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第4話 雨の後、君と

翌朝。灰色の雲が空を覆い、雨粒が静かに校舎の窓を濡らしていた。


 文化祭まで残り数日。美術部の作業は追い込みに入り、尚弥は放課後のほとんどを部室で過ごしていた。

 だが、心の奥ではずっと、昨日の風交駅と澪の言葉が尾を引いていた。


「覚えててね、ちゃんと」

「今日、ここで一緒に見た空。……それだけでいいの」

 どうして彼女は、あんな言葉を選んだのだろう。

 まるで、誰かに何かを託すみたいに。


 放課後、尚弥は傘も持たずに外へ出た。

 人の流れとは逆に、駅とは思えないほど静かな場所――風交駅へ向かって歩いた。


 廃駅になって久しい風交駅は、雨に濡れながらも、どこか凛としていた。

 錆びたホーム、剥がれかけた時刻表、もはや役目を終えたベンチ。


 けれど尚弥にとっては、昨日澪と過ごした“確かな時間”が残る場所だった。


 ホームに座り、スケッチブックを開く。

 昨日の空、澪の横顔。すべてが記憶の中でやわらかく滲んでいく。


 ――ガタン、と古びた駅舎の床が軋む音がした。

 振り返ると、そこに澪が立っていた。


 「……来てたんだ」


 「うん。……なんとなく、また来たくなって」

 尚弥は少し照れたように答えた。


 「ほんとはね、今日は来ないつもりだったの」

 「うん」

 「でも……尚弥くんが来る気がしたの。だから……来てよかった」


 それは、昨日と同じようで、昨日とは違う表情だった。

 まるでひとつ、重たい決意を下ろしたあとのような。


 澪は、尚弥の隣に腰を下ろす。

 ふたりの間を、雨上がりの風が通り過ぎていった。


 「ねえ、澪」

 尚弥はスケッチブックを閉じながら訊いた。

 「最初に会った日。なんで、この駅にいたの?」


 しばらく黙ったあと、彼女はぽつりと答えた。


 「……逃げたかったんだと思う。どこか遠くに行きたかった。……もう電車、来ないのにね」


 「……そっか。じゃあ、どうしてここだったの?」


 「昔、家族で来たことがあるの。この駅……まだ電車が通ってた頃に」

 「……」

 「そのとき見た景色が、ずっと心に残ってて……。わたし、何かに迷うたびに、ここに戻ってきたくなるんだ」


 “戻る”という言葉に、尚弥の胸がふとざわついた。


 「じゃあ、俺がここにいたのは……」

 「偶然だと思う?」

 「……どうなんだろ」


 「わたしは、偶然じゃないと思いたい」

 澪は、目を伏せたまま言った。


 「だって、ひとりでここに来るつもりだったのに……誰かがいてくれて、救われたから」


 尚弥は、少しだけ顔を横に向けた。

 “誰かを救える”なんて、これまでの自分には無縁だと思っていた。


 でも今、澪がそう言ってくれた。

 それだけで、なにかが少しだけ変わる気がした。


 「……俺も、ここにいたの、偶然じゃない気がしてる」

 「うん」

 「なんか……誰かと話したかったのかもしれない。自分でも気づいてなかったけど」


 ふたりはしばらく沈黙したまま、駅のまわりを吹き抜ける風の音だけが耳に残った。


 「尚弥くんの絵」

 「うん」

 「風の音がするみたいに見える。悲しいのに、やさしい音」


 尚弥は、ふと空を仰いだ。

 雲の向こうに、うっすらと夕日が覗いていた。


 「澪」

 「なに?」


 「また来てもいい?」

 「もちろん。……わたしも、来るよ」


 それだけ言って、彼女は立ち上がる。

 雨上がりのホームを、スニーカーの音が遠ざかっていく。


 その背中を見送りながら、尚弥は思った。


 ――“誰にも興味なんてない”。

 それは、本当は自分自身への嘘だったのかもしれない。


 澪という少女が、今、心のなかに風のように吹き込んでいた。

 まだ理由はわからない。でも、たしかに彼女を「知りたい」と思っている自分がいる。


 そのことだけは、きっと、もう嘘じゃなかった。

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