【刀剣乱舞】 鯰尾藤四郎夜話 【短編】
ブラウザゲーム刀剣乱舞の短編二次創作です。お暇な時にでも読んでもらえると嬉しいです。
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登場人物
越前康継・・・家康お抱えの刀工。下坂の棟梁。
少年・・・具足師見習い。老人を慕っている。お使いとして下坂の家に出入りしている。
後藤藤四郎・・・付喪神。粟田口吉光に鍛えられた。徳川美術館にある国宝。
鯰尾藤四郎・・・付喪神。同じく粟田口吉光が鍛えた。もとは小薙刀であったと伝えられている。現在、徳川美術館で特別展示中。
元和元年(1615年)閏六月十六日夕刻。
山城の国大宮押小路二条亭。大宮とは皇居を意味するが、今や徳川家康の宿所である。
大阪城の焼け跡から集められた名物の調査に家康お抱えの刀工達が呼ばれていた。
「おおおおお」
突然の老人の哭泣に若き検分監督役は面食らった。
「ど、どうなされましたか」
いきなりの事である。
老人は破損した刀の再刃を依頼することになっている刀工である。
確かに名物の焼失に心を痛めない工人はいまい。
それにしても過剰である。
検分役の怪訝な表情に、隣に立つ老人の息子は笑顔で取り繕うように言った。
「親父はいつも刀の事になると不安定になる。お見苦しいところを」
そのまま肩を貸して老父と共に退出しようとした。
どうにも説明になっていない。
不安を感じた検分役は慌てて二人の背に言葉を投げた。
「大御所様の命ですぞ。ゆめゆめ違えることのないように」
戦国時代最大規模の戦いとなった天王寺岡山合戦からまだ日は浅い。
三日前には居城以外の城を破却するように年寄衆が諸大名に通達したばかりである。
戦乱の世は終わりを告げたのだ。
しかし刀工にとっては試練の始まりであった。
尾張徳川家は家康の九男、義直からはじまる。
駿府城で死去した家康はその遺産のおよそ三分の一を義直に遺した。
世にいう『駿府御分物』である。
莫大な宝物に金子四十万両。尾張徳川家は将軍こそ輩出しなかったものの御三家筆頭としての地位を幕末まで守り抜いた。
徳川黎明会が運営する徳川美術館は文字通り大名家の宝庫である。
ここは尾張徳川十九代当主にして植物学者、徳川義親博士の寄附により創立された。
今日に伝わる国宝九件、重要文化財五十九件を含む一万点に及ぶ収蔵品は様々な企画展で見ることが出来る。
名物、鯰尾藤四郎は夏に展示されるはずだったが、このたび春を待たずして特別展示されることになった。
鎌倉時代より伝わる薙刀直しの脇差である。
古き物に霊魂が宿る。
この考え方は『付喪神絵巻』を紐解くまでも無く、ごく一般的なものとして日本人の深奥に根ざしている。
今宵、一つの名物に微かな光が宿った。
「やあ。今夜も冷えるね」
「春はまだ先だからね。君のほうから会いに来るとは珍しいな」
静まり返った館内に少年の声がする。
「珍しいとはこちらの台詞だ。近ごろ、沢山の人が訪れる。どういうことかと思って」
少年は二人。
一人は黒髪に線の細い端正な顔立ち。もう一人も子供の背丈くらい、その立ち姿は朧げである。
「さあ。分からない。分からないが暇していたのでそんなに悪い気はしないよ」
黒髪の少年は展示ケースの前でしゃがみ込んだ。
「こうして言葉を交わすのも久方ぶりだ。どう?少しは思い出せた?」
「過去なんかどうでもいいじゃないか」
少年は短く押し殺したように笑った。
「そうだったな。しかし、それはそれで寂しい。せっかく親父の思い出話でもしようかと思っていたのに」
二人は同じ名を持つ。
「親父か。思い出せないな。ただ…」
「ただ?」
「忘れられない人が居るんだ。俺にとってはその人こそ…」
福井城城下、越前北庄には早くも雪が降り始めていた。
いまだに薄着の少年は風呂敷に酒を包んで鍛冶工房を訪れていた。
少年は大きく息を吸った。この屋敷の人々は大声でなければ聞こえないと知っている。
「市之丞さん!じいちゃん居る?」
声に振り向いたのは鍛冶場の火で浅黒く焼けた男だ。
仕事柄、鍛冶師は色黒で耳や目が不自由な者が多い。
勤勉の証であり、この屋敷の男たちはそれを誇りにしていた。
「おお、長曽祢のとこの。よく来たな」
市之丞は白い歯を見せた。
「江戸から戻ったと聞いたので。師匠が酒を持って行けってさ」
ここの主、下坂康継は五十人扶持の士分である。
江戸と越前を行き来している。
「おお。ありがとよ。でも親父は呑まないと思うぜ。ここに戻ってから塞ぎ込んじまって。廃業だとかぬかしやがる」
「どうして」
「どうしてかなあ。親父のことはさっぱり分からん。この前も参ったよ。いきなり泣きだして。お前、大阪城攻めの話は聞いているよな」
「うん」
「大御所様からまた仕事を頂いたんだ。焼けた刀の再刃だ」
「再刃って何?」
少年は首を傾げた。
「そんなことも知らねえのか。お前も工人見習いだろうが。再び焼き直して刃紋をつけ直すんだ」
「へえ。俺、具足師だから」
「言い訳になるかよ。でさ、いつもみたいに親父を励ましてやってくれ。偉大な先人の傑作中の傑作を打つんだ。重圧は感じてるだろうよ。同じ刀工だからこそ分かるぜ」
二代目は初代と作風が似ていると評されるが、若干豪壮な刀を打つ。気質がそのまま刀に出ているといえよう。
初代康継は繊細な刀を打ったかと思えば豪壮な物も打つ。
感情も繊細かつ喜怒哀楽が激しい。
老いても情緒落ち着かず、捉え所が無い。
市之丞からするとどうにも反りが合わないと感じてしまうのだ。
離れには白い装束に身を包んだ老人が端坐していた。
「じいちゃん。寝起きかい?」
「おお。なんと」
老人は立ちあがって両手を広げた。
市之丞の話とは違い、意外と元気そうだ。表情は曇りなく澄んでいる。
「うちの刀工になる決心はついたか」
下坂に来るといつも言われる挨拶のようなものである。
「やだよ。俺は具足師になるんだ。あ、これは師匠から」
「そうかそうか。ありがとう」
老人は満面の笑みで酒瓶を受け取った。
「それからこれ持って来たよ」
以前訪れた時に老人が少年に出した課題である。記内鐔の写しである。龍を丸彫り透にしたものだ。
老人は凝視し、ほうと感嘆した。
「小僧といえども、さすがに長曽祢の具足師。器用なものだ」
老人は少し考え込んでいたが膝を叩いて立ちあがった。
「ついておいで。家の甲冑を見せてやろう」
意外な言葉に少年は喜んだ。
下坂の蔵を見せてもらうのは初めてだ。
「でかい」
想像以上に大きかった。
西軍の残党であった下坂がここまで大きな蔵を持つ理由がその中にあった。
「結城様から拝領した鎧がこれ。こっちは大御所様から頂いたものだ。存分に見るがいい」
康継の「康」の字は家康から認められた証であった。
少年が夢中で見ている間に、老人は二階への階段を降ろす。
蔵の二階は綺麗に掃除されていた。
薄暗い部屋の真ん中には襤褸布が広げられていた。
その上には煤けた刀が数本置かれている。
「じいちゃん、これは何」
敷かれている襤褸布には、よく見ると紋様が染め付けられている。
大円を囲むように丸が八つ。
九曜紋である。
「今でこそ徳川の禄を食むが、わしは石田様にお仕えしていたのじゃ。近江坂田郡下坂村で代々鍛冶をしておったからの。…お前の師も関ヶ原では西軍だったと聞いているな」
「うん」
「あの日、生き残った家族と唯一持っていたものじゃ」
それほど大事なものの上に置かれた刀。
その中の短く太い輝きに少年は顔を近付けた。
「ふうん。これがじいちゃんが尻ごみするほどの傑作かあ」
老人の眉が動いた。
「あのおしゃべりめ。あいつは何も分かっとらんの。わしが尻ごみするわけがない」
「そうだよね。師匠が言ってた。じいちゃんは一時代に一人しか出ない刀工だって」
老人は満足げに頷いた。
「わしも自覚しておるよ。そのような自負が無ければ葵を掘ることなど許されぬわ」
老人の調子の良さに少年は思わず笑った。
「そこは否定しないんだね。じゃあなぜ打たないのさ」
老人は真っ黒な刃を手にとって見つめた。
「お主が見ているこれはな…。太閤様が絶賛した天下三名工が作りし鎌倉時代の傑作。鯰尾藤四郎じゃ。石田様の口利きで奉刀した時、太閤様に見せて頂いたことがある。太閤様亡きあとは秀頼様が好んで差していたと聞いていたが…」
石田と口にした老人の肩は小刻みに震えはじめた。
少年は老人が涙を流していることに気付いた。
関ヶ原の後、着の身着のままで落ちのびた下坂家を養ってくれたのは結城秀康であった。
結城秀康は家康の実子であるが、子の居なかった秀吉から一字をもらい可愛がられた。
また結城は石田三成と昵懇の仲であった。ゆえに下坂を気に掛けたのは実力だけの問題ではあるまい。
家康に下坂を推挙したのも結城である。
老人は刃を押し戴き、目を閉じた。
「葵の紋と言ったが、わしは家族を食わせねばならなかった。今や敵も味方も…恨みもない。無いが…」
黒き刃に老人の涙がぼたぼたと落ちる。
「どうしてのうのうと生きて来られたのか。ついにつき付けられた気がするのじゃ」
徳川にも恩はある。しかし徳川の為にこの鯰尾を打ち直すこと。そこまでは出来ない。
少年は困惑した。
家族を養えたのなら胸を張れば良いではないか。
「じいちゃん、俺もう帰るよ。色々見せてくれてありがとう」
「親父の様子どうだった」
「なんか泣いてた」
「ちっ。また愚図愚図と」
「石田様に申し訳ないとかなんとか」
市之丞は少年に顔を近付けて押し殺すように言った。
明らかに苛立っている。
「いいか。世が世だ。爺の戯言でも許されないものがある。絶対に誰にも言うなよ」
少年は誰に対しても物怖じしない。
良い機会なのではっきりと言うことにした。
「市之丞さんはじいちゃんにいつもきついよね。尊敬してないの」
少年の忌憚の無い物言いに、思わず市之丞は顔を背けて呟くように言った。
「阿呆。俺の師だぞ。希代の名工の作も、あの人が写せば真贋不明になるほどだ。才もあり、努力もして、天に運をもらわなきゃ葵の紋を許されるはずがねえよ」
だからこそ、煮え切らない父がもどかしい。
事実、二代目は葵紋を茎に多く刻むが、初代が刻んだ物は極端に少ない。
「過去なんてこだわる必要はねえ。今居る所で全力を尽くすのが乱世の刀工だろうが」
他の家の事情は少年には分からない。
分からないが市之丞の考え方は老人の気持ちよりも少年には分かり易かった。
「そういやじいちゃん寝巻のままだったよ。体調悪いんじゃないの」
「そりゃだらしねえな。うん…?」
父親の様子を見に行くようだ。なんだかんだ言っても親子である。
少年はそのまま下坂の屋敷を出た。
雪は薄く降り積もっている。
心に何か引っかかっていた。何か忘れているような。
下坂家はすぐに大騒ぎになった。
庭には御座が敷かれ、そのうえで老人は刃を握る。
その腕を認められ、数多の主君を渡り歩いた日々。
その葛藤と決別する日が来た。
白装束に鯰尾藤四郎の黒い刃を握りしめている。
「親父!馬鹿な真似はやめろ」
下坂の家人が集まり、固唾を飲んで親子を見守っている。
康継は口元を引き締めると背を伸ばし、大喝した。
「馬鹿と言ったな。その馬鹿がお前らを食わせてきたんだぞ」
「だったら、なおのこと止めろ。親父が腹を切ったら下坂家はお終いだ」
「安心せい。お前はもう松平家お抱えの立派な刀工だ。胸を張って生きろ。わしは刀工の前に武人である」
はったりではない。彼は武人であった。戦で武功を立てた事もある。自らの腹を裂いて死ぬことも容易い。
親父の目は本気だ。
何を言っても聞きそうにない。
息子は言葉を選ぶ愚を悟った。
「俺には親父の生き方が眩しかった。この戦乱の世に生を受け、死線を何度も潜り抜け、天下の刀工が羨む地位に上り詰めた。立派すぎるよ。なあ親父。最期まで飾る必要ないだろ。勘弁してくれよ…」
老人は無言で息子の嘆願を聞きながら腕と刀身を布できつく縛った。
別れの時である。
「介錯不要。さらば」
切っ先を腹に当てようとした、次の瞬間。
「じいちゃん、今日の課題を出しておくれ!」
少年の声が響いた。
「子供に見せたくはない。つまみだせ」
刀工達の逞しい腕が少年を抱きかかえた。
少年は叫んだ。
「じいちゃん、鯰尾が泣いている。太閤様の形見を燃やしたままで顔向け出来るの?亡くなった結城様も石田様もじいちゃんの刀工としての才を買ったんだ。それで腹を切る事じゃなく、鯰尾を再刃することが本当の供養になるんじゃないか」
老人は口を固く結んだままだ。
首を振った老人は刃を振りかざした。
「俺、刀工になる!鯰尾藤四郎は俺が打ち直す!」
はっとした顔で少年を見た康継は怒りの声をあげた。
「舐めるなよ小僧。具足師はどうした?」
「俺は天下一の具足師になる。その後で天下一の刀工になる」
場は静まりかえった。
一同、唖然とするばかりだ。
押さえつけている家人の腕を振りほどくと少年は老人に歩み寄った。
老人は少年を見据えた。
「どちらの夢も人生五十年、全て費やしても適わぬぞ」
「ああ。俺だけの力では無理だ。天下一の師匠が二人居る。だからじいちゃん死ぬな。余生を俺にくれ」
沈黙の後、老人は吹きだした。
「余生をよこせだと」
「そうだ。捨てるくらいなら鯰尾と共に」
孫を見るような、いつもの優しい顔に戻っていた。
「この下坂の命を使い天下一を目指すと?老いぼれの散り際を邪魔したのだ。相応の覚悟は出来ているな」
市之丞が慌てて駆け寄り、父の体から刃を離した。
笑いながら少年を振り返った。
「おうおう。天下一の具足師にも刀工にもなれそうだな。お前、口が達者だな。きっと商売人にもなれるぞ」
その日のうちに鯰尾藤四郎は再刃された。
鎚を握ったのはもちろん初代康継本人である。
こうして天下の名刀は家康の命により蘇った。
蛇足であるが、翌春、家康は鷹狩りで倒れ恢復しないまま亡くなる。康継は六年後の元和七年九月九日まで生きた。少年は具足師として名声を得たのち、齢五十にして江戸に登り刀工となった。古い鉄から名刀を次々作り「古鉄」転じて「虎徹」と名乗る。後世『古今鍛冶備考』にて最上大業物と評される。
館内は黎明に冷え込みを増した。少年は立ちあがった。
「お前を打ち直した奴、お騒がせ者だな」
「そうかな。真っすぐな人だと思うけど」
名物が一流の質を持つのは当然だが、どのような持ち主を渡り歩いたのかも評価に加味される。
天下人が名物を望むのは先人の生を受け継ぐ意思の表れでもある。
人の想いや生き様が強烈に焼き付けられた名物は見る者を魅了し続ける。
「俺たちの親父も負けないくらい変わった人だったけどな。過去を振り返らない主義のお前でも面白がると思うぜ」
「それは是非、詳しく聞きたいな」
「まあ、夜が明けるのでまた今度。今日も人間観察を楽しんでくれ」
黒髪の少年はくすくすと笑った。
「人間観察って何だよ。ひょっとして仕舞い込まれてるやっかみか?お前もじきに展示されると思うのでお楽しみに。国宝さん」
刀身が怪しげに光ると館内は再び静けさに包まれた。
人々の想いと共に彼は今日もここに在り続ける。 (了)