廃屋に住む者
腐りかけた雨戸を開くと、重たく温い空気が溢れ出してきた。
ひっそりと静まり返った縁側は、夜よりも暗い闇に淀んでいる。
鼻腔へと突き刺さる、饐えたカビの臭いに耐えつつ、俺は残りの戸板も一気にしまう。
完全に開放された廊下を前に、トヨは左右の戸袋から戻ってきた俺と玄月を流し見た。
「じゃあ、早速始めましょうか。床板とかは後で張り替えるって話だから、土足で構わないそうよ」
彼女の指示に従い、俺達は静まり返った廃屋の中へと足を踏み入れる。
顔の前へと舞い上がる埃を払いながら、俺はふと、先程の雇用主の男性の言葉を思い出す。
彼は改装に先立っての離れの掃除を、使用人達が気味悪がって嫌がっていると言っていた。
自らの主人の命令も拒むとは、いったいどのような理由なのだろうか。
ふとした疑念を脳裏に転がしながら、俺は薄汚れた紙の張られた障子を横に引く。
目の前へと現れた光景は、俺の抱いていた疑問へと、説明不要の回答を示してくれた。
久方ぶりの来訪者を迎えた大広間には、三方向の壁一面を埋めるようにして、大小様々な日本人形が部屋の中心を向いて並んでいた。
「いやいやいや、おいおいおい……なん、なんだよ、こりゃあ―――― 」
思いもかけない先客達に戸惑う俺へと、トヨは少しばかり上擦った声で、それらの正体を明かす。
「先代のご主人の蒐集品だそうよ。数年前に彼が亡くなった後、彼の住んでいたこの家に放置されていたみたい。生前は他の家族も黙認していたけど、あまり関わりたくなくて見て見ぬふりをしていたとか何とか」
「確かに少しだけならともかく、こんなにうじゃうじゃいたら気持ち悪いよな――――って、おい、ひょっとして今回の俺達の仕事って…………!?」
「そ、ここにある人形を全部外に出して、処分すること。ひとまず、この部屋にある分は残らず庭に運ばないとね」
的中した最悪の予想に、俺は雨漏りの染みが滲んだ天井を仰ぐ。
隣で無言を貫いていた玄月も、心なしか憮然とした目付きで、壁際に隙間なく起立する人形達を眺めていた。
まず俺達は、今は亡き先代の忘れ形見達を、部屋から連れ出す作業へと取り掛かった。
ほとんどの人形は、腕に抱えられる程の大きさで、持ち運びは簡単ではあった。
それでも、両手に一体ずつ持った彼女達の、自分を抱き上げた相手を見つめる硝子質な瞳は、形容しがたい不気味さと居心地の悪さを催さずにはいられなかった。
自然と全員が無口となりながら、作業へと没頭すること30分程。
最後に残っていた、少し大きめの人形を俺が庭先の列へと加えて、広間の整理は一通り完了した。
「よしと……これで、部屋のは全部運び終わったな。あー、マジで気持ち悪かった…………」
目の前で列を成して並ぶ、薄く埃を被った小さな少女達を見渡し、俺は今一度肌を粟立たせる。
取り残しがないか確認を済ませたトヨは、屋外に出ていた俺達の所へと戻り、続いての号令を下す。
「じゃあ、この部屋の分はお終い! 玄月は置いてある台を、綺麗にしておいて。その間に私達は、先に別の部屋のを運び出しておくから」
「ああ……はあっ!? え、いや、まだこいつら、他にもいるのかよ!?」
「たったこれだけのことで、羽振りの良い報酬なんて払ってもらえるはずなんかないでしょ。さ、分かったら諦めて、さっさと次に行くわよ」
人形達が乗っていた台を、何食わぬ顔で拭く玄月を尻目に、俺はトヨに急かされるまま奥の部屋へと移る。
広間から襖一枚隔てた居間には、同じく大勢の人形達が待ち構えていた。
絶句する俺の背後から中を見たトヨは、小人の影に溢れ返った内装に、呆れた様子で溜息を漏らす。
「一応聞いてはいたけど、改めて実際に見ると本当に凄い数ね……。 あの人の父親って、何でまた似たような人形ばっかり、こんなに揃えてたのかしら?」
「さあな、そういう趣味だったんだろ。ここまで来ると、明らかに普通じゃないけどな」
「確かに、一人ひとり良く見れば個性もあって、可愛い気もしなくはないしね。ほら、この子なんて、私にちょっとそっくりじゃない?」
「そうだな。特に、無駄にうるさそうな口とか、変に間が抜けてそうな目元とか」
「ひょっとしてじゃなくて、絶対に私を馬鹿にしてるでしょ、あなた」
胸元に掲げた人形と同様、無表情となって睨む彼女から離れて、俺は部屋の中へと進み出る。
むせる程の埃っぽい空気が封じられていた部屋は、足元も良く分からない暗がりに満たされていた。
採光と換気、そして人形の移送のためにも、そこの廊下側の戸も開けておく必要があった。
部屋を横切っていた途中、俺は居間の中央にあった囲炉裏の端に、一体の人形が無造作に横たわっているのを目に留めた。
壁際にある棚から転がってきたにしては、不自然なくらいに距離がある。
以前にここを訪れていた誰かが、落としていったのだろうか。
俺は不思議に思いながら、独り孤立した彼女の上へと屈み込む。
帯びの巻かれた胴体を掴み、拾い上げようとするが、なぜか床に張り付いていて動かない。
目を凝らすと、色褪せた振袖から突き出した固い肌質の右足を、下から小さな手がしっかりと握り締めていた。
更に良く見ると、縁に人形を乗せていた囲炉裏の内側には、数えきれない本数の長い髪が隙間なく重なり、とぐろを巻いて収められていた。
「え、っ…………?」
予想だにしない事実を前に、俺は思わず弛緩した息を零す。
その声を合図にして、うねりくる黒い水流の境目へと、二つの目玉が浮かび上がった。
ねっとりとした光を帯びた謎の双眼と、俺の視線が交わる。
直後、俺が状況を理解し、悲鳴を上げる暇もなく、その黒々とした毛玉は何の前触れもなく爆発した。




