雨の重みと野薔薇の誇り
イギリスの秋は、常に湿った憂鬱を孕んでいる。空は低く垂れ込めた鉛色の雲に支配され、広大なハザウェイ邸の敷地を容赦ない細雨が濡らしていた。石造りの重厚な屋敷は、あたかも巨大な墓標のように沈黙し、主の心の凍てつきを象徴しているかのようだった。
その庭園の片隅で、ソフィアは膝をつき、泥の中にいた。雨上がりの土は重く、冷たく、彼女の指先から体温を容赦なく奪っていく。使い古した革の手袋越しでも、湿った大地の感触は生々しく伝わってきた。だが、彼女はその不快さを厭うどころか、どこか安らぎすら感じていた。
「……よし、これで大丈夫。もう少しで、また芽を吹いてくれるわ」
ソフィアは、風雨に打たれて折れかかっていた野薔薇の細い茎に、自作の添木を当てた。麻紐を結ぶ手つきは、幼子をあやす母親のように慈愛に満ちている。泥にまみれたエプロン、濡れて頬に張り付いた一房の髪。華やかな社交界の令嬢たちとは対極にあるその姿には、自らの職分を全うする者だけが持つ、野生の蘭のような静かな気高さが宿っていた。
その時、背後の砂利を踏む、硬く規則正しい足音が聞こえた。
ソフィアの背筋を、冷たい電流が走り抜ける。振り返らなくても分かった。この、周囲の空気の密度を一瞬で変えてしまうほどの威圧感。そして、微かに漂う上質な馬革と、冷えた雨の匂い。
「相変わらずだな。泥と戯れるのが、そんなに楽しいのか」
頭上から降ってきたのは、磨き上げられたナイフのように鋭く、しかしどこか渇いた、低い声だった。エドワード・ハザウェイ伯爵。彼は黒い乗馬服を完璧に着こなし、非の打ち所のない立ち姿でそこにいた。五年前の忌まわしい火災で最愛の者を失い、自らも心に深い火傷を負ったという彼は、今や社交界から「氷の伯爵」と恐れられ、誰の侵入も許さない城の中に引きこもっている。
ソフィアは慌てて立ち上がり、泥のついたエプロンを軽く払って、作法通りに深く頭を下げた。
「……伯爵様。お戻りでしたか。お召し物が濡れてしまいます、どうか中へ」
「私の心配をする前に、自分の鏡を見るがいい。鏡など持っていないか、ミス・ソフィア」
エドワードが一歩、歩み寄る。彼の黒い革靴が、ソフィアが手入れをしたばかりの柔らかい土を無慈悲に踏みしめた。彼は白く清潔な手袋をはめた指先で、ソフィアの顎を強引に持ち上げた。
逃げ場のない視線がぶつかり合う。エドワードの瞳は、底知れぬ冬の湖のように透き通り、冷たかった。だが、その瞳の奥底には、出口のない迷路を彷徨い、己を呪い続ける「傷ついた野獣」のような、剥き出しの孤独が揺らめいている。
ソフィアは息を呑んだ。主人の指先が、手袋越しでも驚くほど冷たく、そして微かに震えていることに気づいたからだ。
「いいか、ミス・ソフィア。お前はただの庭師だ。私の庭を管理し、枯らさぬよう尽くせばいい。……それ以上のことはするな。その、泥のように濁りのない瞳で、私の暗闇を照らそうなどと考えるな」
彼の言葉は残酷だったが、その響きは、助けを求める悲鳴のようにも聞こえた。エドワードは彼女を突き放すように指を離した。触れた瞬間の熱が、冷え切った彼の体を焼き尽くすのを恐れるかのように。
「……今日はもう下がれ。泥の臭いが鼻につく」
彼は背を向け、大股で屋敷へと戻っていく。ソフィアは、泥のついた手を見つめ、小さく、誰にも聞こえない溜息をついた。
(……あの方は、あんなに冷たく私を拒むのに。どうしてあんなに、今にも泣き出しそうな瞳をなさっているのかしら)
一方、二階の書斎に戻ったエドワードは、激しく扉を閉めた。手袋を剥ぎ取り、壁に拳を強く押し当てる。石造りの壁の冷たさが、彼女に触れてしまった指先の熱を冷ましてくれるのを待った。彼女はただの庭師だ。泥にまみれた、名もなき野薔薇のような女だ。それなのに、なぜ彼女の瞳に見つめられるだけで、己の凍てついた心が無様に融け出そうとするのか。
「……ミス・ソフィア。お前が、私を狂わせる」
窓の外では、再び激しさを増した雨が、ソフィアが守ろうとした野薔薇を冷たく打ち据えていた。




