鉄槌、あるいは冷酷なる訣別
豪奢なシャンデリアが輝く本館の広間に、場違いな足音が響いた。ずぶ濡れの靴が絨毯を濡らし、泥の雫が点々と床に落ちる。しかし、エドワードとソフィアの二人は、それさえも自分たちの「絆の証」であるかのように、しっかりと手を繋いだまま歩を進めた。
暖炉の前で優雅にワイングラスを傾けていたイザベラが、その姿を見て、凍りついたような表情で立ち上がった。
「……何よ、その見苦しい姿は。エドワード、正気なの?その汚らわしい女を抱き寄せ、自分まで泥にまみれるなんて。ハザウェイ家の名誉を、自らドブに捨てるつもりかしら」
イザベラは顔を歪め、鼻を鳴らした。彼女の指先には、かつてエドワードを翻弄したあの傲慢な自信が宿っている。
「さあ、その手を離しなさい。……ミス・ソフィア、と言ったかしら。あなたは今すぐこの屋敷から叩き出されるべきよ。あなたが旦那様を誘惑し、このような醜態を晒させた不道徳な噂を、私がロンドンのサロンでどう広めてあげるか、今から楽しみで仕方ないわ」
ソフィアは、エドワードの手を握る力を強めた。だが、今の彼女はもう怯えてはいなかった。彼女の隣に立つ男から伝わってくる、揺るぎない熱情と覚悟が、彼女の慎ましき魂に鋼のような強さを与えていたからだ。
エドワードは、ゆっくりとイザベラへ歩み寄った。泥を滴らせたままの彼は、磨き上げられた礼装を着ていた時よりも、ずっと王者のような威厳に満ちていた。その瞳には、もはやイザベラを恐れる影など微塵もない。あるのは、ただ静かな、そして絶対的な拒絶だった。
「……イザベラ。私の寛大さには、もう限界があると言ったはずだ」
エドワードの声は、地を這うような低音で、広間の空気をビリビリと振動させた。
「噂を広めるがいい。社交界のすべてが私を指差して笑おうとも、私がこの人を離すことは二度とない。……だが、その前に、お前が犯した『罪』の報いを受けるがいい」
「……何のことよ。罪だなんて、言いがかりはやめて」
「五年前、この屋敷の西翼を焼き、私の母の命を奪ったあの火災。……あれは、お前の浪費癖による借金を隠すための、保険金目当ての放火だったな」
イザベラの顔から、みるみるうちに血の気が引いていった。彼女の唇が、細かく震え始める。
「な、何を馬鹿なことを……証拠なんて、あるはずがないわ……」
「……これを見ろ」
エドワードは、執事トーマスから差し出された一通の、古い、しかし厳重に保管されていた書簡を突きつけた。
「お前が買収した男が、死の直前にすべてを告白した自筆の書面だ。……お前が私を脅すために使っていた『偽造工作の証拠』の、さらに上を行く『本物の真実』がここにある。これを司法当局に渡せば、お前が次に向かうのはロンドンの社交界ではなく、ニューゲート刑務所の冷たい石畳の上だ」
「そんな……!嘘よ!それを渡しなさい!」
イザベラは豹変し、髪を振り乱してエドワードに掴みかかろうとした。だが、エドワードは彼女に触れさせることさえ厭うように、冷たくその身をかわした。そして、彼女の手から無造作にワイングラスを奪い取ると、そのまま大理石の床へと叩きつけた。
――ガシャン!!
クリスタルが砕け散り、真っ赤なワインが、イザベラの高価な孔雀色のドレスの裾を無惨に汚した。それは、彼女がこれまで他人を傷つけ、踏み躙ってきた代償として流されるべき血のようにも見えた。
「二度と、この屋敷の敷居を跨ぐな。そして二度と……彼女の名をその汚れた口で呼ぶな」
エドワードは、銀の杖の先で玄関の扉を指し示した。
「……出て行け。嵐の中を、お前に相応しい泥道を這って帰るがいい」
「エドワード!待って、私は……!」
「トーマス。この女を今すぐ敷地外へ。抵抗するなら、そのまま警官に引き渡せ」
執事トーマスと屈強な下男たちが、イザベラの両脇を固めた。彼女は悲鳴のような罵声を上げながら、雨の吹き荒れる夜の闇へと引きずり出されていった。
静寂が戻った広間で、エドワードは、泥に汚れ、しかし凛と立ち尽くすソフィアを振り返った。
「……怖かったか、ミス・ソフィア」
その声は、先ほどとは別人のように、掠れて、優しかった。ソフィアは首を横に振り、エドワードの泥だらけの胸に、そっと自分の額を預けた。
「……いいえ。あなたが、私を救い出してくださると信じておりましたから」
エドワードは、折れそうなほど愛おしく彼女を抱きしめた。泥と雨の冷たさなど、もう感じなかった。二人の間には、世界で最も熱く、そして何者にも冒されない愛の炎が、ようやく静かに、しかし力強く灯っていた。
窓の外では、嵐が去りゆく気配と共に、わずかな雲の切れ間から、明日の希望を感じさせる月光が差し込み始めていた。




