方へと視線を降ろす。
そこで初めて、彼は自分の持つ箒の尾に、一体の人形が齧り付いていたのに気付いた。
直後、彼は無言かつ全力で、自らの愛刀を不気味なストラップごと、離れへと向けて放り投げた。




