表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷の伯爵は野薔薇に跪く  作者: Lucy M. Eden


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/10

鉄槌、あるいは冷酷なる訣別

豪奢なシャンデリアが輝く本館の広間に、場違いな足音が響いた。ずぶ濡れの靴が絨毯を濡らし、泥の雫が点々と床に落ちる。しかし、エドワードとソフィアの二人は、それさえも自分たちの「絆の証」であるかのように、しっかりと手を繋いだまま歩を進めた。


暖炉の前で優雅にワイングラスを傾けていたイザベラが、その姿を見て、凍りついたような表情で立ち上がった。


「……何よ、その見苦しい姿は。エドワード、正気なの?その汚らわしい女を抱き寄せ、自分まで泥にまみれるなんて。ハザウェイ家の名誉を、自らドブに捨てるつもりかしら」


イザベラは顔を歪め、鼻を鳴らした。彼女の指先には、かつてエドワードを翻弄したあの傲慢な自信が宿っている。


「さあ、その手を離しなさい。……ミス・ソフィア、と言ったかしら。あなたは今すぐこの屋敷から叩き出されるべきよ。あなたが旦那様を誘惑し、このような醜態を晒させた不道徳な噂を、私がロンドンのサロンでどう広めてあげるか、今から楽しみで仕方ないわ」


ソフィアは、エドワードの手を握る力を強めた。だが、今の彼女はもう怯えてはいなかった。彼女の隣に立つ男から伝わってくる、揺るぎない熱情と覚悟が、彼女の慎ましき魂に鋼のような強さを与えていたからだ。


エドワードは、ゆっくりとイザベラへ歩み寄った。泥を滴らせたままの彼は、磨き上げられた礼装を着ていた時よりも、ずっと王者のような威厳に満ちていた。その瞳には、もはやイザベラを恐れる影など微塵もない。あるのは、ただ静かな、そして絶対的な拒絶だった。


「……イザベラ。私の寛大さには、もう限界があると言ったはずだ」


エドワードの声は、地を這うような低音で、広間の空気をビリビリと振動させた。


「噂を広めるがいい。社交界のすべてが私を指差して笑おうとも、私がこの人を離すことは二度とない。……だが、その前に、お前が犯した『罪』の報いを受けるがいい」


「……何のことよ。罪だなんて、言いがかりはやめて」


「五年前、この屋敷の西翼を焼き、私の母の命を奪ったあの火災。……あれは、お前の浪費癖による借金を隠すための、保険金目当ての放火だったな」


イザベラの顔から、みるみるうちに血の気が引いていった。彼女の唇が、細かく震え始める。


「な、何を馬鹿なことを……証拠なんて、あるはずがないわ……」


「……これを見ろ」


エドワードは、執事トーマスから差し出された一通の、古い、しかし厳重に保管されていた書簡を突きつけた。


「お前が買収した男が、死の直前にすべてを告白した自筆の書面だ。……お前が私を脅すために使っていた『偽造工作の証拠』の、さらに上を行く『本物の真実』がここにある。これを司法当局に渡せば、お前が次に向かうのはロンドンの社交界ではなく、ニューゲート刑務所の冷たい石畳の上だ」


「そんな……!嘘よ!それを渡しなさい!」


イザベラは豹変し、髪を振り乱してエドワードに掴みかかろうとした。だが、エドワードは彼女に触れさせることさえ厭うように、冷たくその身をかわした。そして、彼女の手から無造作にワイングラスを奪い取ると、そのまま大理石の床へと叩きつけた。


――ガシャン!!


クリスタルが砕け散り、真っ赤なワインが、イザベラの高価な孔雀色のドレスの裾を無惨に汚した。それは、彼女がこれまで他人を傷つけ、踏み躙ってきた代償として流されるべき血のようにも見えた。


「二度と、この屋敷の敷居を跨ぐな。そして二度と……彼女の名をその汚れた口で呼ぶな」


エドワードは、銀の杖の先で玄関の扉を指し示した。


「……出て行け。嵐の中を、お前に相応しい泥道を這って帰るがいい」


「エドワード!待って、私は……!」


「トーマス。この女を今すぐ敷地外へ。抵抗するなら、そのまま警官に引き渡せ」


執事トーマスと屈強な下男たちが、イザベラの両脇を固めた。彼女は悲鳴のような罵声を上げながら、雨の吹き荒れる夜の闇へと引きずり出されていった。



静寂が戻った広間で、エドワードは、泥に汚れ、しかし凛と立ち尽くすソフィアを振り返った。


「……怖かったか、ミス・ソフィア」


その声は、先ほどとは別人のように、掠れて、優しかった。ソフィアは首を横に振り、エドワードの泥だらけの胸に、そっと自分の額を預けた。


「……いいえ。あなたが、私を救い出してくださると信じておりましたから」


エドワードは、折れそうなほど愛おしく彼女を抱きしめた。泥と雨の冷たさなど、もう感じなかった。二人の間には、世界で最も熱く、そして何者にも冒されない愛の炎が、ようやく静かに、しかし力強く灯っていた。


窓の外では、嵐が去りゆく気配と共に、わずかな雲の切れ間から、明日の希望を感じさせる月光が差し込み始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ