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第8話:その後の生命の歴史

 松永修は、水辺を駆け抜けていた。

 仲間とはぐれた時間は決して長くはなかった。しかし――その短い間に、彼はスピノサウルスと遭遇した。

 ティラノサウルスをも上回る16メートルの巨体。長い顎には鋭い牙が並び、背には巨大な帆がそびえる。水辺の支配者――その視線が修を捉えた。

 生きるか、死ぬか。

 空気が重い。湿った熱が全身にまとわりつく。

 スピノサウルスがじりじりと前進する。鉤爪が泥を踏みしめる音が響く。力強い前肢が獲物を仕留める準備を整え、顎がわずかに開いた。湿った呼吸音――狩る者の気配。

 逃げる暇はない。もはや、考える時間すらない。

 その瞬間、走馬灯のように記憶が駆け巡る。

 過去の記憶が断片的に蘇る。笑い声、仲間との日々、陽の光を浴びた草原。そして、退屈だったはずの学校の授業風景までもが甦る。

 だが、そのすべてが今、影に飲み込まれようとしている。恐怖が意識を加速させ、鼓動が異常な速さで脈打つ。

 死ぬのか?ここで終わるのか?

 鼓動が早まる。肌が粟立つ。

 視界の隅でスピノサウルスの前肢がわずかに動いた――襲いかかる前兆。

 体が勝手に動いた――修は踏み込んだ。

 全身の力を込め、水面を蹴る。次の瞬間――渾身の力を込めて、拳を振り上げた。

 狙いは、スピノサウルスの頭部――直感的にそこを狙った。

 彼は叫ぶように拳を突き出し――重い衝撃が手元に返る。

 骨と筋肉がぶつかり合い、鈍い痛みが腕に走る。同時に、スピノサウルスの霊が僅かに揺れた。

「……効いた……?」

 その感覚の是非を確認するため、修は荒い息を吐きながら、視線を上げる。

 スピノサウルスは、微動だにせず、じっとこちらを見つめていた。そして、その瞳の奥には深紅の炎が移っていた。それは、スーパープルームによる炎なのか、巨大隕石の衝突による炎なのか。

 

 ――地球の奥深く、マントルの活動が異常なエネルギーを蓄積し、何万年もの時間をかけて破壊の準備をする。

 ある時、限界を超えた熱と圧力が地殻を突き破り、巨大なマグマ流が噴出する。

 地表は溶岩に飲み込まれ、大気は有毒なガスに満ち、太陽はその光を遮られる。それがスーパープルームだ。――

 ――直径10kmの小惑星が秒速20km以上で地表に突入し、瞬間的な熱と衝撃波が世界を砕く。

 衝突地点から数千キロ先まで爆風が広がり、地球の表面は灼熱の嵐に包まれる。動物たちは息をする間もなく、光の中へ消え去った。宇宙から降り注ぐ絶対的な力に破壊。それが、巨大隕石の衝突というものだ。――


 いずれの現象も一瞬で命を焼き尽くすもので、直撃を受けた者にとって、その瞬間を認識することすら困難なことである。つまり、自分の死に気づけないままになってしまうのだ。

「……そうか。」

 松永修は息を整えながら拳を握りしめる。

 意図せず松永修が拳に込めたのは、自分自身の魂とDNAに刻まれた生命の歴史の記憶である。恐竜たちの死後に誕生した、人間という存在に刻み込まれた記憶は――恐竜たちにとっては「死の記憶」そのものであった。

 それが、この空間における最上の武器となった。

 松永修はスピノサウルスを見据えた。

「動揺してやがる……。」

 次の瞬間、彼は霧の奥へと駆け出した。スピノサウルスは追ってこない。

 それは、すでに死を理解し始めていたからだ。恐怖、絶望、困惑等が複雑に絡み合った感情に支配され、その場に立ち尽くす以外のことが出来なくなってしまっている。


 松永修はこの最上の武器の存在を伝えるため、仲間を探した。

 直感を頼りに霧の中を駆け回り、肉食竜と対峙する人影の存在に気づく。距離が縮まるにつれ、その詳細が明らかになる。

 そして――それが、仲間の影であると確信できたのは、丁度、相沢さくらの体が霧のように溶け、跡形もなく消えていく瞬間だった。

「……っ!」

 松永修の拳が震えた。

 遅すぎた。 彼は歯を食いしばり、走る速度を上げた。

 佐久間昴と篠宮凛は、必ず救う――松永修は仲間たちまでの距離を一気に駆け抜ける。


 佐久間昴と篠宮凛はお互いに背を預け、なんとかヴェロキラプトルたちの攻撃を凌いでいた。背中で感じる体温と鼓動をお互いに励みとし、恐怖に抗っている。

 しかし、相沢さくらは一人でこの状況に立ち向かわなければならなかった。その恐怖と絶望を如何ほどのものであったのであろうか。

 もし、どちらかが先に倒れれば、佐久間昴か篠宮凛も同じ恐怖と絶望を味わうことになってしまう。そして、それはもうすぐそこに迫っていた。

 背中で感じる体温は上昇し、鼓動は早くなっていく――放熱と呼吸が追い付かない。

 その場に膝を突きたい衝動に駆られる。

 そんな折、衝撃が響き、ヴェロキラプトルの群れが、一瞬動きを止めた。一体のヴェロキラプトルの頭に松永修の拳が叩き込まれていた。

 殴られたヴェロキラプトルは、動揺する姿を見せ――陰陽師たちから距離を取った。そして、消滅した。それに驚いた他のヴェロキラプトルたちも、陰陽師達から一斉に距離を取る。

「……やっぱり、効くな。」

 松永修は拳を見つめた。

「修……助かった。けど、今のは何だ?」

 佐久間昴が、松永修を認識し、息を整える。

「どうしてこんなに効いてるの?」

 篠宮凛が尋ねる。

 松永修はヴェロキラプトル達に即座に攻撃を再開する気配がなさそうなことを確認すると、こう答えた。

「奴らは、自分たちが死んでいるってことに気づいていないだけだったんだ。俺たちが今まで戦ってきたものとは根本的に違ってたんだ。悪霊とかみたいに、怨念とか邪念がどうって話じゃない……ただ、生前のように振る舞っていただけだ。」

「つまり、肉食動物として、ただ、狩りをしてたってことか?」

 佐久間昴の理解は早かった。

「生きる糧を得るために」

 篠宮凛が付け加える。

 松永修は強く頷いて、一歩前へ出る。


「そうだから、『死』に気づかせる……そのために、俺たちに刻まれた生命の歴史を叩き込んでやるんだ。」

「……で、どうやるの?」

 篠宮凛が首を傾げると、松永修は僅かに笑った。

「拳に魂を込める。」

 これまでの的を射た説明が嘘のように、曖昧な答えだった。

 直感的な戦いを得意とする彼の良いところでもあり、悪いところでもある。いつも通りのことではあるが――佐久間昴と篠宮凛は、分かったような分からないような気分だった。

「……でも、生き延びるためには、それしかない。」

 篠宮凛が霊符を握る。

「やるぞ。」

 そして――霊符と拳が、ヴェロキラプトルの群れを打ち抜いた。ヴェロキラプトルの何匹かが「死」を理解し、霧の中へと消滅していく。

 しかし――

 死を受け入れられない個体が残った。

 そして、咆哮する。

 その声に呼応するように――霧の奥から、スピノサウルス、トリケラトプス、プテラノドン、そして、ティラノサウルスが姿を現した。その知名度や人気から、恐竜四天王とも言える豪華な面々であった。

 ここが夏休みの博物館で、ここにいるのが自由研究のために訪れた子供であったら、狂喜乱舞ものである。しかし、この場にいる陰陽師達にとっては、恐怖と絶望の原因でしかなかった。

「……嘘でしょ……。」

 篠宮凛は、その場に座り込んだ。それを見つめる四天王たちの瞳には――、明らかな敵意が宿っている。

 彼らは、生前の競合関係も利害関係も捨て去っていた。そして、新たな利害は一致していた

 死の否定――。

 彼らにとって陰陽師達は、既に獲物ではなくなっていた。

 彼らにとって陰陽師達は、死そのものである。

 松永修は拳を握りしめる。

 いかに強大な武器を手に入れたとはいえ、これほどの相手をまとめて対処できるはずがない。ヴェロキラプトルだって、まだ残っている。

 ――絶望が、静かに染み渡る。

 だが――佐久間昴の瞳に、力強い光を宿らせた。

「……いい方法を思いついた。」

 彼は霊符を握りしめる。

「俺の……木の力なら、なんとかできるかもしれない」


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