初めての美容室
春休みが終わったら、わたしももう中学生。ランドセルは卒業だ。
「あんた、中学生になるんだし、美容室行ってみる?」
わたしは、二つ返事でOKした。
「美容室ってどんなところなの?」
「そりゃもう、きれいにしてもらえるところよ。お母さんの知り合いがやってるところなんだけど、ミサトは、あぁ、美容師さんの名前なんだけど、上手だし手早いのよねぇ。それに安いし」
お母さんの長話は、全然耳に入ってこなかった。きれいにしてもらえるところ。中学生になるところ。まるでこれから冒険に出かけるみたいな、そんな気持ちで窓の外を見る。車の窓の外には、桜が遠くの方に見えた。
――あの桜がこっちまで咲いたら、わたしも中学生――
「それで、どんな髪型にしたいのかしら」
「中学生になるんだし、短めにしてあげて」
お母さんがこともなげに言う。わたしは思わず立ち上がった。
「なんでよ、ママ! せっかく伸ばしてたのに!」
お母さんはぽかんとしてたけど、すぐにあっけらかんと笑い出した。
「なによあんた、あれだけ髪を切りたがってたじゃないの」
「でも、せっかく長くなったのに、ママのいじわる!」
「ママじゃなくて、お母さんでしょ。中学で笑われるわよ」
わたしはムッと口をつぐんだ。すると、わたしたちの間に、美容師のミサトさんが割って入った。
「まぁまぁ、リエ。ノゾミちゃんも自分でどんな髪型にしたいか、決めてみたいでしょうし、いいじゃないの。…ノゾミちゃん、ちょっと待っててね」
すぐにミサトさんは、何冊か雑誌を持ってきた。
「例えばこれは、ボブカットだけど、ふんわりしててかわいいでしょ? もうちょい短めのミディアムボブ、それに、もっと大人になったら、アシメなんかも似合うんじゃない?」
ミサトさんがモデルさんを何人も指さす。そのきらびやかなさに、わたしはじっと食い入るように雑誌に見入った。お母さんがまた笑う。
「あんた、すごい顔してるわよ。宿題するときも、そんな顔してくれるとうれしいんだけどね」
「お母さんはだまってて!」
お母さんは、ちゃかすように口を手でふさいだ。
「ノゾミちゃんの髪、ツヤがあってきれいだから、どんな髪型にするか迷うわねぇ。ボブもいいけど、ちょっと短めにしたほうが、もっと小顔に見えてかわいいんじゃないかしら?」
ミサトさんが指さしたモデルさんは、本当に小顔でかわいらしく見えた。
「それに、お姉さんっぽくも見えるわね」
それが決め手で、わたしはそのモデルさんの髪型を選んだ。
「あら〜、似合ってんじゃん。ホント、ミサトが言うように、お姉さんっぽいわね」
ママの言葉は、やっぱり耳に入らなかった。わたしは最初から最後まで、ずっとミサトさんの手の動きにくぎ付けだった。真剣な眼差しで髪を見て、手早くカットしていく。それこそ本当に、大人のお姉さんそのものだった。
「どうかしら、ノゾミちゃん。ちょっと短すぎちゃったかしら?」
「そんなことないです! すごい、お姉さんだ…」
感嘆するわたしに、ミサトさんは笑いながらうなずいた。
「中学校生活、楽しんでね」
「はい!」
帰りの車の中で、お母さんの長話に適当に相づちを打ちながらも、私の頭の中はミサトさんの手でいっぱいだった。
――美容師かぁ――
ふと、窓の外を見ると、さっきの桜が少しだけ近くに見えた。夢もきっと、こんなふうに近づいていくものなのかもしれない。
――わたし、美容師になる――
今年の春、わたしは中学生になる。そして、大人になったら――