第6話:分断の静寂――二人きりの探索
プテラノドンは白亜紀後期に生息していた大型の翼竜だ。翼を広げると約9メートルにも達する巨体であるが、軽量な骨構造を持ち、風に乗って滑空することで広範囲を移動できた。
陰陽師たちは空を旋回するプテラノドンを警戒した。静かに滑空しながら彼らを見下ろしている――
「来る……!」
佐久間昴が霊符を展開し、相沢さくらが印を結ぶ。
松永修が防御の構えを取る。
篠宮凛は背筋を伸ばし、戦闘態勢を整える。
彼らは襲撃に備えていた。
しかし――。
プテラノドンの動きは彼らの迎撃を裕に突破するものであった。空を切り裂くような速度で旋回し、陰陽師たちに襲いかかる。その速度は、琥珀から復活させてボールに入れるモンスターが、本来苦手であるはずの水や電気系統のモンスターの先手を取り、返り討ちにすることにも、十分に納得の行くものであった。
プテラノドンの急降下と共に、突風のような風圧が陰陽師たちを襲った。
「うわっ――!」
霊波鷹はバランスを崩し、背中に乗っていた陰陽師たちを振り落としていく。佐久間昴は篠宮凛の腕を掴むが、支えきれずに二人とも落下する。
その視界の端で、相沢さくらと松永修が別方向へ吹き飛ばされていくのが見えた。
分断――
その瞬間、佐久間昴は状況を把握する余裕すらなかった。
重力の衝撃。落下する感覚――空間が反転し、冷たい風が肌を裂く。
しかし、地面へと叩きつけられる寸前、厚い葉の層と倒木が衝撃を吸収した。
荒い息をつきながら、昴は目を開く――意識が戻る。
辺りはうっすらと霧に覆われていた。
「……凛!」
霧の中に倒れていた篠宮凛が小さく動いた。昴は急いで彼女のもとへ駆け寄り、肩を支える。
「大丈夫か?」
篠宮凛の呼吸は浅く、かすかに震えていた。彼女の指先は冷え、血の気が引いているようだった。
「……怖い……。」
突然の墜落、孤立、そして恐竜霊の圧倒的な力――すべてが不安を煽り、凛の内側を静かに蝕んでいた。
佐久間昴は静かに彼女の肩に手を置き、確かな存在感を示す。
「大丈夫だ。俺たちは生きてる。」
篠宮凛はゆっくりと顔を上げた。彼女の瞳には動揺が残っていたが、微かに理性の光が戻り始める。
「でも……さくらと修は……」
佐久間昴は冷静に頷いた。
「俺たちが落ち着いて、状況を確認する。それが一番大事だ。」
彼の声は揺るぎなく、決して感情に流されない。その安定した響きが、篠宮凛の意識を冷静へと導いた。
彼女は深呼吸し、震えを抑えようと努める。
「……ごめん。落ち着くね。」
「謝る必要はない。」
佐久間昴は静かに言った。
「まずは、空から周囲を確認しよう。霊波鷹を呼び戻してくれ。」
しかし、篠宮凛は首を横に振る。
「ダメ。飛んだら見つかる。」
佐久間昴はその言葉を受け、しばし黙考した後、低く答えた。
「この空域は支配されてる。飛べば、すぐに狙われる。」
篠宮凛は霊波鷹を見た。式神は何も言わず、ただ静かに二人のそばにとどまっている。
まるで、沈黙そのものが答えであるかのように――。
その時、霧を裂くような影が滑空した――薄っすらと浮かび上がったのはプテラノドンの姿。
その長いトサカが霧を払い、鋭いくちばしが獲物を探るように動く。
「確かに……飛ばないほうがいいな。」
昴は静かに言った。
「地上で動くしかない。」
篠宮凛は小さく頷いた。
彼らはゆっくりと歩き始める。冷たい湿気が肌にまとわりつき、森の闇が深く沈んでいた。
周囲は奇妙なほど静かだった。
「……まるで、霊が音を飲み込んでるみたい。」
篠宮凛が小さく呟いた。
静寂は、ただの静寂ではない。そこには脅威が潜んでいる――空気がどこか歪み、不自然なほど無音が緊張感を引き立たせる。
そんななか、彼女の胸の奥では別の感情がわずかに浮かんでいた
佐久間昴と二人きりになれた。
もちろん、こんな状況でそんなことを考えるのは不謹慎かもしれない。生き残ることが最優先であり、周囲には未知の脅威が潜んでいる。
だが――少しだけ、そう思う自分がいた。
たとえ、この静寂の中でも――彼の声を、彼の息遣いを、一番近くで感じている。
荒い息遣いの中に、かすかな安堵がある。
それだけで――少しだけ、嬉しいと思った。
「……私、最低かも。」
篠宮凛は心の中で首を左右に振った。
こんな時に何を考えているのか。
冷たい恐怖に包まれるべきなのに――、
仲間の無事だけを祈るべきなのに――、一瞬だけでも別のことを感じてしまった。
その罪悪感に、言葉を失った。それを佐久間昴には言えなかった。
ふと、佐久間昴が足を止める。
「……何かいる。」
その一言が、すべてを引き戻した。
篠宮凛は息を詰め、瞬間的に周囲を見渡す。
――影が動いた。
不吉な気配を帯びた影が、霧と茂みの奥から飛び出す。その動きは鋭く、狙いを定めた者のものだった。
それは、トロオドンだった。
機敏な動きと鋭い爪を持つ、白亜紀後期の捕食者。知能が高く、獲物を追い詰める狩猟本能に長けた恐竜。その大きな瞳がゆっくりと彼らを捉えた。
「くっ……!」
佐久間昴は迎え撃つ構えを取る。
だが――。
「やめて!」
篠宮凛が彼の腕を掴んだ。
「戦ったら……昴に何かあったら嫌だから……!」
彼女の声は震えていた。
決して戦いを否定するわけではない。だが今、この状況で佐久間昴が傷つく可能性がある――それが怖かった。
佐久間昴は一瞬だけ篠宮凛を見た。
そして――二人は、逃げた。森の中を駆ける。背後から捕食者達の息遣いが聞こえた。
篠宮凛は荒い息を吐く。心臓が早鐘のように脈打ち、全身が震えた。
逃げることしかできなかった。
狩る側としてここへ来たのに――。
今、自分たちは完全に獲物だった。
「くっ……!」
息を詰まらせながら、篠宮凛は必死に走る。
怖い。
何より怖い。
この世界の支配者は、自分たちではない――。
――二人は、息を切らしながらどうにか生き延びる道を探した。
佐久間昴が何かに気づいた。
「……これは……?」
篠宮凛も気づく。
「……霊が混乱してる。すごく乱れてる……。」
霊的な気配が入り乱れ、渦を巻いている。
大勢の何かが戦っている気配。
しかし、それが何かまでは分からない。
篠宮凛は震える声で呟いた。
「嫌な予感がする……。」
恐怖を抑え、二人は慎重にその場へ足を踏み入れた――。