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七日前に戻るたび、君は僕を忘れる  作者: くま3
同じ時間、壊れていく関係

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8/16

第8話:忘れられていく兆候

 羽島誠は、6月17日の朝、静寂の中で目覚めた。

 カーテンの隙間から差し込む光は、いつもと同じ初夏の眩しさだったが、彼が真っ先に手を伸ばした場所には、何もなかった。


 枕元のサイドテーブル。昨日まで確かにそこにあったはずの「手帳」が、消えていた。

 誠は跳ね起き、鞄の中、引き出しの奥、床の上までを狂ったように探した。しかし、彼がループを繰り返しながら刻み続けてきた救済の記録は、その痕跡すら残さず、この世界から消滅していた。


 震える手でスマートフォンを手に取る。代わりに残されていたのは、メモアプリに記された、自分のものではない支離滅裂な断片だった。


『……光が足りない……修正不可……ノイズの除去を開始……』


 誠は冷たい汗を拭った。第7話で放った「観測不能な救済」。あれは世界にとって、単なる事故の回避ではなかったのだ。

「……バグだ。僕は、世界にとって消去すべきバグになったんだ」


 登校路、誠は自身の存在が急速に希薄化していくのを感じていた。

 コンビニの店員は誠の差し出した小銭を無視し、後ろの客に声をかける。横断歩道で待っていると、信号は彼を無視するかのように赤のまま静止し続けた。


 学校に着いても、異常は加速する。

 1時間目の出席確認。担任の教師は誠の席を素通りし、出席番号を一つ飛ばして次を呼んだ。

「……先生、僕がいます」

 声を上げたが、教師は耳を貸さず、クラスメイトたちも誠の席に誰もいないかのように、空っぽの空間に視線を投げている。


 名簿を確認しに行くと、そこにあるはずの「羽島誠」の名前が、水に濡れたように薄く滲み、判読不能になっていた。

 世界はもう、因果を書き換える手間を惜しんでいた。エラーの源である「観測者・羽島誠」そのものを、物語の背景へと押し流し、完全に抹消しようとしている。


 誠は廊下で栞を見つけた。

「栞!」

 必死に呼びかけると、彼女は足を止めた。だが、その視線は誠の瞳を捉えられない。

「……あれ? 誰か呼んだ? 羽島くん……? どこにいるの?」

 彼女の声には、得体の知れない不安が混じっていた。誠は目の前にいる。手を伸ばせば触れられる距離に。だが、栞にとっての誠は、霧の向こう側にいる幻影のように、輪郭を失い始めていた。


 会話は成立しなかった。誠が何を言っても、彼女の耳にはノイズとしてしか届かない。

 誠は、手帳を失った意味を痛感した。

 手帳は単なる記録ではなかった。あれはこの不安定な世界の中で、自分を「観測者」として固定するための装置だったのだ。それを世界に回収された今、誠はループの保証も、存在の根拠も、すべてを失った。


 午後になると、世界はさらにその「圧縮」を強めてきた。

 チャイムは鳴らず、時間は数分おきに数時間単位で跳ねた。

 物理的な空間が歪み、廊下の先が真っ暗な虚無に繋がっている。


 誠の記憶さえもが、磨り減っていく。

 自分が何のために戦っていたのか。栞の笑顔はどんな形だったか。

 存在が背景へと溶け込み、意志が風景の一部へと同化していく。その心地よいとさえ思える破滅の感覚に、誠は抗い続けた。


 その時、校舎の片隅で一瞬だけ「残響」を見た。

 壁に刻まれた、見覚えのある荒々しい筆跡。

『まだだ』

 そして、誰もいないはずの放送室から、微かに漏れ聞こえる佐伯の独り言。

「……観測者は……一人じゃ……足りない……」


 世界が「削除済み」として葬り去ったはずの、佐伯の残滓。

 誠だけが、そのバグの破片を拾い上げることができた。削除された者同士が、世界の底辺で共鳴し始めていた。


 その時、ポケットのスマートフォンが激しく震えた。

 通知画面。差出人不明。件名なし。

 本文は、極めて短い一文だった。


『次は君だ』


 直後、スマートフォンの画面が乱れ、誠の連絡先、SNSのアカウント、保存された写真が、次々とデリートされていく。

 誠という人間を形作っていた社会的な「記録」が、この宇宙から完全に消去された。


 誠は、究極の選択を突きつけられていた。

 このまま観測者をやめ、世界の意思に従って「無」に溶けるのか。

 それとも、削除されたはずの「佐伯」という不確定要素と繋がり、世界の外側へと踏み出すのか。


「……一人で十分だなんて、誰が言った」


 誠は、歪んでいくスマートフォンの画面を指で弾いた。

 世界が主役を否定するなら、主役を捨ててやる。

 世界のルールを守る側に未来がないなら、ルールを破壊する「外側」の住人になってやる。


 その決断を下した瞬間、スマートフォンの画面に、見覚えのある文体が表示された。

 誠のものでも、世界のシステムのものでもない。かつて隣で笑っていた、あの傲慢で不遜な男の言葉。


『やっと気づいたか。世界の外は、思ったより狭いぞ』


 差出人名:Saeki(削除済み)


 誠の視界が、真っ白な光に包まれる。

 それは削除の光ではなく、世界の壁を食い破る「エラー」の胎動だった。


 羽島誠は、今、物語の主人公であることをやめ、世界そのものを書き換えるための「共犯者」へと変貌した。

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