パーがグーに勝つ理由
ジャンケンというモノがある。人によってはジャイケンと言うかもしれない。それは日本のみならず、世界にもある。全く同じではなくても、似たようなモノがあったりする。出した手の形によって勝負を決するモノで、大抵は【三竦み】の関係になっている。
日本におけるジャンケンでは、グー、チョキ、パーの三種類の手の形がある。グーは全ての指を曲げて握る。チョキは人差指と中指を伸ばして、残りの指は曲げて握る。パーは全ての指を伸ばす。そしてグーは石を、チョキはハサミを、パーは紙を表している。
そんなジャンケンにおいて、どうにも理解できないことがある。石はハサミに勝ち、ハサミは紙に勝つ。そこまでは良い。石はハサミに切られないし、ハサミは紙を切れる。だからそれらの勝敗に疑いは持たない。
しかしパーがグーに勝てるのは何故なのか。
理屈としては、紙は石を包み込めるから───ということらしいが、果たしてそれは勝ったことになるのだろうか。石は紙を突き破れるのだから、グーはパーに勝つのではないだろうか。というか、包み込めるから───なんて理由で良いのなら、紙はハサミも包み込めるだろうに・・・。
そんな、なんとも幼稚な───というか、意味のない疑問を俺は晴香さんに聞いてみた。すると左手で頬杖を突いている彼女は一瞬、目を見開いた。そして自分の右手に視線を動かすと、その手をグーの形にし、その直後にはパーの形へと変化させた。そして再びグーに。そのあとはパーに。そのような変化を何度か繰り返しながら、それを見つめ続けている晴香さん。そんな彼女の顔を俺は見つめていた。
晴香さんは俺の先輩である。とはいっても、いま通っている大学の先輩ではないし、小学校、中学校、高校などの先輩でもない。彼女は学校の先輩ではなく、バイト先の先輩である。
大学に進学してから程なくして、俺はバイトを始めた。接客業務は性に合わなさそうだったので、小さな工場で働くことにした。黙々と作業をする仕事。その方が俺には良いと思った。
その工場にいたのが晴香さんである。そして彼女は俺の教育係を務めることに。そんな関係により、俺たちはそれなりに仲を深めることとなった。バイトの休憩中に他愛のない話をしたり、最寄りの駅までの帰り道を共にしたりするくらいの仲には、なったのだ。
そして今はそのバイトの休憩中。六畳ほどの広さの給湯室にて、晴香さんと二人っきり。小さなテーブルを挟んで向かい合うようにして座り、実に下らない話をしている。
現在、俺はバイト三ヶ月目の十九歳。晴香さんは三年目の二十四歳。よって彼女は職場においても人生においても先輩である。頼れるお姉さんなのである。
そんな頼れるお姉さんに対し、なんとも、しょうもない疑問をぶつけた俺。実に腑甲斐無い。他になにか話題はなかったのだろうか。
交互にグーとパーに変化させていた右手の動きを急に止め、おもむろに俺の顔を見た晴香さん。頬杖を突きながら気だるそうに俺のことを見ているその顔に、少しドキリとする。
晴香さんは【化粧っ気】こそないが、中々の美人である。キリリとした眉。やや切れ長の目。鼻筋は通り、唇は薄め。そんな顔を持つ美人に見つめられたら、心臓が高鳴るのも無理はない。
「ちょっと待ってよ。その考え方だと、グーがチョキに勝つのも可笑しくない?」
眉間に少し皺を寄せた晴香さん。彼女の声は些か低めだ。大人の女性の落ち着いた声。そんな声が俺の鼓膜を刺激した。
「なんでですか?」
「だってさぁ、石はハサミに切られないけど、ハサミも無事だよね? じゃあ、引き分けじゃないの?」
・・・なるほど。一瞬そうは思ったものの、俺は即座に言い返す。
「【刃こぼれ】するんじゃないですか? だからチョキはダメージを受けます。ということで、グーの勝ちです」
「・・・そっか」
晴香さんは渋々ながらも納得したようだ。そこで俺は畳み掛ける。
「可笑しいのはパーがグーに勝てることなんです。包み込んだからって、なんで勝ちになるんですか? そんなことをされても石はノーダメージですよね? それどころか石なら紙を突き破れるでしょ」
いや、可笑しいのは俺だ。明らかに俺だ。大学生にもなって、こんなことを言っている俺の方がどう考えても可笑しい筈だ。しかし晴香さんは、そんな可笑しな俺の相手を律儀に務めてくれている。努めて務めてくれている。
「じゃあさ、実際にやってみよっか」
「実際に?」
「そう。ワタシがパーを出すから、キミはグーね」
そんなことをして、パーがグーに勝つ理屈が見つかるのだろうか。晴香さんの意図はよく分からなかったものの、俺は右手を伸ばし、グッと握る。そうしてグーの形を作った。
その一方で晴香さんはパーを出す。そして、そのパーを───。
「あ、あの・・・、なにしてるんですか?」
「なにって、なに? パーは紙なんだよね? 石のグーを包み込むんだよね?」
「いや、まぁ・・・、そうですけど・・・」
俺のグーを包み込んでいる晴香さんのパー。つまりは俺の右拳を包み込むようにしている晴香さんの右手。そして彼女の左手は、変わらず頬杖の役目を果たしている。
「どう? この状態から、グーはパーに勝てる?」
晴香さんは不敵な笑みを浮かべた。その笑みと、拳を握られていることによって、俺の心臓はバクバクと激しく動き出す。
「・・・いえ、勝てません」
振り払うどころか、握られている拳を全く動かすことが出来ない。物理的にどうこうではなく、精神的な負けを認めざるを得ない。
なるほど・・・。グーはパーに恋しているのか・・・。