【優しい魔法使い】
目覚めたクロエを待っていたのは少々カビ臭い、けれど親しんだ部屋の匂いと見慣れ過ぎた天井の染みだった。
「…………家」
ゆっくりと身体を起こし、右を振り返るとそこには勉強机とスカスカの本棚が並び、左を向けば小さな窓から陽の光が差し込んでいる。
紛れもなく、ここは『ネコとホウキの魔法店』の二階にあるクロエの寝室だった。しかし、鉱山に出かけていたであろう自分が何故この場所にいるのかサッパリ理解出来なかった。
自分の状況を確認するため、クロエは少しだけ記憶を遡ってみることにする。
店で暇を持て余していたクロエは、冒険者になりたいという少女グレアと南地区の食堂で偶然出会い、そしてやや強引な流れではあったが北地区のギルドへと彼女を案内をした。それから、結局食べそこなった昼食を取るためにお隣さんのパン屋さんで食事をして、半年ぶりに鳴った来客のベルとサヴリナの後押しで店に向かいグレアと再会。しかし、冒険者ギルドへ向かった彼女は星詠石の不備という理由から冒険者登録の申請が通らず、ならば自らが鉱山に行って採掘しようと立ち上がるも、星詠石のことなんぞちんぷんかんぷんなため、魔法使いであるクロエに同行を求め、共にスティラ鉱山へと赴いてそれから……それから?
「…………私は、私……は?」
何故だろう。
そこから先、鉱山に入ってからの記憶を思い出そうとしても、まるで記憶の糸がプッツリと断たれてしまったかのように何一つ思い出せなかった。採掘は成功したのか? いや、それなら何故自分はベッドの上で眠っていたのだろう? 失敗した? クロエが途中で倒れてしまって、グレアに運ばれてここに居るのだろうか? なら、彼女は今何処に?
「あ、おはようクロエ。気分はどう? どっか痛いところとかない?」
「……マルク」
ベッドの真横にあるシュルフの上、気がつくと透明な水差しの隣に黒い塊がどてーんと寝転がっていた。首元だけ白い塊はんーと伸びを一つ、それから大きく欠伸をしてから姿勢を正しクロエに向き直った。
「……私、どうしてここに? それに、あの……グレアさん、は……?」
「その様子だと、鉱山で何があったのかは覚えてないみたいだね」
こく、と小さく頷くクロエを見て、マルクはやっぱりと呟き尻尾を揺らした。
「んじゃ順番に答えるよ。まず、ボクたちはお姉さんと一緒に鉱山に入った。そして奥まで進んだところで予想外なゴーレムと遭 遇。お姉さんの渾身の一撃がゴーレムの目に直撃して沈黙したと思ったら、クロエのお母さんのデネブがカボチャに乗って現れた。……ざっくばらんに言ってみたけど、覚えてない?」
「……お母……さん」
切り離されていた記憶の糸が、緩く絡んで結びついていく。
脳裏に高飛車な笑い声と、そして冷徹な眼差しが浮かび上がりクロエの心の奥底を揺れ動かす。
「…………そうだ、思い出した……」
「久々のお母さんはどうだった、クロエ?」
「…………」
鉱山での彼女に対するクロエの反応を鑑みれば、その関係が好ましいモノでないことは言わずと知れる。彼女にとってクロエの存在はただの“失敗作”でしかなく、そしてクロエにとっては――恐怖そのものだった。
「それにしても、何でデネブまで星詠石を狙ってたんだろ? 星詠石ってさ、ティンクルスター以外に使い道あったかなぁ。たしかにアレは不思議な素材っちゃぁ素材なんだけども」
「…………知らない」
吐き捨てるように呟くと、クロエは再びベッドに身を預け瞳を閉じた。
朝から騒動に巻き込まれ、昼になれば強引に連れ出され、そして最後には会いたくなかった母親に会ってしまった。そんな嫌な記憶を全て、何処か遠い場所へ放り投げてしまえればいいのに。
「……」
……ひとつだけ、気掛かりな事を思い出しクロエは横たわったままマルクに訊ねた。
「グレアさん……は?」
「ん? お姉さんかい? あのお姉さんならさっきスティラ鉱山に向かったところだにょうわ――ッ」
相棒の言っている意味がサッパリ分からず、思わずクロエは彼の首根っこをつまみ上げた。
「……グレアさん、傷だらけのはず……それなのに、どうして?」
平時よりトーンを落としたクロエの声には妙な迫力がこもっていて、思わずマルクはごくりと生唾を飲み下し身振り手振りを加えながら事情を話し始めた。
「ボクは一応止めたんだよ。でも、あのお姉さんにも思うところがあるらしくてさ、どうしても行くって言って聞かなかったんだ。あー、でも心配しないで。お店の薬で応急処置はしてあるからまだ死んでな――」
「…………ッ」
あの時の光景がクロエの脳裏にフラッシュバックする。ゴーレムの剛腕を、ほとんど勢いだけで受け止めた血塗れの後姿。瀕死の重傷のはずなのに、お店で扱っているような簡単な薬で応急処置してもほとんど効果が無いのと同じだ。それは彼女だって分かっているだろうに、どうして……?
「……ダメ。止めに行かなきゃ。あの人、死んじゃう……」
「クロエ」
帽子に手を伸ばしたその時、足元から聞こえたとても平淡な声に足が止まる。
「別にさ、放っておいてもいいんじゃない?」
相棒の、そんな予想外の言葉に半身だけ振り返ると、緑色のネコ目が淀みなくこちらを見据えていた。
「あのお姉さんのコトは、別にクロエには関係の無いじゃないか。今ここで無視しちゃえば、二度とデネブに会うことも無いと思うよ。……だけど、鉱山に戻ったらお姉さんもクロエも一緒に殺されちゃうかもしれない。それはそれで、とても不毛なことだと思わない?」
「…………でも」
グレアを見捨てるという、選択肢。
所詮は今日会ったばかりの、たったそれだけの間柄。言ってしまえば彼女は赤の他人に過ぎない。そんな赤の他人が死のうと死ぬまいと、それは何ら価値の無いことかもしれない。
マルクの言葉は間違ってはいない。決して、間違ってはいない。
「……だけど」
それが正しいと言えないことを、クロエは知っている。
「放ってなんて、おけない。私は、グレアさんを助けに、行く」
助けてくれた人には、精一杯の恩を返してあげたい。
それはクロエの嘘偽りの無い気持ちであり、クロエの持つ純粋な優しさ。
トントンと階段を駆け降りる音を聞きながらマルクは目を細め、まるでこうなることを知っていたかのようなしたり顔を浮かべてみせた。
「助けに行くって……やれやれ。こりゃいよいよボクの出番が来たってわけかなぁ。クロエはボクをちゃんと使いこなしてくれるのかな?」
マルクは知っている。
クロエが、とても心根の優しい魔法使いであることを。
それこそが彼女が“失敗作”たる由縁でもあるのだけれど。
マ「クロエ、そんな格好してて暑くない? この真夏に真っ黒なローブってさ」
ク「……私たちの世界の、季節……まだ、春だけど……」
マ「とりあえずココは夏だよ。そういえばさ、最近作者のヤツも泳ぎたい~ってよく言ってるよね」
ク「あれは……違うと、思う」
マ「あと、競泳水着欲しい~とかも言ってたような」
ク「……ねぇ」
マ「んん?」
ク「…………この話、もうお終い」