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翌朝、涼華はケロッとしていた。
お腹が空いたのか元気な泣き声があった。
不思議なことに涼華に関わったすべての医療関係者たちも何事もなかったという認識だった。
記録としては涼華が重体であると残されている。
どういった手違いでこのような誤記録になったのかは誰にもわからなかった。
どこにも異常がない涼華をなぜICU(集中治療室)に入れたのかを誰も知らなかった。
そもそもが誰1人としてその子供のことを知らなかった。
全員の記憶がまるでリセットでもされたかのようだった。
医療スタッフが調べたところ搬送途中などで亡くなってしまった両親の子供であるということがわかった。
ICUにいたのも事故による被害にあったものと誤って判断されてICUに入れられていたのかもしれない。
そう考えないとICUにいた説明がつかない。
その子供の両親は警察によってすぐ身許がわかった。
運転免許証があったから早かった。
親族への連絡を行った。
母親は神奈川県の出身だったので両親、涼華にとっては祖父母が駆けつけてきた。
そして涼華は祖父母に引き取られた。
しかし涼華が小学校に通うようになった頃、祖母の認知症がじわじわと悪化していった。
そして祖父も祖母の介護から家事全般を行なって生活を支えていたが脳梗塞で倒れてしまった。
その影響から半身麻痺になってしまった。
利き腕のある右半身が動かなくなったため生活のすべてに支障をきたすことになった。
そのため祖父母は介護施設に入らざるを得なくなってしまった。
涼華は母親の妹である酒井家に引き取られることになる。
それが小学生の2年生から3年生に変わる時だった。