【デネブ】
“お母さん”。
それは本来であればとても神聖で慈愛に満ち、温かくありながら厳しさと優しさを併せ持つ響きの言葉のはずなのに――浮遊するカボチャに乗ったデネブはその言葉を耳にした途端、眉間にしわを寄せ、まるでムシケラでも見下しているかのような冷やかで残酷な表情を浮かべた。
「失敗作のくせに、気安く『お母さん』だなんて呼ばないでくれる? 気持ち悪いし、ウザいし、鬱陶しいし気味が悪い。そもそも何でオマエが生きてるワケ? あそこからどうやってココまで辿りついたってのよ? 答えなさい、失敗作」
「……そ…………それ……は……」
「ホント、グズでノロマで使い道の無いコ……アタシ様の人生最大の汚点。今すぐゴミ山の中に叩き込んであげようかしら」
「さ……さっきから聞いておれば何なんじゃ貴様! クロエ殿を何度も何度も失敗作じゃと……仮に親だとしても、そんな言葉は――」
「ちょっと黙ってなさい」
デネブが中空に腕を躍らせた瞬間、グレアの足元に赤い幾何学模様が直線状に浮かび上がり、小さく発光したその瞬間、彼女の足元から火柱が轟々と噴き上がり彼女の前髪を一瞬のうちに黒焦げにして見せた。
「んにゃ、ぁつッ、わちち!? 地面から突然炎が……噴き上げてきた!? な、なんじゃコレは!?」
言うなればそれは烈火の障壁。
デネブが腕を躍らせたと同時、グレアの目の前で突如爆炎が巻き起こり、彼女の視界を真紅に染め上げた。夢でも幻でも無い本物の熱気が容赦なくグレアの頬に吹き付けてきて、腕で顔を覆わないと今すぐにでも焼きついてしまいそうだ。
「“魔法”だよお姉さん。それも、とびっきりの手加減込みのね。やろうと思えば、お姉さんを消し炭にだって出来ただろうに」
「ならば、彼奴も魔法使いなのか……?」
「っはぁ? そんな時代遅れな“クラス”名なんてお断りよ。アタシ様のクラスは『うぃっち』よ。『魔法使い』だなんて、センスの欠片もないし、ちっとも可愛くもないわ」
「……あぁ、あ…………」
轟々と燃え盛る灼熱の壁の向こう側で、カボチャに乗ったデネブはクロエを冷たく見据える。
眉根を寄せ、ありったけの嫌悪を滲ませたその表情は悪鬼に迫るかのような形相。視線に射すくめられただけで、クロエの身体はがくがくと心根から震え上がってしまう。
「さて……と。そこの煩いガキだけなら見逃そうかとも思ったんだけどさ……そこの失敗作見て気が変わったわ。とりあえず今日のところは、目障りなゴミを処分してから星詠石の採掘を始めることにするわ」
「貴様も星詠石を……何のために?」
「バーカ、今から死ぬ人間に教えても意味無いでしょ。あ、恨むならそこの失敗作にしてちょうだいよ? アタシ様に責任はないんだから」
パチン、とデネブが指を弾いた瞬間。今までピタリと動きを止めていたゴーレムがカタカタと小さく揺れ始めたかと思うと、黄土色の身体をゆっくりと上げて再びグレア達の前に立ちはだかった。
「彼奴……! まだ動くか!?」
「あんのねー。たかがメインカメラやられただけじゃゴーレムは沈まないわよ。それに、天才うぃっちであるアタシ様の手作りゴーレムは、そんなにヤワじゃないの。……エラーが出た時は、そりゃちょっとはビックリしちゃったりしたけども」
――――――――――ッッ!!
ひび割れた青の瞳に赤い光が走り、再び黄土色のゴーレムは意味不明な咆哮を上げ立ち上がる。視線は完全にこちらに向けられていて、押し潰されそうなほど圧倒的な威圧感を放っている。
「ぐッ……わらわは、そう簡単に諦めないぞ……断じてだッ!」
「今時珍しく、前向きで熱血な“主人公”みたいな性格してんのねアンタ。……でも無理でしょ。ゴーレム相手に、そんなただの剣じゃまるで歯が立たないし、それに…………安心なさいな。アンタは、後に殺してあげるんだからサ」
「なに……ッあ、クロエ殿!?」
ゴーレムの瞳はそのままグレアを通り過ぎ――震えたままのクロエを見据えた。殺気に包まれたその赤くぎらつく瞳は、地面を砕きながらクロエへと迫っていく。足元でマルクが必死に何か叫んでいるが、今のクロエの耳に届きはしなかった。
「あ…………ぁ……」
「サ・ヨ・ウ・ナ・ラ。役立たずの、人間モドキ」
一瞬だった。
本当に、まばたき一つする間も無く、ゴーレムの城砦のような剛腕が思い切りクロエに向けて叩きつけられた。剛腕はバキバキと強引に岩盤を砕きながら、クロエの小さな身体を砕いて潰してぺしゃんこにしていく。濛々と砂煙が立ち上る中、そんなデネブの予想を裏切る歪な“音”が聞こえてきた。
「……バカじゃないの? そんなゴミクズ庇って、何のつもり?」
「ぐ、グレア……さ……!」
「一撃……ぐらい、受け止めてやれんこともないと……思ったのじゃ……が、はッ、ぐ……」
目の前で、何が起こっているのか分からなかった。
金属パーツの付いた純白のドレスは至る場所が紅に染まり、ひび割れた両 手 剣を盾にゴーレムの剛腕を受け止める乱れた金髪と大きな背中。口から血を零し、クロエと同じぐらい細くてか弱い両手をガクガクと震わせながら、その身全てを盾とするため彼女はクロエの元に飛び込んでいたのだと――彼女が片膝を付いた辺りでようやっと気付けた。
「何を……しておる。早……っく、逃げ……のじゃ。わらわ、とて、そう長く……」
「ど、どうして……私……を……ッ」
「元はと言えば、わらわが、クロエ殿を無理やり連れ出したような……ものじゃからな。わらわが、責任を以て、クロエ殿を、守らなくては……」
「でも、私は……守られる、価値なんて……」
「そぉんなに悠長にお話してる暇があるのなら、ちょっと出力上げちゃおっかなぁ~?」
「ダメ……ダメ……ッ!」
そんなことをされれば、グレアが潰れてしまう。
遥か上空で、宙に腕を躍らせるデネブの姿が涙に霞んでいく。
自分の所為で、無関係なグレアの命が悪戯に殺されてしまう。
また、自分の所為で人が死んでしまう。
「いや……嫌、いやッ、イヤアアアアァッ!!」
グレアへと伸ばした左腕が、突如熱を帯びたかと思った次の瞬間、目の前が真っ白な世界に移り変わる。
体の奥底から湧き起こる理不尽な力に翻弄され、意識がただただ白く飲み込まれて消えかけていく。
「コイツ……まだ、力が残って……!?」
抑えきれない力の奔流はクロエの身体中から迸り、四方八方に飛び交うと無作為に岩盤を抉り、鉱山そのものを震わせるような激しい衝撃を浴びせていく。天井から雹のように注ぐ岩石に打たれ、デネブは悲鳴を上げた。
「こんの……ッ! 出来そこないの癖に、滅茶苦茶して! アンタの所為でこのまま生き埋めなんて冗談じゃないわよ!」
「クロエ殿……!? お主の、それは……魔法?」
「……はーッ、か……ひゅー、かは、ぁあ……はッ」
「マズイ、過呼吸を起こして……ぁぐ、しかしこの状況で、どうやって逃げれば……」
「お姉さんゴメン。ちょっと目をつぶって、ついでに息も止めてくれる?」
「は? この、非常時に何を言って――っおあたッ」
「非常時だから、言ってんの」
二人の間に現れたほとんど真っ黒なマルクは尻尾をくるりとしならせグレアの目を叩くと、クロエの傍に寄り添い静かに目を閉じた。
「魔法使いのネコらしく、たまにはちゃんとご主人様を助けないと。それが、先生から頼まれたボクの使命なんだからサ」
マルクの首元の白いマフラーに淡い光が宿ると、光はやがてクロエやグレアをも包み込んでいき、やがて霧が晴れて消えていくかのようにその姿がかき消えてしまった。ネコが魔法を使ったことにも驚いたが、デネブはそのネコが使った魔法を見て柳眉を歪ませた。
「転移魔法……? ウソでしょ? ただのネコのくせに……まさか、あの失敗作…………会ったっての?」
思考を巡らせる今もなお岩石は降り続け、崩落の手は止まらない。
先ずは自分の命を最優先とし、ゴーレムの胸の中にその身を滑り込ませるとぼんやりと浮かび上がったコントロールパネルに指を重ねた。
「……やっぱり、考えられるのはお姉ちゃんだけ……か」
小さく舌打ちし、素早くパネルを叩いてゴーレムを機動させる。元来た道を掘り返し、黄土色のゴーレムはやがて土煙の中へと再び姿を消して行った。
ク「…………」
マ「本編とこっちは別次元だから、別にここでクロエがピンピンしてても問題ないけどさ……」
ク「……なに?」
マ「いや、もうちょっと喋ろうね。あのお母さんほどじゃないにしろ、せめて三点リーダーを減らす努力を」
ク「…………今度から、考えとく」
マ「……ボクまで三点リーダーを多用する羽目になりそうだ」