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七日前に戻るたび、君は僕を忘れる  作者: くま3
救えたはずの日常

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第9話:削除領域(ワールド・アウト)

 羽島誠は、意識の輪郭が溶けていく感覚に身を任せていた。真っ白な光に包まれ、あらゆる物理的な法則が剥ぎ取られていく。熱さも寒さも、重力すらも感じない。あるのは、ただ「自分」という概念の核だけだった。


 どれほどの時間が経ったのかはわからない。いや、ここでは「時間」という単位そのものが意味を失っていた。誠が目を開けると、そこは果てしなく続く灰色の空間だった。空も地面もなく、ただ霧のような何かが漂っている。距離感も上下も曖昧で、一歩踏み出そうとしても、自分が進んでいるのか、その場に留まっているのかさえ判然としない。


 思考が妙に澄み渡る一方で、指先の感覚を思い出そうとすると、霧散していく。

 ここは、世界から拒絶された者たちの終着駅。

 完全消去を待つ、情報の「ゴミ箱」――。


「……やっと来たか、誠」


 背後からかけられた声に、誠は全身を凍りつかせた。

 ゆっくりと振り返ると、そこには見覚えのある、しかし少しだけ透き通ったような姿の男が立っていた。

 佐伯だった。


 彼は、現実の世界にいた時よりも不敵な笑みを浮かべ、透明な床のような場所に胡坐をかいていた。その周囲には、壊れた時計や判読不能な文字列、色の剥げた風景の断片が、まるで宇宙ゴミのように漂っている。


「佐伯……無事だったのか」


「無事、と言えるかどうかは怪しいがな。ここは『削除領域』。世界が処理しきれなかったバグや、物語に不要と判断された連中が、灰になるまで留め置かれる場所だ。俺は一足先に、ここの住人になっていたわけさ」


 誠は佐伯に歩み寄ろうとしたが、足元が泥濘のように重い。

 佐伯は動かぬまま、虚空を見つめて言った。


「驚いたろ。お前もとうとう、世界にとっての『高精度ノイズ』になったんだよ。何度もループを繰り返し、世界が想定した悲劇の精度を上回る救済を試みた。その結果、お前の存在そのものが、この世界の整合性を破壊する爆弾になっちまった」


 誠は自分の手を見つめた。掌の皺が、時折デジタルノイズのように乱れる。

 佐伯の説明によれば、観測者とは世界を安定させるための「固定点」だという。だが、その固定点が「台本」を書き換えようとする意志を持ちすぎると、世界はそれを「異物」として排除し、新しい固定点にすげ替えようとする。


 誠は、かつて自分が「観測者は一人で十分だ」という通告を受けた理由を理解した。

 世界は、自分の意志で動く観測者を嫌うのだ。


「……僕たちは、ここから消えるのを待つだけなのか?」


 誠の問いに、佐伯は口角を吊り上げた。

「本来ならな。ここで時間が経てば、お前の記憶も存在も完全に分解され、誰の記憶にも残らずに消滅する。ループも、救済も、そこでおしまいだ」


 佐伯は立ち上がり、漂う空間の一点を指さした。そこには、歪んだ鏡のような亀裂があり、向こう側にぼんやりと現実の風景が映し出されていた。


「だが、ここはゴミ箱だ。捨てられたゴミの中には、まだ使えるパーツも残ってる。観測者としての資格を失ったからこそ、できることがあるんだよ。いいか、誠。お前が主役として戻れば、世界はまたお前を管理下に置く。だが、『削除された死人』として干渉すれば、世界はお前を認識できない」


「観測されない干渉……」


「そうだ。記録にも残らない、因果にも組み込まれない、ただの『バグ』として世界を突っつく。お前が目指すべきは、救済者でも観測者でもない。この物語を裏側から食い荒らす、システムエラーそのものだ」


 佐伯が亀裂に手を触れると、そこには意識不明で入院しているはずの栞の姿が映った。

 栞は病室のベッドで、何かに怯えるように震えている。


「あ……」

 誠は思わず手を伸ばしかけた。だが、佐伯がその手を制止した。


「待て。感情を乗せるな。お前が強く念じれば、世界はその熱を感知する。今はただ、冷徹に、無機質なノイズとしてあっちへ触れるんだ」


 その時、現実世界の病室で異変が起きた。

 栞が、うわ言のように唇を動かす。

「……あ……じま……くん……?」


 看護師が驚いて駆け寄る。栞は、本来なら世界から消去され、思い出すはずのない誠の名前を、無意識の底から拾い上げようとしていた。


「バカな……世界は彼女の記憶を書き換えたはずなのに」

「世界がどれだけ消そうとしても、お前が残した『救済の痕跡』までは消しきれていないんだよ。世界は焦ってる。お前を消したのに、お前への未練が物語を歪ませているんだ」


 佐伯は笑った。その声は、かつて誠が知っていた佐伯の皮肉めいた響きを通り越し、どこか狂気じみた歓喜に満ちていた。


「世界はもう、お前を主人公として扱えない。お前という文字は、もう台本のどこにも存在しないんだ」


 誠は、歪んだ鏡の向こう側をじっと見つめた。

 そこに映る自分は、もはや名前もなく、形もない。

 ただ、栞を救いたいという、執念だけが情報の塊となって脈打っている。


 もし、世界が自分を物語の主役として認めないというのなら、それでいい。

 光の当たらない場所から、記録されない言葉で、観測されない指先で、この歪んだ世界の因果を、一本ずつ引き抜いてやる。


 誠は、削除領域の深淵を背負い、現実へと繋がる亀裂に指をかけた。

 その奥底に、自分たちよりもさらに古い、何千、何万もの「削除された観測者たち」の怨嗟のような残響を感じながら。


「なら、観測されない側から壊す」


 誠の瞳から、最後の人間の光が消え、冷徹なバグとしての輝きが宿った。

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