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氷の伯爵は野薔薇に跪く  作者: Lucy M. Eden


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4/10

陽だまりの誘惑と凍える影

昨夜、琥珀色の静寂に包まれた書庫で起きた出来事は、ソフィアの心に消えない火傷のような熱を残していた。耳元で弾けた本棚を叩く音、エドワードの荒い吐息、そして、彼が自らを傷つけることで守り抜いた一線の重み。ソフィアはそれらを振り払うように、早朝から庭園の剪定に没頭していた。朝露に濡れた薔薇の茂みに鋏を入れるたび、銀色の雫が彼女の指先にこぼれる。その冷たさで、昨夜触れたエドワードの肌の熱を忘れようとしていた。


(……忘れるのよ、ソフィア。あの方は、私が決して触れてはならない、孤独という名の鎧を纏った方。私はただの庭師……それ以上の存在を望むなど、分をわきまえない傲慢だわ)


自分に言い聞かせても、本棚に追い詰められたときに見つめられた、彼の剥き出しの孤独な瞳が脳裏を離れない。


そんな彼女の沈思を破るように、庭園の入り口に快活な馬のいななきが響いた。蹄の音が石畳を叩き、現れたのは、昨日エドワードに冷酷に追い返されたはずのオリバーだった。彼は見事な栗毛の馬から軽やかに飛び降りると、瑞々しい陽光を背負い、眩しいばかりの笑顔でソフィアに駆け寄った。その腕には、丁寧に包まれた一鉢の苗がある。


「おはよう、ソフィアさん!……昨日の伯爵の態度は気にしないで。彼はこの屋敷と同じで、少しばかり影が深すぎるだけさ。君が心配で、じっとしていられなかったんだ」


「オリバーさん……。またいらしたのですか?伯爵様に見つかったら、今度こそ大変なことに……」


「君のためなら、多少の不興を隠居の伯爵から買うくらい、どうってことないよ。これを見て。僕の農園で特別に育てた『ハニームーン』という名の、琥珀色の薔薇だ。この辺りでは珍しい品種だよ」


オリバーは包みを解き、見事な大輪の蕾をつけた苗を差し出した。その温かな琥珀色は、昨夜、書庫でエドワードの手を包んでいたオイルランプの灯火を思い出させた。ソフィアは思わず手を伸ばし、その柔らかな花弁にそっと触れる。


「……綺麗。なんて温かな色でしょう」


「だろう?君の小屋の窓辺に植えたら、どんなに素敵かと思ってね。……ねえ、ソフィアさん」


オリバーの声から、冗談めかした響きが消えた。彼はごく自然に、ソフィアの泥のついた手を自分の温かな両手で包み込んだ。


「君は、こんなに美しく、植物を愛する慈悲深い手をしている。それなのに、毎日泥にまみれ、あんな不機嫌な主人の怒りに怯えて暮らすなんて、あまりに忍びない。……ソフィアさん。僕と一緒に来ないか?僕の農園なら、君をこんな陰気な石壁に囲まれた場所ではなく、もっと自由で、光の溢れる場所へ連れていける。僕が君を幸せにしてみせるよ」


オリバーの瞳には、打算のない純粋な好意と、彼女を救いたいという真っ直ぐな誠実さが宿っていた。それは、エドワードが与える「凍えるような独占欲」とは対極にある、真っ当で、穏やかな幸せの提示だった。ソフィアの心が、救いを求めるように一瞬だけ揺れる。


――その瞬間だった。


ハザウェイ邸の門を、不吉なほど重厚で豪奢な馬車が、石畳を軋ませながら潜り抜けてきた。金色の装飾がふんだんに施されたその馬車は、白昼堂々と、主人の許可を待たずに玄関前へと乗り入れた。そのあまりに傲慢な振る舞いに、ソフィアは反射的にオリバーの手を離した。


同時に、屋敷のテラスへと続く大扉が開く。そこには、完璧なまでの夜会用礼装に身を包んだエドワードが立っていた。昨夜、剥き出しの情念を見せた男はどこにもいなかった。彼は再び、一寸の隙もない「氷の伯爵」の仮面を被り、階下の二人を射殺さんばかりの鋭い眼差しで見下ろしている。


馬車の扉が開き、絹の擦れる衣擦れの音と共に、一人の女が大地に降り立った。最高級の孔雀色のドレス。傲慢なまでに整えられた美貌。


「……あら。相変わらず、古臭くてカビの臭いのするお屋敷ね」


その声を聞いた瞬間、ソフィアは全身の血が凍りつくのを感じた。エドワードの瞳が、これまでにないほど鋭く、そして絶望的に冷たく光る。


運命が、音を立てて暗転していく。その逃れられない不吉な予感に、ソフィアは激しく身を震わせた。

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