その子爵、転生者につき
「大嫌いでしたよ、憎んでいましたよ、あんな女。好きになる要素なんかゼロですよ。世の中の男こんな女のどこが良いんだって呆れてましたよ」
「あの女にとって俺は男を寄せられて金をもらえるていのいいコマ、存在価値はそれだけだった。あの女を義姉上と呼ぶことがどれだけ苦痛だったか!」
「だから俺は、あの女がもう死ぬってときに言ってやりましたよ。さっさと死ねばよかったのに。子供も産めなくて王にも捨てられたあんたなんか存在価値ないだろ、ってね」
「とてもスッキリしました!」
目の前の少年は年相応に笑う。本当に嬉しそうに。
「だからありがとうございました、王太子殿下。あの女を殺してくれて。俺はあなたに心からの忠義を捧げます」
「………そうか。ルキウス」
「はい」
「ロザリンデの子供を殺したのは君か?」
「はい」
少年は嬉しそうな笑顔のままあっさりと肯定した。
✱✱✱
八年前。マーヴェル子爵家の当主夫妻と嫡男が三人同時に亡くなった。不幸な事故だった。
残ったのは新婚だった嫡男の妻ロザリンデと、子爵当主が戯れに手を付けたメイドに産ませた庶子の次男、ルキウスだけ。
庶子と言えども次男として認知されているルキウスが子爵家を継ぐことが妥当だろう。
しかし当時ルキウスは八歳になったばかり。義姉となる嫡男の妻ロザリンデが後見人、及び代理の当主として彼の成人まで子爵を名乗り、家を守ることになった。
しかしその後彼女が妊娠していると判明する。
次の子爵であった嫡男の子供と、嫡男の異母弟の庶子。どちらに後継となる正当性があるかは明白だった。
子爵の寄り親である伯爵家と、親族たちの議論により、ルキウスを生まれた子供が成人するまでの中継ぎの当主とすることが決定された。
仮の子爵を名乗る義姉ロザリンデ───彼女は無事に息子を産んだ。
しかしその息子は、ファビアンはわずか四ヶ月しか生きられなかった。
その時の彼女の嘆きようはひどいものだったという。
結局最初の話通り、ルキウスが成人後子爵家を継ぐことになった。
✱✱✱
「俺へのファビアン殺しの疑いって、当時からもありましたよね。それこそあの女にもお前が殺したんだろうって詰め寄られましたし? まあ俺はあの子には近寄ったこともないし、世話をする誰かとも接触してないと、家臣たちが証言してくれましたが」
「そうだな。そして君が誰かとやり取りしていた痕跡もなく、王家も抱いた君への疑惑はその時に晴れた。だが君は今殺したと言った。……なにをどうやった?」
「止めなかっただけです」
「王太子殿下はご存知無いですか?
一歳未満の赤子に、ハチミツって与えちゃいけないんですよ。死んじゃうことがあるから。
なんだったかな。実はハチミツには毒素があるんですけど、人間はそれを分解できるから食べても大丈夫なんです。でも一歳未満の赤子はまだその分解ができないから、死んじゃうこともある。だったかな」
「なんだそれは? 聞いた事も無いぞ」
「そうですか。まあ俺も遠い昔の知識なのでうろ覚えですけども。一歳未満の赤子にハチミツは食べさせてはいけません、下手したら死にます。これは間違いなく事実ですよ」
少し失礼します、と言いながらルキウスは用意されている飲み物にハチミツを垂らした。
黄金の蜜が黒い液に溶けていく。
実は毒があるのだと言ったその口で、なんの恐れも見せずにルキウスはそれをたっぷり入れた飲み物を飲んだ。
「まあ必ずしも体調崩して死ぬとも言い切れませんけどね、赤子なんてそれこそなんで死ぬのかわからない生き物だし。だから俺が殺した、とは厳密には言えないでしょうね。
俺はただ、乳母がハチミツを胸に塗ってあの子に乳を含ませてることを知っても止めなかっただけです。あの乳母は自分の子にも同じことしてたみたいですよ、この方が食いつきがいいし、ハチミツは栄養もあるからって」
「その乳母の子は死んだのか」
「生きてますよ。元気にうちの使用人してくれてます」
「君は先程から死ぬと」
「だから必ずしもそうなるわけじゃないんですよ、体調を崩す可能性が高い、死ぬ事もある、って言っています。
俺だってあーそうするならそれで死んでくれたらいいなぁと思ったくらいですし。あと一歳以上の人間はいくら食べても大丈夫ですよ基本的に。殿下もいかがですか、ハチミツ」
「………続きを頼む。君はどうして子供を死なせたいと思ったんだ? もしかして不義の子だった可能性があるのか?」
「ちゃんと兄上の子だと思いますよ、あの女そんな間抜けじゃなかったから。遊ぶなら後継を産んだあとにしたでしょう」
「子爵位が欲しかったのか」
「いいえ。───父親も祖父母もいないなんて、国の保護化にあっても苦労するでしょう。ならさっさと死んで両親がいる家庭に生まれ変わったほうがいいだろうと思いました。
まあ一番の理由は、我慢ならなかったからですけどね。兄上の子供が、あんな女を母親と呼ぶなんて事実が」
「夫とその両親が揃って死んだことに、大喜びした女なんかを」
✱✱✱
マーヴェル子爵家の不幸から三年。仮の女子爵ロザリンデは被後見人の義弟ルキウスを連れて、様々な催しに顔を見せていた。
まだ十九歳の若さで半年しか連れ添っていない夫に先立たれ、その忘れ形見の息子も喪い、血の繋がらない義理の弟を育てている未亡人の女子爵が、疲れた顔をしながら「うちの後継をよろしくお願いします」と頭を下げる姿は、周囲の同情を買った。
女性たちは年長者として力になろうとし、男性の中には彼女の美しさとその不幸の身の上に、己が支えてやりたいと思うものも少なくなかった。
最初の一年ほどは哀れみと同情で囲まれていた。しかし二年も過ぎれば、じわりとその目は厳しくなっていった。
「もう三年。あの方、相も変わらずね」
ロザリンデは数々の男を引き寄せ、時には交際してるような様子を見せたが、再婚はしていなかった。
「再婚をうながす素振りだけして、かわし続けるんですって。それで結局殿方の方から離れられるみたい。これで何人目かしら」
「ご実家からルキウス様の後見人を別の親族に任せて帰ってくるよう言われても、お断りし続けているとか」
「再婚なさりたいならそうすればよろしいのにしないのよね」
女性たちの目には、ロザリンデが今の立場に優越感を得ていて、男性たちに同情されて囲まれることを楽しんでいると見えている。
マーヴェル子爵の正当な後継者はルキウスだ。ロザリンデはあくまでもルキウスが成人するまでの仮の当主。亡き嫡男の妻で義理の姉であり結局マーヴェル家とは他人なのだ。
よって彼女が再婚するならばルキウスの後見人を、すなわちマーヴェル子爵の立場を捨てるしかない。
彼女はただのロザリンデになることでしか、再婚が許されない。それは家の簒奪になるからだ。
ロザリンデは二十三歳になったばかり。まだ十分に若く美しく、子供も望める彼女は婚家とのしがらみを切って新たな出発ができるはずなのに、それをしない。
彼女は、あの立場を捨てたくないのだ。
「ルキウス様がお気の毒だわ。あれでは同情を誘う小道具のよう」
「ようじゃなくて、そうしているのよ。血の繋がらない幼い弟を育てている、ってね。どうして殿方はそれが手段だとお気づきにならないのかしら」
「ちゃんと気がついている方はいらっしゃるわよ。気が付かない方が偽りの色香に惑うのよ」
「可哀想なひとを支えるご自分に酔っていらっしゃる方もいるようよ? まったく、どうしようもないわね」
「……ご存知? 最近あの方、ジルドゥ男爵に擦り寄っておられるのよ。ルキウス様も連れて」
「…ジルドゥ男爵って……武功は大変ご立派な方だけれど…良くないご趣味があると噂があるお方よね…?」
「ええ、真偽はわからないけれど。……少年趣味だとか」
「ルキウス様…大丈夫かしら……?」
✱✱✱
「あの噂は真実でしたよ」
「……そうか」
「俺が何をされたかお聞きになりますか?」
「結構だ。……ジルドゥ男爵は趣味嗜好はともかく、武功は確かで父王陛下の覚えも愛でたい。そこからあの女は、来た」
「はい。あの女の狡猾なところですね。女子爵の立場は捨てずに男と楽しみたい。それなら妾が一番いい。そしてどうせならと、上位の男を望んだ。───結果、国一番の男性を落としてみせたわけです。
女って怖いですよね。いや男が単純なんでしょうか?」
どちらだと思いますか殿下、という言葉に王太子は返答をしなかった。
「それでですね、あの女の子供のことなんですけど。……俺はやはり王族殺しになります?」
「それを言う前に聞かせてくれ。胎児殺しはどうやった?」
「まあこれも、俺が殺したとは断言し難いのですけれど」
「カフェインの大量摂取って、体に良くないんですよねぇ。とくに女性には」
茶器を持ち上げ、今まさに口に飲み物を含もうとした王太子の手が止まる。
王太子が飲もうとしていたのは最近開発された新しい飲み物だった。
色は黒く苦味があるがその香りはどこまでも深く芳醇であり、また眠気を飛ばして目が覚める効能がある薬茶として広まりつつある飲み物。
その作用のあるカフェインという成分が多く含まれているからだ、という話は聞いている。
他でもない、作成者であるルキウス・マーヴェル子爵、本人から。
飲むのをやめて茶器を置いた王太子にルキウスは笑う。
「やだな、一日に何十杯って感じのがぶ飲みを一ヶ月くらい続けたりしなければ大丈夫ですよ、……多分」
「……多分とは?」
「俺も遠い昔の知識なので…。あとカフェインだけじゃないですよ、香草茶もです、妊娠してる女性には良くないものがありましてね?」
「それも聞いたが、……つまりあれは虚偽だと?」
「いいえ、報告したものがすべてで無かっただけです。一部のみ秘匿して、あの女にだけ特別な香草茶を提供していました。
王太子妃殿下にご献上したものは大丈夫です、ご安心を。実際母子とも問題なく元気にお生まれになられたでしょう」
「………」
✱✱✱
この国では貴族の男子は十三歳になると王宮に上がれるようになる。将来の布石のために行儀見習いや文官見習いとして働けるようになるのだ。
国王陛下の覚えがめでたいジルドゥ男爵の伝手を使い、ルキウスとその後見人ロザリンデは、初めての王宮ながら王弟夫妻の社交パーティーに出席できることになった。
己の今の立場を手放すことなく、女盛りも捨てずに男と相愛になるには、妾の立場が一番いい。
そう目論んでいたロザリンデの標的はパーティーの主役の王弟、次点でその臣下たちだった。
そしてロザリンデは見事に射止めてしまった。
お忍びで出席したこの国で最も高貴である男性の心を。
当代の国王、ガヘリス陛下を。
ガヘリス国王陛下はすでに御年五十に近い。しかしまだまだ矍鑠としており若々しく、シワが多いながらも男ぶりのある壮年の色男だ。
それは女性に関してもで、これまでにも何人か公妾を抱え、唯一の正妃との子である王太子以外の庶子も数人存在している。
ゆえにまあ、ロザリンデが新たな公妾に迎えられることになっても、周囲はまたかという態度だった。
この時にルキウスは王宮に文官見習いとして上がる事が決まった。
✱✱✱
「ロザリンデが身ごもった子を死なせようとしたのはなぜだ?」
「嫌がらせです。いくら陛下の寵愛が深くとも子を産めない女は、周りからは嘲笑されるでしょう」
「それまで従順な弟を演じてきた甲斐がありました。どうしてあんたも死ななかったのって言われたときも、男に振られて八つ当たりに暴力を振るわれたときも、ジルドゥ男爵以外のそういう趣味嗜好の方に差し出されたときも、俺はずっと何も言わず逆らわず従ってきました。
───だからあの女は俺が提供するコーヒーや香草茶も、それを元に作った香水をふんだんに使うことも、何も疑わなかったんでしょう」
「………」
「大嫌いでしたよ、本当に。あの女、兄上が顔も能力も平凡なつまらない男だったって、自分にはもっと上の男が似合うんだからって、これで自由になるって、笑ったんですよ。邪魔な義理の親も一緒に死んでくれるだなんて最高だ、ってね」
「………それを君の前で言ったのか」
「はい。なのになんであんたは生きてるのよって、そんなに悲しいなら死ねば、とも言われましたよ」
「………」
「まあそのすぐあと、俺の後見人になると女子爵として国の庇護下で暮らせるって知って手のひら返してきたんですけど!」
「………」
「女子爵になったあとは俺も使って男の同情を集めていい思いしようとして、でも女子爵のままだと再婚もできない、子供も産めないって八つ当たりしてきて」
「だからね、本当に嬉しいんです。あの女に、お前なんてさっさと死ねばよかったんだって言えたことが」
「………そうか」
✱✱✱
ロザリンデは公妾になってから一年後に子を身ごもった。
国王が大いに喜んだのもつかの間、その子は流産してしまった。
元々子を失った悲しみで男性の情を誘うことに味を占めていたロザリンデは、ことさら悲しんで国王に縋ってみせた。それによってまたすぐ妊娠をした。しかしその子もまた流れた。ロザリンデはこれまた深く悲しんだ。
その様子に、王は鬱陶しさを感じた。
子を失くす悲しみはわかる。だがあまりにもその悲しむ様子がわざとらしいと、ロザリンデがこれまで付き合ってきた男たちよりも経験豊富な国王にはさすがにわかってしまった。
ロザリンデは実質王の寵愛を失った。
さすがに子供を失くしたからという理由で遠ざけることはできないと、すぐに公妾を辞するような事にはならなかったが、ガヘリス国王はロザリンデの部屋に通わなくなった。
ロザリンデは侍女たちに嘆いた。
私が子供を産めないから。そのせいで、と。
若い侍女はロザリンデに同情したが、年かさの侍女はやはりわざとらしいと感じた。
国王陛下の寵愛を失い、おそらく一年後には王宮から去ることになるロザリンデは、王太子に目をつけた。
王太子はロザリンデと同年代。そして王太子妃が身ごもっている今なら、女を寄せ付けやすいと思ったのだろう。
その行動が彼女の運命を決定づけた。
王太子に秘密裏にアプローチをかけだした数ヶ月後、ロザリンデは病に倒れ、一ヶ月後に亡くなった。
ルキウスが成人する二週間前のことだった。
最期の時を迎えようとしているロザリンデは国王や王太子を呼んでいたらしいが、駆けつけたのは「弟」であるルキウスだけ。
二人きりにしてほしいというルキウスの頼みを聞いた王宮医や侍女たちは、二人がどんな最期の会話を交わしたのかは知らない。
ただ、ロザリンデがろくに動かないはずの手を懸命にルキウスに伸ばそうとし、その顔は消して穏やかとは言えないものだった、ということだけが知られている。
✱✱✱
成人まで残り二週間だったことからそのまま何も手こずることなく正当に子爵位を継いだルキウスは、王太子からの「秘密の招待」にすんなり応じて、己の「子殺し」の罪をこれまたすんなり告白した。
そして王太子に向けて、ロザリンデを殺したのは王太子であるとはっきり確信して感謝を述べたのだ。
「ところで殿下。国王にはいつ即位されるのでしょう?」
「急にどうした? ………数年以内にはと思ってるが」
「陛下はまだまだ元気ですよね。また新しい公妾を迎えそうな気配もしてますね。また新しく殿下のご弟妹が増えるのでしょうか」
「………」
「俺は殿下に永劫の忠義を捧げます。すでに遠い昔の知識ではありますが、……きっとまだまだ使えるものがありますよ?」
「毒殺に見えない殺し方…いや、死なせるようにすることはできるか?」
「そうですね。手始めに、お料理の味付けを濃くすることから初めて見るのはどうです?」
「そうするとどうなる?」
「とりあえず寿命が縮んで早く死にやすくなるのは確実です。アレルギーがあればもっと簡単なのですが」
「アレルギーとは?」
「人間の身体って時折、普通なら食べれるはずのものが害になることがあるんですよ。海鮮物とか木の実とかが多いですから、まずそれから試してみますか。上手く行けば毒とも疑われずにさっさと死んでくれるかも」
「ほう。詳しく頼む」
王太子とその部下二人はにやりと笑いあった。
「ところで、君のその遠い昔の知識とは一体なんなんだ?」
「俺、転生者なので」
「なんだそれは?」
「これ以上は今は秘密です」
兄上が亡くなる前までは、コーヒーが作れたらいいなあってくらいしか思ってなかったんですけどねぇ。
王太子には理解しがたい言葉をつぶやきながら、ルキウス・マーヴェル子爵はハチミツを入れたコーヒーを美味しそうに飲み干した。
✱終✱




