【小さな陽だまり】
『閑古鳥が鳴く』――なんて、言葉がある。
この“閑古鳥”というのはカッコウのことで、その鳴き声があまりに物悲しいことから、なかなか客が集まらず寂れたお店の様子を“閑古鳥が鳴いている”と例えることがあるのだ。
「……変」
そして今、まさに閑古鳥が鳴いているであろう店内で、一人の少女が分厚い辞書に記されていた概要を見つめながら小さく呟いた。
「何が変だってのさ、クロエ」
すると、少女の足元から不意にやんちゃな少年のような声が聞こえてきた。クロエと呼ばれた少女は辞書に視線を落としたままでぽつぽつと返事をする。
「……私、寂しくない。カッコウさん……お店に居るなら私、寂しくないよ?」
「あー……さっきボクが言った言葉を調べてたんだ。それはお店が寂しいってコトであって、別にクロエがどうとかって言葉じゃないよ」
「……どう、違うの?」
「どうって、そりゃ……」
声の主は困ったような声色を浮かべると、クロエの疑問に答えるべく床から椅子へ、椅子からテーブルへと順に飛び移っていく。
テーブルの上に現れたのは体のほとんど真っ黒なネコだった。ほとんど、というのはネコの首回りの部分だけ、まるで白いマフラーでも巻いているかのように真っ白なせいだ。それ以外は例外なく真っ黒であり、細くしなやかな黒い尻尾をゆらりゆらりと揺らしながらネコは語りだす。
「たしかにこのお店はクロエのお店だけどさ、別にこのお店そのものがクロエってわけじゃないでしょ? だから、閑古鳥が鳴いて寂しいのはクロエじゃなくてお店の方ってコト。わかる?」
「……でも、私のお店なら……お店は、私じゃないの?」
「と、突然難しいコト言うなクロエは……え、えぇっと、お店が寂しいってコトは、店主であるクロエが寂しいってわけだけど、クロエはカッコウがいるから寂しくなくて………………あー、やめやめ。メンドクサイからこのお話はお終いおしまいオシマーイ」
「…………言葉って、難しい」
イマイチ納得のいかない表情を浮かべたクロエは分厚い辞書をぼふっと閉じると、頬杖をついて窓の向こう側に広がる青い空をぼんやりと見上げた。鳩が二羽、並んで何処かへ飛んでいく。
本日の来客も、恐らくゼロである。
※
陽だまりの十 字 街『ソレーユ』。
このネージュ大陸の中心に、その名の通り東西南北へと伸びる街道を基点に作られたこの街は、そのシンプルな利便性ゆえ古くから多くの冒険者や行商人たちが行き交い、特に意識しないうちに気が付けば交易地として目覚ましい発展を遂げていた。
曰く、この地を最初に発見した冒険者が、空から差し込む陽だまりの中で佇む小さな名も無き村に感銘を受け『ソレーユ』と名を付けたのが街の名の由来だという話。名づけられて幾年の月日が流れたのかは分からないが、今日も今日とてソレーユの街は大いに賑わっていた。
街の中心にある噴水広場では、露天商が方々で集めた自慢の品を太陽に負けじと輝く営業スマイルで披露している。そんな広場を冷やかしながら南に進むと市場が広がっていて、今日は真っ赤に熟れた林檎が一押し商品だと馴染みのお店のおっちゃんがゴツゴツした顔で歯並びの良い白い歯を見せていた。
井戸端会議をする主婦の話題もまた明るいものばかり。やれ息子がベッドに世界地図を描いて誇らしげにしてただとか、近所の友達と遊んでいて元気イッパイだとか、物騒な話題はココではこれっぽっちも出ない。そういう物騒なお話がしたいのなら北地区や西地区に行けばいつでも出来るのだが、あいにく今のクロエとネコには関わり合いの無い話。
「……マルク、そんなに走っちゃ……ダメ……」
「マトモな朝ご飯食べてないんだからお腹ペコペコなんだって。クロエもリンゴ一個じゃ足りてないでしょ。たまには肉を食べなきゃ肉を。出るとこ大きくしとかないと、この先後悔するかもよー?」
「出る……とこ?」
「胸に手を当てて考えてみなって」
マルクと呼ばれたほとんど真っ黒なネコは行き交う人と人の足元をひょいひょいと器用に走り抜けていく。そんな小さな背中を、クロエは出来得る限りの早足で一生懸命に追いかける。
夜の帳が下りたかのような真っ黒なローブに、年季が入って少しよれた黒い三角帽子。帽子のつばの下からはボサボサの黒髪がカーテンのように覆っていて彼女の表情を隠してしまっている。これで大きな杖でも抱いていたのなら、まるで絵本の中から飛び出してきた魔女のように見えることだろう。……実際、彼女はそんなヒトなのだけれど。
ローブの裾をパタパタと小さくはためかせながら石畳の道を往くこと数分。視線の先に、この南地区で一番の食堂の看板が見えてきた。本日の日替わりメニューは羊肉のシチュー。軒先に置かれた看板の隅では、何故か羊がフォークとナイフを手に舌なめずりをしているイラスト付き。これでは共食いではないだろうか。
そんな至極シュールな看板の下をマルクがするりとくぐり抜け、緩やかなカーブを描きながら店内に踏み込んだ――その瞬間だった。
「ぎゃわぶッ!?」
突然、店の中から潰れたカエルのような声が響いたかと思うと、次いでドカドカッと、オマケにガシャーン! バリーン! などと派手な音が立て続けに聞こえてきた。あまりの騒音にポカーンと呆けるクロエだったが、この場にいては何が起こったのか分からないし、何が起こったのか少し気になったのでそのままゆっくりと店の中に入っていくことにした。
店内は、まるで小さな竜巻に引っかき回されてしまったかのように荒れ放題だった。
丸テーブルは全て何処かしらの足が折れていて、その上で湯気を立てていたであろう料理の数々があちらこちらに散乱していて無残な姿に。正面にはカウンター席があって、たしか後ろの棚には店主自慢のお酒コレクションが並べてあったはずなのだが、今や見る影もなくカラフルなガラス片しか残っていない。店の端には怯える様子の店主とお客さんが数名、店の中央には筋骨隆々で背の高い男が二人と、そしてそれに立ち向かうかのように仁王立ちする一人の少女の姿が見えた。
「あぁん!? てめぇ、この俺様が誰だがわかって物を言ってるんだろうなぁ!?」
「ふん。貴様のような醜くて不細工で体臭のキツイ者など、わらわが知るわけがなかろう。無礼者がッ」
「このアマッ! 盗賊団『欲張りオオカミ』の団長であるゲーリア様を知らないだと!?」
「んの餓鬼ィ……!」
(…………可愛い、お名前……)
目の前の一色即発な雰囲気などお構い無しの、盗賊団の名前に対するクロエの素直な感想。
そんなコトはどうでもよくて、マルクは何処に行ったのだろうかと視線を右に左に動かし――発見。クロエから見て左手、何故かクロエの背丈を遥かに上回るような大きさの両手剣につぶされて目を回していた。察するに、店に入る時に壁に掛けてあった剣にぶつかって倒れてきたところに巻き込まれたといったところだろうか。何とマヌケな。
「もう我慢ならねぇ。やっちまいましょうぜ、団長!」
「礼儀知らずの上に世間知らず……完全にマトモな教育がなってない証拠だ。ここは大人の俺らがちゃんと躾けてやるべきだな……!」
盗賊団が“マトモ”とか言っちゃうと何だか凄い違和感だが、クロエはマルクの傍に歩み寄って小さな額を指先でつっつく。
「はん! 貴様ら如きに教わる礼儀も作法もないわ! いいだろう、わらわが今この場で返り討ちにしてくれ……は、はら?」
颯爽と背中に伸ばした少女の右手が――二度三度と虚空を掴む。背負っていたはずの相棒が何故か忽然と消えていて、今になって背中が軽いことを思い出す。そういえば、食事をしようとした時に『流石に背負ったままでは食事の邪魔じゃな』と自分の手でお店の入り口に立て掛けておいたのだ。だから、何も背負っていない背中は空気のように軽くて当たり前。目の前には盗賊団の団長を名乗る男とその手下。自分は丸腰。相手はナイフとサーベルを抜き放つ。そして自分は丸腰。予期せぬ大ピンチに思わず二度確認してしまった。
「覚悟はいいかこのクソガキぃいいいい!!」
「ズタズタにしてやらぁああああ!!」
「あぅわわわあああああ――ッは! そ、そこの者! 黒いローブの……そう、お主じゃ、お主!」
黒いローブと聞いてクロエが振り返ると、件の少女が盗賊団を名乗る男二名に鬼に勝るとも劣らないような形相で追いかけられていた。
唐突に呼ばれて小首を傾げるクロエ。はて、何の御用でしょうか。
「け、けけッ、剣じゃ剣! 今お主の足元にあるわらわの剣! それを、こっちに、投げてよこすのじゃぁッ!?」
「……?」
何をそんなに焦っているのやら。クロエはそんな慌てふためく少女の姿を静かに見つめた。
全体的に白で統一された格好。一見すると、それはまるで王族御用達の超高級ドレスに見えるのだが、その腕や肘関節、胸や腰回りなどには凡そ“高貴”とは縁遠いと思われる無骨な鉄製の部品が組み込まれていて動くたびカチカチと音を立てている。端的に言ってしまえば、お姫様が身につけるようなドレスに、戦士や騎士が好む鎧を組み合わせて作られたかのようなデザイン。奇抜と言えば奇抜、しかし少女の頭で揺れる二つの金色ドリルの醸し出す雰囲気の所為か、見ようによっては優雅で気品ある意匠とも思えなくもない。そんな、絶賛人間観察中のクロエに痺れを切らした少女が絶叫した。
「いいから! 速ぁく!? 可及的に速やかにィ! わらわの剣を、寄越すんじゃぁぁああああああい!!」
「んんんもぉおおおおおおぃいわぁぼけぇええええええええええええ!!??」
地に伏していた獅子が……いや猫が、突如怒りに狂い咆哮したかと思うと、圧し掛かっていた剣をぽーんと勢いよく吹き飛ばし、これまた都合の良い事に絶叫していた少女の元へ放物線を描きながら飛んでいった。それはシンプルな装飾が施された、黒塗りの鞘に収まった両 手 剣。飛来する両手剣の柄を少女が握りしめた瞬間、その瞳に鋭い光が灯るのをクロエは垣間見た。
「はッ! 剣を持ったただのガ――」
なお、そこから先の台詞は何も盗賊団の団長がうっかり舌を噛んでしまって聞こえなかったとかそういうわけではなく、彼の姿が目にも止まらぬ速さで店から吹き飛ばされてしまっていて聞こえなかっただけである。
突然の出来事にまたもポカンと呆けて、おまけに目をパチパチと白黒させるクロエ。
気が付くと顎の関節がお釈迦になった男が呆然と棒立ちしていて、そのすぐ傍では鞘入りの両手剣を肩に担いだ少女が不敵な笑みを浮かべていた。
「あぁ、すまないのぅ。あの男が何て言っていたのか聞き取れなかったのでな。ちょっとお主訊いてきてくれないか?」
「はへ――?」
決して彼が台詞をド忘れしたわけではない。
その台詞を口から吐き出すよりも前に、少女が軽快に振るった両手剣が顔面にクリーンヒットし先刻の団長と同じ方向へ向かって一直線に吹き飛んでいってしまったのだ。真昼間にこんな言い回しはどうかと思うが、両者揃って星になってしまったものと思われる。
「ん、あー……ふぅ、ビックリしたぁ。お姉さんってば強いねぇ」
「……」
両手剣を吹き飛ばし伸びをしていたマルクがぽつりと呟いて、クロエは無言でぱちぱちと小さな拍手。それを見ていたお客さん達も釣られて力無い拍手と喝采を細々と添えている。
「ふふん。この程度朝飯前……いや、今は昼時だから昼飯前じゃな。わらわの実力を以てすれば下賤な盗賊など一捻りじゃ」
両手剣を背負い直した少女がクロエにやおら近づいてくると、何故か少し頬を赤く染めながら、少し視線を反らし気味に胸を張った。
「此度の働き、かん……感謝してや……ってもよいぞ。わらわはグレア・アンネ……じゅ、んんッ、ごほん! ……グレアじゃ。お主、名は何と申す?」
「…………え、と? 私……クロエ。こっちは……マルク」
ほとんど真っ黒なマルクを抱えてからクロエがぺっこりとお辞儀をすると、何故かグレアと名乗った少女に思い切り笑われてしまった。
「ぶわっはははは! 猫の紹介までしなくてもよいじゃろう。変わったヤツじゃな、お主は」
「…………変わってる?」
クロエからして見れば、ドレスだか鎧だか分からないような格好をして、華奢な見た目からは想像も出来ないような物凄い剣の達人である彼女の方がよっぽど“変わってる”と思うのだが、少女はかっかと高笑いを続けたまま、そして不意に高笑いを止めてコホンと咳払いした。
「う、うむ。それで、じゃな。助けてもらった礼として……、ぎ、ギルドまでの案内をお主らに命じたいのじゃ……が……ぅ、ぁの……」
「……? お礼、なのに……道案内?」
そりゃどういう了見だ、と別に目で訴えたわけではないのだが、何故か金髪ドリルの少女はもの凄く恥ずかしそうに、頬をかいたり腕を組んだり妙に落ち着きのない動きを一通り繰り返してから、最後にこうまくし立ててきた。
「と、とにかく! わらわを早急にギルドまで案内するのじゃ! 報酬は、いくらでも好きなだけ出す! だから、さっさとギルドまで案内せい!」
「………………はぁ……?」
我儘と言えばいいのか、強引と言えばいいのか。
クロエはマルクは顔を見合わせて首を傾げ、案内を要求したくせに何故かどんどん進んでいく少女の背中を見つめていた。
……ボケッとしてたら、少女がくるっと振り返ってきた。
「な、何をしておる! 早く来るのじゃ!」
そう急かされたら走るしかない。
クロエは店の奥から突き刺さる店主の視線をキッパリ無視してから、少女の後ろ姿を小走りで追いかけた。
そんな奇妙で我儘な少女との出会いは、クロエの止まった世界を動かす最初のきっかけだった。
マ「いよいよ始まったね、クロエ」
ク「……始まった? 何……が?」
マ「何って、ボクたちのお話『ネコと、魔法使い』に決まってるじゃないか」
ク「そう……だね」
マ「そう『ネコと、魔法使い』。つまりこのお話は、ボクが主人公のお話サ。この愛嬌たっぷりのボクが大活躍して、クロエは時々活躍するんだよ」
ク「…………じゃあ、私……帰っても、いい?」
マ「え、あ、いや……じょ、冗談だよ冗談! このお話の主人公はクロエ、君だってば! だからそんな拗ねなくても」
ク「……主人公…………嫌だなぁ……」
マ「じゅ、純粋に嫌がってただけ……? も、もう! 主人公がそんなんでどうするのさ! って行っちゃったし……と、とにかく。今日からボクたちのお話が始まるんだ。どんな風に進んでくのかボクたちにもサッパリだけど、応援してくれたら嬉しいな。それじゃ、また今度会おうね。バイバイ!」