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不過視な私  作者: 鱒味
1/3

1話:私が不過視になった日

 新しい連載を始めました。

 この連載は見切り発車なので、更新は遅くなります。

 ルビをつけることのできる機能を使いたく、ふんだんに使用しております。

 少し1話が長めなので、お気をつけ下さい。


 薄靄(うすもや)が辺り一面を立ちこめていて、視界がぼんやりとしている中を当てもなく進んでいる。

 そんな空間の色を言うのなら、灰色に靄の白が混じっているみたいな感じだ。

 目が届く範囲の限りが地平線まで続いている。



 どこか気怠(けだる)げな足使いで彷徨(さまよ)いながら心中で辟易(へきえき)しながら肩をいきり立たせる。

 もういっそここまでくれば苛立ちくらいしか沸き起こらない。



(またこの夢?)



 自分の足は動こうとする方向へ進み、自分の目は見たいと思う方向を見る。

 本当に思うように自在に動く体。

 それでも立ち止まることだけは決して出来ない。



 ただ只管(ひたすら)に、薄靄の中を彷徨っている夢。

 薄靄の中で心休まることなど何もない。

 だから別に立ち止まれなくても別にいい。



 どうせこれは夢でいくら動いても疲れない。

 ただ自分の意思通りに止まれない体が気に食わないのだ。



(動くこと止められないなんて、まるで働かされてるみたいじゃない!)



 意思通りに動かない。

 そうはいっても止まることが出来ないだけで、それ以外では何をしようと面白いほど思い通りになった。



 さすがは夢だと思えるほど、身軽に体は動くのだ。

 逆立ちで腕を足にしたうさぎ跳び、バク転をしながら前進及び回れ右。

 空も飛べるじゃないかと、腕を振り回して宙に浮いたことが記憶に新しい。

 思わず、ひゃっほい!と叫んでしまった。



 現実では絶対に出来ないことばかりだ。

 そういうことが出来るとわかったうちは楽しかったが、さすがに一月もすれば飽き飽きだ。

 そろそろ普通に寝たい。

 こんな毎日景色の代わり映えのしない夢を見ていたくない。



 昼間は家業の農業をしている。

 1に動く、2に動く、3、4がなくて、5に動く仕事だ。

 はっきりいってこんな変な夢を見る余裕なんてない。



 ただでさえ働いていた人が1人やめて、やる仕事が増えて疲れているのにこれはなんだ。

 意味がわからないうえに疲れないとはいえ猛烈(もうれつ)に時間を無駄にしてる気分だ。

 なにもしない時間があるというだけで苦痛(くつう)だ。



 止まらせないなら、働かせろ!と文句が言いたい。

 責任者(せきにんしゃ)は来るといい。

 心置きなく殴る。

 殴るのに使ってやるわ、この意地でも動く身体ァ!



(あー、腹立つ、イライラする)



 たまったもんじゃない。

 働きたいのだ、私は!



 母親は始終(せわ)しなく動いているし、父親は卸屋(おろしや)相手に奮闘(ふんとう)しているし、|弟妹《ていまい

》は畑を耕したり害虫を排除(はいじょ)したり、必死で働いてみんな一生懸命やっている。

 自分だけ、こんな空白の時間があることが耐えられない以前に納得がいかない。



 そりゃ見始めた当初は楽しかった。

 家業が忙しいために時間の全てをそれに(つい)やさなければならなかった時分だ。

 だからそれは久しぶりに自分のために使える時間だった。



 一日だけでいい。

 思う存分、走ったり飛んだり、仕事に関係なく遊びたい。

 そんなことを願ったことはないと言えば嘘だ。



(だからといって!こんな夢を見続けるためじゃないってのよ!)



 そんなささやかなこと、誰だって一度は願うものだ。



(あーさいあく、さいあく!)



 可愛い弟妹を差し置いて、私は一体なにをやっているんだろう。



(はやく覚めろっての!)



 この夢を見て辟易し始めた日から、仕事が(はかど)って仕方が無い。

 罪悪感(ざいあくかん)からバリバリ働く、働く。

 親に心配そうな顔をされ、弟妹に気遣われ、そんな懸念(けねん)をいい加減に笑い飛ばした。



 家族に気にかけられることなど、なにも無いからだ。

 あえて言うのならば、家族を心配させる自分に一言もの申したい。



 なにせ溜まりにたまった鬱憤(うっぷん)発散(はっさん)させる場所がないのだ。

 しかしだからといって、鏡相手に自分に文句言っていたら、それは完璧に変な人だ。

 まだまともだ、私は、まともでいたい。



 はぁぁぁあああ、と深い、深ぁいため息を吐き尽くした。

 立ち止まることができないため、足を動かしながらのため息は大変不格好(ぶかっこう)である。



 この状況に腹が立つのは、一息つきたくてもつけない時だ。

 うろうろうろうろとそこらを何かの儀式(ぎしき)のように回りながら、腕を組んで頭をぐるぐると振り回す。



(ああ、ここから出たい。出たい、出たい出たい出たい出たい出たぁぁぁぁい!!)



 ふつ、何かが切れたように足下が急になくなった。

 落ちる、血の気が引いていく背筋を感じ取った瞬間に、顔に、髪に、手に、感じる浮遊感(ふゆうかん)



「き、きゃぁぁあああぁぁああああ」



 なにかを(つか)もうと伸ばした手が、すかりと空をすり抜けた。

 そのときの絶望(ぜつぼう)感と言ったらない。

 落ちていく身体を感じながら、意識は暗闇に閉じ込められた。




「い、痛いっ」



 長かったようで短かったように感じる浮遊感の解放(かいほう)は下半身の痛みとともに訪れた。

 なにか随分と広い歩道に尻餅(しりもち)をついている形になってしまった。

 慌てて立ち上がって、そろりと周りを見渡してみれば、人は何事もなかったように通り過ぎていく。



(な、なによ。冷たい人たちね!)



 人が尻餅をついて痛い思いをしてるというのに、酷い態度だ。

 それは、見られて恥ずかしいという思いもあるが、それにしたって、一声あってもいいと思う。

 ロングスカートについた(ほこり)を払い、じんじんと痛む腰に手を押し当て、唇を(とが)らせる。



(ああ、痛い…………痛い? え、夢なのに? あれ? ……え?)



 (うつむ)いていた顔をばっと勢いよく上げて、辺りをくまなく見回す。

 見渡す限りに、我が田舎町がきっと広がっている筈。



(…………ここどこよ)



 見た事も無い風景に、ひくりと顔を引きつらせる。

 町に立てかけられている看板(かんばん)には、ようこそランダオルの町へ、という文字。



(待って、見覚えもなければ聞き覚えすらもないんですけど、ていうかここにいる身に覚えもないんですけど!! 一体全体どーいうことよ!)



 精一杯テンパってはみたが、なんの改善策(かいぜんさく)も思い浮かばない。

 ただ通行人は他人事(ひとごと)のように戸惑っている私を、通り過ぎていくばかりだ。



(ちょっとぉ、なんなのよ、これぇ! ていうかあんたたちもここまで戸惑っている女がいればどうしましたかって一言訊ねるのが礼儀ってもんじゃないの?! 私もさすがにこんな不審者(ふしんしゃ)っぽいのに声かけないけどさ、それでも顔色一つ変えず無視ってなによぉ!!)



 いくらなんでも酷い。

 私でもそこまではしない。

 ちょっと涙出そうだ。



 だが、ここの人間の冷たさに戸惑っている場合ではない。

 とりあえず人に話しを聞かなければ、この状況の進展(しんてん)は望めない。

 小さく鼻をすすりながら、覚悟を決めて通行人の一人に狙いを定めた。



「あの、すみません」

 すっ

「……………………」



 通り過ぎる間際、横から声をかけたら、そのまま通り過ぎられた。

 これはいわゆる無視ですか?

 あまりにあまりな対応に一言文句でも言ってやろうか、と後を追おうとしたときに、ちょうど肩に人がぶつかった。



「あ、すみません」

「……………?」



 目の前で謝ったにも関わらず、相手は不振(ふしん)そうな顔をしてそのまま去ってしまった。

 あぁん? てめぇ一言ないんかい?

 どっかの破落戸(ごろつき)のような台詞が頭にぱっと浮かんだが、そこは咳払(せきばら)い一つで心を落ち着かせる。



 いまのは私が悪かった。

 道を途中で切り返して、尚かつ通行人の確認をしなかった。

 だからといってさっきの人間の対応は酷かったがな!



 心の中で中指を突き立て舌打ちして唾を吐きながらも、気を取り直して声をかけようとターゲットを話しを聞いてくれそうな女性に変える。

 ちょうど目の前から女性が来たので、にこやかに笑顔を見せる。



「あの、少しお聞きしたいことが」

 すっ

「……………………」



 しまいにゃ殴ったろか。



(え? いま私きちんとしてたよね? 第一印象抜群(ばつぐん)だったよね? なんで無視されるわけ? え? なんなの?)



 あの看板の、ようこそランダオルの町へ、の表記は嘘か。

 歓迎する気さらさらないのか。



 いらっと通り過ぎていった女性を見送った後ろから、人がぶつかってきた。

 なんの加減もなく、チンピラが道で、ぶつかったよな? 俺の骨折れちゃったよ、慰謝料(いしゃりょう)よこせコラ、程度の強さだ。

 いまのは私悪くない。



 文句の一つも言おうと振り向いた。

 青ざめた男がぶつかったらしい腕を庇うように、愕然(がくぜん)とこちらを見てる。

 新手(あらて)恐喝(きょうかつ)方法だろうか。



 言っとくが私はびた一文払いません。

 だって私悪くない。



「……………………」

「……………………」



 互いに見つめあう攻防(こうぼう)が続く。

 男は青ざめた顔のまま、(きびす)を返して逃げるように去っていった。



(え、お金要求しないの? あ、私が払う気無かったからか。じゃーねー、今度はもっと善良(ぜんりょう)そうな人狙ってねぇ。はぁ、さてさてこっちももっと良い人探さないとな)



 とりあえず、私を無視しない人。

 私そんなにうざい人間だろうか。

 初対面の人にガン無視されるほど、うざい気配が(にじ)み出てるのか?



 それはそれでかなりショックだ。

 立ち直れないかもしれない。

 いまのいままで自分にそんな傾向(けいこう)があるとは思ってもいなかった。



 もしや家族内でも私うざいと思われているのか?

 え、立ち直れない。

 もうだめ、母さんからも父さんからも弟にも妹にも私うざいと思われてるの?



 泣きそうだ。

 ていうかもう視界が滲んでいる。

 うざいの? 私うざい? 一生懸命働いてるんだけど。



 くっと涙をこらえて顔を上げる。

 負けてなるものか。

 こうなったら意地(いじ)でも話しを聞いてやる。



 まず、通りかかった人に聞いたのが悪かった。

 民家(みんか)を尋ねよう。



 ちょうどその脇の家は風情(ふぜい)があって、暖かみが溢れる家だ。

 あの家にしよう。



 コンコン、と木製(もくせい)の扉を鳴らして、息を呑んで、じっくりと相手を待つ。

 鼓動(こどう)高鳴(たかな)りは耳を激しく打ち付ける。

 意味も無く緊張(きんちょう)してしまうのは、縁もゆかりも無い家を尋ねているからだろう。



「へい、ただいま参ります」



 どこかしわがれた低い声が、扉の向こうから聞こえて来た。

 密かに(こぶし)を握り、よし、と意気込(いきご)む。

 扉が開ききるのを待って…………!



「あのっ、すみません! 少しお聞きしたいことが…………!」

「…………なんでい、ガキの悪戯(いたずら)か。誰もいねぇじゃねぇけ」



 はい?

 目の前で顔をしかめた男性の顔を見つめる。

 ぶつぶつ文句を言っている男性の顔の前で、ひらひらと手をかざしてみる。



(え? 反応なし? …………え? ……………え?)



 なにそれ。

 目の前の扉が閉まるのが、やけに遅く感じる。

 閉まりきったところで、盛大(せいだい)に顔が真っ青になった。



 理解できないうえに、意味がわからない。

 これ一体どうすればいいの。



 ていうかさっきの人たち、無視してたんじゃなくて、ただ単に私が見えてなかっただけ?

 そりゃ立ち止まってくれないし、ぶつかったら異様(いよう)な顔で見られるわ。

 なにもないのに、何かにぶつかるんだもの、そりゃびびる。



(これ夢? 夢だよね、そうだよね、痛かったのはベッドから落ちたからだよね! よし、これ夢!!)



 あまりにあの空間から出たいと願ったばかりに、中途半端(ちゅうとはんぱ)(かな)ってしまったのだ。

 普通の夢を見れれば良かったものを、意味のわからん町に来た挙げ句、透明(とうめい)人間って何事。



 ここで誰にも見られない、というと、自分が死んで幽霊(ゆうれい)にでもなったか、と思うが、ところがどっこい、幽霊はすり抜けるのだ。

 人にぶつかった私は死んでない! 断じて!

 ベッドから落ちて打ち所が悪くて……ではない! 断じて!



 これが夢で、幽霊ではなく透明人間だと落ち着いたところで、私は明るく空を(あお)いだ。

 ああ、今日も良い天気、野菜がよく育ちそうだわ。

 ここの天候(てんこう)、うちの実家の家業に関係ないけど。



(あ、ワンコだ。うちのケイにそっくり)



 ちなみにケイは警備員(けいびいん)のケイだ。

 日夜(にちや)、うちの畑を野生動物から守ってくれている。



 周りをちらりと見る。

 ワンコが(つな)がれているのは、完璧に人の敷地(しきち)内だ。

 だが私はいま、透明人間。



(ちょっとぐらい入っても、…………構わないわよね?)



 しかし油断(ゆだん)はできない。

 なにせ気配に(するど)いワンコだ。

 敷地内に部外者(ぶがいしゃ)が立ち入ったとなっては、吠えて吠えて吠えそうだ。



 万が一吠えられたとしても、人に私は認識出来ないのだが、ワンコに痴呆(ちほう)の疑いがかけられても困る。

 少しでも吠えそうな気配があったら止めよう。



 恐る恐る、敷地内に入っていく。

 なんか泥棒(どろぼう)の気分だ。

 農業をやっている身としては、味わいたくなかった気分だ。



(よーし、よーし、反応はないわね)



 ワンコの目の前まで来て、にんまりと笑う。

 あまり音を立てないようにワンコの前に腰を下ろす。



(いーい? ワンコが気付かないように、風がそよぐかのように撫でるのよ、私! さぁ、いざ!!)



 すかっ



(へ? ワンコの毛ってこんなに感覚無かったっけ。あれ? ケイの毛はもうちょっと感触あったけどな)



 首を(かし)げながら、ワンコを見下ろす。

 はっはっと舌を出しながら静止しているワンコに、目を(またた)かせる。

 もう一度、今度は少し強めに触ってみよう。



(さぁ、ワンコ、覚悟するのだ!!)



 すかっ



(…………え、っと、……え?)



 ひくり、と頬が引きつった。

 ワンコの頭に手が突入した瞬間、指先が消えたように見えたのだが、一体どういうことだろうか。



 想像したくないが、想像できる。

 手をワンコの顔に突っ込んだ。

 …………手が消えた。



 ワンコは、はっはっと息をしてる。

 私は涙目(なみだめ)になっている。



(え? 私幽霊?)



 さっき人にぶつかったの、なんだったの。

 衝撃(しょうげき)のあまり、口をぽっかりと開けて呆然とする。



 ベッドから落ちて打ち所が悪くて…………なの?

 この若い身空(みそら)で死んだの、私。

 待ってよ、私まだ死ぬ年じゃないのよ、ピチピチの十代よ?



 死んでる暇なんてないのよ。

 忙しいのよ、いま。

 死体なんか葬式(そうしき)あげてる暇もなく放っておかれること請け負いよ!



 まだ若いうちから異臭(いしゅう)を放ち、(はえ)(たか)られるなんて冗談じゃない。

 そんなの年取ってもお断りよ。



(てか幽霊ならなんで扉叩けたのよ! 人にだってぶつからないわよ!)



 もしや犬には触れなくて人には触れるのだろうか。

 沈黙からふと顔を上げて、通路(つうろ)を見る。

 通行人の顔を(あま)す事無く眺めて、腰をあげる。



(こ、これはあれよね。触ってみるべきよね。よ、よし、変態だと思われないように女の人の手にそっと…………だめだそれも相当変だわ。かといって男の人は…………あれだし。おじいちゃんおばあちゃんは…………だめ、怪しい。ど、どうしよう)



 通行人が行き過ぎていく。

 戸惑っている間にも時間は過ぎていく。



(…………でも私考えたら人に見られないんだから、別に気にしなくて良いのよね。ええ、でも絵面(えづら)は相当悪いのよ。女の人に触ったらそういう趣味(しゅみ)の人だし、男の人に触ったら痴女(ちじょ)、おじいちゃんおばあちゃんは詐欺師(さぎし)もしくは宗教団体。嫌よ、私は善良(ぜんりょう)な人間よ! 普通の一般市民なのよ!)



 何が悲しくてそんな怪しい得体(えたい)の知れない人間にならないといけないというの。

 農業農民は平凡で平和な暮らししかしてない。

 こういう関係には知識がない。



 だからといってここで立ち止まっているわけにもいかない。

 進展の望めないこの状況ははっきりいって歓迎(かんげい)できない。



(よ、よし、やるのよ。やるのよ、私。次来た通行人の手に触れるの。相手が叫んだら、走って逃げる。相手には私を捕まえる術はないわ。よし、いける。行くわよ)



 腰が異常なほどに引けながら、通路へと足を踏み出す。

 ターゲットは向こうからやってくる子供の集団。

 走ってるから捕まえにくそうだけど、そこは私、決心したからにはやるのよ。



(吸ってぇ、吐いてぇ、いっせぇのぉでっ!)



 すかっ



(…………ひぃっ)



 すり抜けた、すり抜けたぁぁぁ。

 掴もうとした腕を、手に掴んで振り回す。



 産毛(うぶげ)総立(そうだ)ちだ。

 風が行き過ぎたような指先(ゆびさき)の感覚がたまらない。

 もう心の中は大絶叫(ぜっきょう)で、とめどなく戸惑いがあふれている。



(幽霊? 幽霊? 私死んだの?! え? ベッドから落ちて打ち所が悪くて?!)



 親になんて言えばいい。

 弟妹はまだ力も身に付いていないし、体力はあっても出来ることには限りがある。

 私がいなくなって、困ることはそう多くはないが、ある。



 第一、幽霊になって何故、見覚えも無い、聞き覚えも無い町にいるのか理解できない。

 家族が悲しむ姿を見れないという点ではまだマシかもしれないが、なにも知らない町へ来たかったわけじゃない。

 むしろ悲しむ家族に寄り添えないことのほうが問題だ。



()しくもあの空間で出たいと願った瞬間に死ぬなんてね。なんの因果(いんが)なんだか…………はぁ)



 変な夢を見た挙げ句、ベッドからの転落死(てんらくし)

 あの田舎町ではあっという間にニュースになる。



 同情の目はあっという間に家族に集中する。

 狭い町だ。

 みんなきっと親切にしてくれる。



 問題は自分のことだ。

 幽霊らしい自分をどう対処するかだ。



(…………幽霊って物体に触れるっけ)



 イメージを申し上げるなら、ふよふよぉっとしてて壁をするりとすり抜けて…………足はない感じだ。

 だが私には足があるし、人にはぶつかったし、扉を叩いたし、考えていくにつれ思考がおかしい方向へ転がっていく。



(…………あれ? でも犬にも触れなかったし、人にも触れなかったのよね。なんで人にぶつかれたの?)



 扉は木製だった。

 だからきっと木には触ることができる。

 目の前の木に手を伸ばした。



 すかっ



 かかる筈の力の分だけ、身体が傾いた。

 笑顔でその状態を保ちながら、首を傾げる。



(手が消えたんですけどー)



 見事な大木(たいぼく)から自分の手が生えている。

 異様な光景だ。

 進んでみたくないどころか二度と見たくない。



 泣くぞ、しまいにゃ。

 どういう原理(げんり)だ。

 触れて、触れない理由は、どういう根拠(こんきょ)から、そうなる。



(あー、わかんない、わかんない。もう考えない、もう知らない! 私は帰らせてもらいます! …………帰る方法わからないけど)



 問題は夜を()す方法だ。

 人に見えないからといって野宿(のじゅく)精神(せいしん)的にも肉体(にくたい)的にもきつい。

 (たましい)の存在で疲れるうんぬんはわからないが、それでも宿を取って休みたい。



 ここは結構規模(きぼ)の大きい町のようで、宿がありそうだ。

 だがあいにく宿を取る術が私にはない。



(私、死んでるのよね? なら、無断(むだん)で宿の部屋に入っても、罪に問われないわよね? 人には私、見えないんだし。大丈夫、だよね?)



 ちらりと通り過ぎていく人たちに目を向けて、ゴクリと息を呑む。

 いつ成仏(じょうぶつ)できるかは知らないが、それまでせめて夜中に外で一晩中なんてことは勘弁したい。



 夜に一人きりで恐怖(きょうふ)に震えるのも、びくびくするのもゴメンだ。

 せめて屋内で人の気配を感じていたい。



(よ、よーし、やることは決まったわね。まずは宿、宿を探すのよ! 出来るだけ賑やかで部屋が空いてるところ!)



 そうして私は決意を新たに、見知らぬ町へと未知の旅路へ出たのだった。



 少し格好をつけてみたが、この町は言うほど未知でもない。

 宿の取り方も人間も落ち着いて見てみれば、そうそう村と変わらなかった。



 宿に空いていた部屋は、多少使われた感があって、黄ばんでいる箇所もある部屋だ。

 他を覗けばもう少しきちんと管理されていたが、ここはあまり人気のある部屋ではないため、(おろそ)かにされているのだろう。



 まぁ、下で見て来た限りではこの部屋に入る人間はいないし、今夜一晩使ってもかまわないだろう。

 勝手な判断だが、今日は本当に疲れた。



(そういえばベッドには触れるのかしら)



 息を呑んでベッドへと手を伸ばす。

 指先があと少しでシーツに触れるという手前で、覚悟を決めてベッドへと指を伸ばした。



(あ、触れる)



 ほっとして強ばっていた身体の力を抜いた。

 顔を手で覆って、ゆっくりとベッドに腰をかける。



 キシリ、と重みに反応して鳴るベッドの音に、生きているような実感を感じた。

 いま、私はここにいる。

 ベッドに身体を預けながら、深い息を吐いて、ようやく人心地(ひとごこち)がついた。



 部屋の向こう側、階下から感じる人の気配に、視線を下げて目を閉じる。

 下ではこの宿に入った時から騒いでいた酒臭(さけくさ)い人たちがきっと賑やかにいまも騒いでいる。



(さて、これからどうしようかしらね)



 人に見えなくなった私は働くことさえできない。

 満足に人とコンタクトを取ることも。

 私が迂闊(うかつ)に動いて出来ることと言えば、人を驚かすことくらいだ。



 道路でぶつかって驚いていた人がこれから容易につくれることが想像できてため息を吐く。

 憂鬱(ゆううつ)に自分の先行きを思い浮かべながら、吐いた息が空気を小さく震わせた。

 一体お迎えはいつ来るのだろう。



(べつに死んでしまったのはしょうがないことだと思うし、未練(みれん)はあっても死んだからには全て意味が無いことだし、さっさと成仏できてもいいと思うんだけどね)



 魂は眠らないらしい。

 ベッドに身体を預けていても、ちっとも襲ってこない眠気に、小さく頷いてみせる。

 意味も無く泡立つ心を(なだ)めるように、鼓動に耳を澄ませながら、リズムを取るように。



 眠らないとはいえ、精神的には意識を飛ばしたい気分だ。

 現実から逃避(とうひ)するように、眠るように目を閉じて身体の力を抜いた。



 人為(じんい)的につくったこの暗闇から()めるとき、この悪夢が跡形も無く消えていれば良い。

 願うように私は遠くから聞こえる喧噪(けんそう)の波にゆっくりと身をまかせた。



 こちらは連載になります。

 1話が長くもう一つの連載より更新が遅くなります。

 お読み頂きありがとうございました。

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