第9話:命を燃やす五行
陰陽師である佐久間 昴の言う「木」の力とは、陰陽五行説における「木」の力のことである。
陰陽五行説では、万物を「木・火・土・金・水」の五つの要素で説明し、それらの相生(助け合う)と相克(打ち消し合う)の関係によって世界のバランスが維持されるという考え方だ。
陰陽師によって扱いやすい五行の力は異なり、それぞれが得意とする属性がある。例えば、篠宮凛は「水」の扱いに長け、霊的な気流を制御することができる。佐久間昴は「木」の力を扱うことができるが、大規模な術を発動するには、並外れた霊力が必要になる。また、松永修の得意属性は「金」であるが、彼の場合は術よりも身体能力に頼った戦いを好む。
この五行のうち、佐久間昴が得意とする「木」は成長と変化を司る力であり、生命の萌芽や繁栄を象徴する。陰陽師の術においては、大地を活性化し、植物を生み出す力として扱われる。しかし、これを大規模に行使するには膨大な霊力が必要であり、生半可な扱いでは術者の生命をも削ることになる。
「白亜紀の前半、地球には花がほとんどなかった。恐竜たちが生きていた時代の植物は、裸子植物が中心だった。ソテツ、イチョウ、針葉樹……花を咲かせる植物は、まだマイナーだった。」
佐久間昴に、松永修が続く。
「だが、白亜紀後期になって被子植物が登場し、急速に広がった。」
篠宮凛が理解を深めるように呟く。
「花の時代が来たことで、昆虫が増え、環境が変わり、恐竜の生態系も変化した……」
佐久間昴が霊符を握りしめる。
あくまで、説の一つではあるが、被子植物――花の出現は、それまでの生態系を一変させ、恐竜絶滅の一員となった。隕石の衝突やスーパープルームが起こるまでもなく、恐竜は花によって絶滅を運命づけられていたという考え方も存在するのである。
「つまり、花を咲かせることで、恐竜たちに『時代が変わった』こと……絶滅の運命を認識させる。」
松永修は、自分の考えが少し間違っていた可能性に気づいた。恐竜たちは、死んだことに気づいていないのではなく、気づいていないふりをしているだけなのかもしれない。そして、彼ら三人が生き残るためには、そうであることに賭けるしかない。
「……幻術ね。それなら任せて。」
しかし、佐久間昴は首を振った。
「違う、幻術じゃない。幻術なら、一頭一頭に術をかける必要がある。でも、恐竜の数が多すぎる。次々と増えてきて、かけきれない。」
その言葉を補強するかのように、霧の奥から影が現れる。
ヴェロキラプトルに、トリケラトプス、ティラノサウルス、プテラノドン、スピノサウルスだけではない。
さらに、カルノタウルス、アンキロサウルス、オルニトミムスが静かに姿を現し、空間を埋め尽くしていく。
篠宮凛が、その光景に怯えながら尋ねた。
「じゃあ、どうやるの?」
「この場の霊を操り、この辺り一帯の植生を花のある時代のものに変える……恐竜たちに全部に見せつけてやるんだ」
佐久間昴が霊符を広げ、松永修が驚いたように目を細める。
「そんなことができんのか?」
佐久間昴は、静かに答えた。
「理論上は不可能じゃない。今、この場所には、白亜紀の植物の幽霊が大量に存在している。この現象と同じことを起こせばいいんだ。」
松永修は半ば呆れたように肩をすくめた。
「そんな大規模に『木』の力を操ることができるのは初代火影ぐらいだぜ。」
佐久間昴が局地的に植物を出現させ、攻撃に使うことぐらいは知っている――しかし、佐久間昴が言うような規模で実行することは、まるで漫画のような話だ。
しかし、生き延びるためにはやるしかなさそうである。恐竜たちだけなく、ゴキブリや巨大バッタ――死を受け入れられない存在が、続々と終結する。
佐久間昴は霊符を強く握りしめる。
「あぁ、今の俺の実力だと、やれば確実に死ぬだろうな……だが、やらなければ、俺たち、全員、死ぬことになる。」
霊力の全てをつぎ込まなければ、術を発動することはできない。その結果、霊力は枯渇し、命を失うことになる。
佐久間昴が霊符を広げる。
「やってやる。」
篠宮凛がすぐに反対する。
「そんなの、ダメよ!」
「他に方法はない。」
「でも……!」
篠宮凛の声が震える。
「俺たちはここまで生き延びた。でも、恐竜霊を消滅させるには、時代の変化を見せるしかない。木の力を使えば、花が咲く。恐竜たちはそれを見て、自分たちの時代が終わったことを理解する……それは、俺にしかできないんだ。」
三人のなかで、「木」に適性があるのは佐久間昴だけである。
それでも、篠宮凛と松永修は反対の意を示す。
「それに……俺のせいだから。俺が、最初に、呪・ラシックパークに来るなんて言い出さなければ」
佐久間昴が弱々しく付け加えた。
確かに、最初にここに来ると言い出したのは佐久間昴だ。佐久間昴が、自分を責めたくなる気持ちは分かる。だが、ここに来たのは五人の総意である。佐久間昴だけに責任がある訳ではない。
篠宮凛も、松永修もこう思ったが、二人が思いを言葉にまとめる猶予はなかった。
「木霊――時の花開」
瞬間、佐久間昴の霊符から緑色の光が広がった。
地面がゆっくりと膨れ上がり、種子が目覚め始める。白亜紀にはまだ支配的でなかった被子植物――その根が、時代を超えて芽を出した。
「これが、今の世界だ。」
緑が広がる――色とりどりの花が、一斉に咲き誇る。
恐竜霊たちは動きを止める。彼らが知らなかった風景。
生きていた時代にはなかった、花の群れ。時代が変わった証拠。
白亜紀――恐竜の時代は終わった。
その光景が、彼らの記憶に静かに染み込んでいく。
恐竜霊たちは、静かに空を仰ぐ。
彼らは理解する。
時代は終わったのだ――。
彼らの輪郭が薄れ、霧へと溶けていく。
「お前はもう死んでいる」
佐久間昴の見せた悪戯っぽい表情が薄れ始めていた。
「言ってみたかっただじゃねぇか……」
言い終えるより早く、松永修が佐久間昴の肩を掴む。
「お前は死なせねぇ……霊力を分けるぞ。」
篠宮凛もまた、霊符を発動させた。
「お願い……置いてかないで」
二人の霊力が佐久間昴を包み込み、彼の消滅を阻止する。
「いけ……!」
次の瞬間――佐久間昴の消滅が止まった。
彼は、静かに立っていた。
三人は賭けに勝った。