角を曲がると
第一章エピローグ 角を曲がると–a
角を曲がると、彼女は泣いていた。
静かな街の一角。路の隅。あやめ色にそまった空。流れる雲もゆっくりで、非日常の光景はまるで夢の中にでもいるかのようだった。
彼女の目から溢れる涙は夕日を虹のように変え、虹の光は僕の視神経を強く刺激した。
「ずっとこの時を待ってた。君がここまで来てくれるのを」
涙ぐんだ声で僕にそう言った。
第二章プロローグ 自由
自由とは何か。
自由は肝要な要素でありながら誰もこれを深く考えようとはしない。それは何にも拘束されないことか。それは何をしても良いことか。違う。そのどちらでもない。自由とはもっと単純で簡単なものだ。選択肢を与えられた時、よく人は自由を口にする。その選択肢こそが自由を阻害しているというのにもかかわらず。
小学一年生の時、君は僕に恋をした。頬を赤くした君、放課後に二人きりになった僕ら、その理由はまだ僕には分からなかった。好きと言った君に少し照れながら僕はそっぽを向いた。
中学二年の時、僕は君に恋をした。人生で初めて買ったおしゃれな便箋。緊張から寝れなかった告白前夜。でも僕の気持ちは君に一蹴された。嘲笑うような君の目は僕の心を奥まで見透かしているかのようだった。
高校二年の今、僕と君は何を思ってるのだろう。
第三章ここまで
「じゃあね」
僕はいつも通り彼女にそう言った。
七月の末、期末テストも終了し、夏休みを控えるだけとなった。
「家までは送ってくれないのね」
不敵な笑みで僕の心を覗いてこう彼女は言うのだ。
「ここが真ん中だろ。送るのはこの角まで」
いく度目のやり取りだろうか。定期的に決して忘れず彼女はそう聞き、僕はこう返す。このやり取りは二人だけのものだ。
静かな住宅街、角に立つ瓦ぶきの酒屋の前。隅の錆び付いた自動販売機が立っている。
「私のこと好きじゃないの?」
「その話はしないでくれ。腹が立つ、自分とお前に」
あからさまに怪訝な表情を彼女に向ける。お互い友人でいる今の関係がとても心地良いのだ。
「ちょっと座ろ」
そういうと彼女は酒屋の前のペンキの剥げかけたベンチのはしっこに腰をおろした。彼女はにこやかな表情を変えずに、両膝を小さく閉じた。僕は自動販売機で二つサイダーを購入した。
「あついねえ」
僕はそういうと彼女にスチール缶を片方手渡した。彼女は表情を変えずにそれを受け取る。晴天の真夏日、日は若干の傾きを見せるものの未だ入道雲と共に気合い十分だ。アスファルトの熱は打ち水を溶かし、夏の泥臭い香りがした。彼女の前で立ったまま、僕は遠い空を眺め、サイダーを一気に喉に流し込んだ。
「ほらおいでよ、膝」
僕がサイダーを飲み終わるのを見届けると彼女は自分の膝をポンポンと叩いて言った。おう、と短く返事をすると彼女の膝に頭を乗せ、ベンチに横になった。
「かわいい」
うふふ、と彼女は僕の顔を覗き込みながら小さく笑い、そう言った。
「おめえの方がかわいいだろ。なに言ってるんだよ」
「当然じゃない、冗談よ」
少しささやき声になった。そんな心地の良い彼女の声を聞き、僕は目を閉じた。
少し涼しい風が頬を撫でた。
「冷い」
ふふ、とまた彼女の笑い声が聞こえた。おでこに冷んやりとした何かが当たっている。
「やめる?」
「やめない」
時より吹く風が夏本番を前に背を伸ばした葉を揺らす音がさっきよりも鮮明に聞こえる。
「じゃあ、やめようかしら」
ふふふっ、と彼女はイタズラに笑うと額に当たっていたスチール缶をそっと離した。
僕は眩しい日光を避けるように目をそっと開けた。日光は目を完全に開けきるまでに彼女の顔に遮られた。
「ーーっ!」
僕はおどろき目を見開いた。
「嫌だった?」
彼女は傾いた陽の光を背に照らしながら今にも泣き出しそうな顔をしていた。
第四章ここから
「今日は来てくれるのね」
傾きかけた太陽が二人の帰り道を照らしていた。その光はこころなしか昨日よりも小さく、弱かった。いつもならじゃあねとお別れを言う酒屋の前を僕らは通り過ぎた。
「おう、今日はどこまでも俺はついていくぜ」
少し冗談めかして威勢を張る僕。
「じゃあどこまでもついてきてもらおうかな」
いつも通り笑う彼女。でもそれは不敵な笑みではなかった。その笑顔を僕に見せまいと笑いながら彼女は駆け足で角を曲がった。
斜めに差すあやめ色の夕日は眩しく、あたりはまるで夢の中にいるかのように幻想の中に落ちる。
そして、僕もその角を曲がった。
第五章エピローグ 角を曲がると-b
「ここまでじゃない、どこにだっていくよ」
「どこだって?」
彼女は涙をぬぐっていた手を止め、確認するように目線を僕に向けた。目と頬は夕日に照らされ紅潮し、ぬぐった涙はそれらを反射した。
「そう、どこだって」
僕はそっと彼女の背に手を回し、光と共に彼女を包んだ。
この角を曲がった僕には新しい自由が生まれた。