第十話「ボヘミアンイエローの男」の巻
ビキラは、数回の妖術合戦を経て、ようやくにおたずね者を倒した。
「やれやれ、手こずったわね」
地面に横たわる魔人を見下ろして、ひたいの汗をぬぐうビキラ。
「さすがは軍事政権復活団の大幹部じゃ。強かったのう」
一件が落着したので、魔人少女ビキラの右肩に戻って来た古書ピミウォ。
そこが彼の定位置なのだ。
ここは奥深い森への入り口。
人家に被害が及ばぬようにと、ビキラが誘導したのだった。
今は公安銀行に預けてある蓄えも、心細い。
賠償金の支払いで赤字に転落するのを避けたかったのだ。
「同じ詠唱は二度と使えぬとは、不便なものだな」
森の中から、ボヘミアンイエローのローブを身に纏った男性が現れた。
騒ぎを聞き、テントから出たために、ビキラとおたずね者の戦いをつぶさに見てしまった中年男、アンブロジイだ。
「同じ詠唱が二度と使えないのは、宇宙の摂理じゃないの。ナニ言ってんの、おじさん」
そのおじさんの頭部に二本の角を見定めて、
(変なことを言う魔人だなあ)
と訝るビキラ。
「お前たちがこの世界で『妖術』と呼んでおるチカラは、我々の世界では『エーテル』と言っておるよ」
アンブロジイは、この世界への不満が大きかったので、正体を隠そうとはしなかった。
「まるで別世界から来たような物言いじゃな、お主」
と、ピミウォ。
「その通り。吾輩は別世界から来たのだ」
正しくは、「不意に飛ばされた」のであったが。
「別世界って、ムカウ共和国の裏側? チキュウの反対側とか?」
と、ビキラ。
「違う! 全く別の空間から来たのだっ!」
この世界に飛ばされて苦労続きのアンブロジイは、歩を進め声を荒らげた。
「まあ、こんな不自由な世界に長居をするつもりはない」
元の世界に戻る方法を知らなかったが。
「詠唱が一度しか使えんのは不便で仕方がない。妖術の効果の程を、前もって確かめられんじゃないか。未熟な世界だ」
「なによそれ。一度しか使えない詠唱だから、脳内トレーニングでイメージを極限まで高めるんじゃないの」
極限までイメージを高めたことはないビキラであったが、自分の住む世界そのものを否定された気がして、反発した。
「とっておきの詠唱は、抜き差しならない戦いのために、イメージを深めつつ保存しているんだからね!」
「とっておきと言っても、具体的に実体化した状態は分かるまいが。出現させてみたら、さほどでもなかった仮初めも多々あったはずだ」
アンブロジイ自身が、この世界に来て、そういう目に合っていた。
「具体化させたら、想像以上の威力だったこともあったわよ」
と、言外にアンブロジイの言葉を肯定してしまうビキラ。
「そんな失敗につながらぬよう、詠唱はリハーサルが必要なのだ。具現化させ、欠点が見えたら作り直し、強化してゆく。それが正しいエーテル砲の在り方だ」
アンブロジイは、ビキラに対し、距離を空けて立ち止まった。
妖術対戦のための間隔だ。
「一度こっきりのエーテル砲など、戯れ事にすぎん。甘い。この世界は甘すぎるのだ」
「それじゃその、リハーサルで強化したっていう妖術、エーテル? 見せてもらおうじゃないの」
ビキラは『甘すぎる世界』を背負って喧嘩を売った。
「こっちだって、いざという時のために必殺の詠唱を温存してるんだから」
「リハーサルなしで何が必殺か」
同じ詠唱のエーテル砲は二度と使えないことが分かって、出し惜しみ、残してきた業物はまだあった。
「ぶっつけ本番、出たとこ勝負のエーテル砲に勝ち目はないぞ」
そう言うと、アンブロジイは手印を切って詠唱した。
「妬み。庇い立てた手代、馬鹿見たね(ねたみかばいだてたてだいばかみたね)」
アンブロジイは、ビキラと同じ回文の妖術師だったのだ。
「番頭はんを庇うたら、手代仲間に妬まれてしもうた」
縦縞の、ビネガーブルーの着物姿で具現化した手代が愚痴った。
「もう怖いもんなんかあるかい。さあ、どっからでも掛かって来なはれ!」
と、手にもった算盤を正眼に構える。
「じゃあ、遠慮なく」
ビキラはそう言うと宣言した通り、とっておきを詠唱した。
(こんなシチュエーションで)
と思わないでもなかったが。
「差し出がましい死魔が弟子さ(さしでがましいしまがでしさ)」
ビキラの詠唱に従って、ヘブンブラックのスーツを着た骸骨が具現化した。
手には柄の長い大鎌を持っている。
死魔。
つまり、死神であった。
漆黒の眼窩に、小さなトロピカルゴールドの瞳が浮かんでいる。
(確かに、在庫の死神の中で一番強そうな奴を選んだけど、今回のはまた一段と雰囲気が禍々(まがまが)しい)
と、驚くビキラ。
「差し出がましいようですが、私のカマに刈り取られると魂ごと消滅して、二度と転生できなくなるので、ご注意下さい」
慇懃無礼な口調でそう言うと、死魔は袈裟懸けにカマを振った。
ゔゔん!
という鈍い金属音とともに、死紫色の残像が空中に浮かんですぐに消えた。
仮初めの手代は、そのひと刈りで消滅した。
「ほうら、強さって、回文の文字数で決まるんじゃないのよ」
ビキラは具現化した死魔の冷たい佇まいにたじろぎながらも、つぶやいた。
「ま、参った!」
手代の素早い消滅を見て、アンブロジイは即座に両手を上げた。
失神の態で地面に寝そべっていた軍事政権復活団の大幹部、クワオワーは、
(今だ!)
と意を決して目を開き、
「拙者を刈らないで! もう逃げませんから」
と命乞いをした。
おたずね者でもならず者でも荒くれ者でもないので、
「怖い。この世界は怖い」
と言いながら森の中に消えてゆくアンブロジイを見逃すビキラとピミウォ。
それよりも、である。
「あなたがそのカマで刈ると、魂ごと消滅して、二度と転生出来なくなるって本当なの?」
と、気がかりな点をビキラは死魔に問うた。
「やだなあ。ハッタリに決まってるじゃないですか」
死魔は笑って言った。
「マスターも好きでしょう? ハッタリ」
「ああ。なんだ、ハッタリかあ」
ビキラは安堵して笑顔になった。
「差し出がましいようですが、私も徐々に自立しつつありますので、いつかあなたの指示に逆らう時が来るかも知れません」
物騒なことをさらりと申す死魔。
「それで良ければ、いつでもお呼び下さい。それではこの辺で」
死魔は片手を上げ、指骨をポキリと鳴らすと、消滅した。
「げっ。あいつ、自分で自分を消したわ」
「ほほう。二重人格とは、こういうふうに育ってゆくのかのう」
「あたしの指示に逆らうって、見たいような見たくないような……」
別世界から飛ばされて来たエーテル師アンブロジイは、やがて一度しか使えない詠唱の摂理にも慣れた。
「豪に入れば郷に従え、か。この世界にも上手い言葉がある」
アンブロジイは、ようやく自分の中の「頑固」を引っ込めたのだ。
住まいを定め、奮闘努力して岡っ引き補佐の資格も得たアンブロジイであった。
住めば都、なのである。
「ああ、自分の世界にこだわりすぎた」
アンブロジイは、悔いる。
「もっと早くこの世界を受け入れておれば、生活も楽しくなっていたものを」
と、町内パトロールを続けながら思うのであった。
(悔いている。歩いていく)
くいているあるいてゆく
ナンセンスな話にお付き合い下さって有り難うございます。
一話読み切りショートショート連載です。
次回、第十一話「続・見知らぬ街あるある」の巻
ひょんなことから、人間のお婆さんと同行するビキラ。
次々と現れる人間の無頼漢たち。
しかも賞金が掛かっていない。
ビキラは果たして、一文にもならない悪党退治をするのか?




