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Episode5 天竜暦114年 亜人の少女、魔女の怒り

 一人になってからの数年は、ステイオンにも辛い日々だった。


 エリザと共に過ごす日々は、伴侶を持たなかったステイオンにとり、久々に得た家族のようだった。

 エリザは嫁いでからも頻繁に会いに来てくれたし、レイアも大概は顔を出した。

 三人で過ごす時間は、戦いに明け暮れて生きてきたステイオンに、安らぎをもたらしていた。


 ステイオンは、己は既に人ならざる存在であり、人の営みに深く関わるのは良くないと考えている。

 魔女を滅せよという女神の言葉からも、強大な力を持つ者が世界を乱すことは、良くないことと考えられた。

 しかし、ヴィータ教においては、生を全うし、死後に女神の庭で裁定を下されるまでに徳を積むべきという教えがある。

 人ではないが、女神の神託を授かった聖騎士であるからには、生ある限り徳を積むのは必要なことであり、悪を見過ごすことはあってはならない。


 その日もステイオンは、違法な手段で人狩りをしていた奴隷商を成敗した。


 ガレッド車に押し込まれていた亜人の少女はがたがたと震えていたが、家に帰すと言うと首を横に振った。

 元いたところも奴隷の親のところらしい。このままでは、十二になれば脂ぎった中年の人族の慰み者にされると知り、一人で逃げてきたところを捕まったものだったのだ。


 ステイオンは困った。人ならざる己が少女の世話をするわけにはいかない。

 エリザの場合は一宿一飯の義理があり、魔女の介入という理由があったが、今回は全くそういう理由がない。

 命を助けるまでは良いが、面倒を見るわけにはいかない。


 だが、長く旅した大陸から海を渡った、この西大陸のことはまだ詳しくない。西大陸の北の地方ということは聞いたが、周辺のことは聞いていない。

 ただ、北の山や南東の海には竜がいるから、あまり行きすぎるな、とだけ言われた。


 幸い、レイアの翻訳魔術のお陰で最初から会話はできたし、その内に言葉は覚えた。しかし、レイアに教わったエリザと違い、ステイオンは文字が読めない。この大陸の文字だけではなく、祖国の文字も。

 何しろ元々農民の生まれで、戦争が始まれば戦っているだけだったので、必要がなかったのだ。将軍位に就いていた時でさえ、ただ戦っていれば良かった。

 なのでエリザがこの大陸の歴史や国のあれこれを学んでいる間も、ステイオンはただ動物を狩ったりして過ごしていた。

 そして、二人と別れてまだ数年、それほど大陸を回れたわけでもなかった。


 一人旅であり、時間もあれば死ぬ危険を恐れる必要のないステイオンは、それで全く問題がなかったのだが、ここへ来てそのつけが回って来たのだった。


 どこかの町で、面倒を見てくれる教会や孤児院を探すしかあるまい。


「とにかく、ついて来るがよい」

「う、うん!」


 ステイオンはぶっきらぼうに言ったが、少女は嬉しそうに後を追いかけて来た。





「で、いつまで面倒見るつもりなの?」


 数年ぶりに現れたレイアは、会うなりそう言って、半眼でステイオンを睨み付けた。

 ステイオンが少女と出会ってから、既に数年が経っている。少女は既に成人直前だ。


「いや、エリザの様子を見るのに遠見の術を開発したから、あなたのこともちょくちょく見てたのよ。すぐにどこかに預けるつもりみたいだったから、口を出す気なかったんだけど…。何年そうしてるわけ?」

「む。吾輩もそう思っていたのだが…」

「ひどい!」


 割って入って来たのは、当然その少女である。


「身寄りのないあたいを放り出すっていうの!?人でなし!」


 少女は尻尾をぴんと立て、人間より豊かな毛を逆立てて、目を釣り上げている。


 どこかに預けようとする度に、この調子で泣かれ、怒られ、つねられ、ひっぱられてしまい、ステイオンはどうにも少女を突き放せず、ずるずると旅に連れていた。


「こんな流れ騎士の元にいたって、しょーがないでしょーが」

「こんなだって!?とうさまを悪く言うな!だいたい、あんた誰よ!?」

「とうさまって…あなたの両親、まだ故郷の国で生きてるし。気付いてないだろうけど、割とここの近くよ」

「あたいを売ろうとしたあんな奴ら、親じゃない!あたいの親は、とうさまただ一人さ!」

「…クソ真面目がクソ真面目だから、調子付かせるんだろうね。で、ステイオン。神託は?」

「まだ、女神様のお声は聞こえて来ぬ」

「ふーん。ま、気が向いたら、女神と交信する魔術でも開発してみるわ」

「む。かたじけない」

「それで、お嬢ちゃんの名前は?」


 一応、少女に向けて言ったのだが、少女はつんとしたまま答えない。ステイオンを見ると、また無言だ。

 レイアの目付きがさらに鋭くなる。冷え冷えとした視線とともに、低い声で問いかけた。


「あなたまさか…また名前も覚えてないの?」


 少女の顔が絶望に染まった。一瞬で涙を溜め、今にも溢れさせそうにしながら、ステイオンを見る。


「…知っている。ミミノだ」


 少女はやっぱり涙をこぼしながら、ステイオンに抱き付いた。

 初めて名前を呼んでもらえたのである。


「…はぁ。あのね、どうせお人好しのあなたは置いていけないって分かりきっているんだから。さっさと割り切って、面倒見る覚悟を決めなさい」

「…うむ。最もであるな」


 そうして、ミミノの故郷から遠く離れた町まで行って、そこに居を構えることにした。

 ミミノは飛び上がって喜び、レイアが味方だったと判り、態度を反転させた。


 エリザの時と違い、ミミノは生活能力があったので、レイアはこれといって面倒は見ず、月に一度か二度、様子を見にくる程度だった。と言っても、遠見の術で普段から見ているようだから、お土産を渡しがてら、顔を見せに来ていただけなのかもしれない。


 ステイオンは町の警備隊に入り、ミミノは近くの宿で働き始めた。亜人がもらえる仕事は最下層の仕事しかなかったが、それでも奴隷よりはマシだった。

 二人は慎ましく暮らし、ステイオンも、ミミノが家庭を持つまでは町にいることにした。


 また穏やかな日々が数十年流れると、このときステイオンは、そう感じていた。

 感じたとおり、十年と少しの月日が穏やかに過ぎていった。


 二十三歳になったミミノは、平民にしては可愛らしく育ち、同じ亜人の青年と恋に落ちた。幸せな毎日を過ごし、もうすぐ結婚というある日…。





 ミミノは殺された。





 その日、ミミノは町を歩いていただけだった。

 たまたま貴族の男が通りがかり、可愛らしいミミノに目を付けた。そして部下に命じて、ミミノを連れ去ろうとした。

 ミミノは必死に抵抗した。力づくでガレッド車に押し込まれても暴れ続けた。貴族の家に着き、手篭めにされそうになっても抵抗し、暴れ続け、そして…貴族の男に斬り捨てられた。


 死体が裏通りに投げ捨てられていたのを、町の警備隊が発見した。同僚からそれを聞いたステイオンは、ミミノの恋人に連絡のため人をやり、すぐに現場に走った。


 上半身を深く斬り裂かれ、どす黒い血に染まったミミノの遺体を見た恋人は、縋りついて泣き喚いた。

 ステイオンは泣きはしなかった。

 騎士として感情を制御するように生きて来たし、そもそも二百年を超える生を過ごす内に、涙などはとうに枯れ果てていた。

 それでも、握った拳からは血が滴り落ちていた。すぐに治る傷だったが、ステイオンが握り続けるため、傷が治ることはなかった。


 それから三日後、葬儀を手配しているところにレイアが転移してきた。

 レイアは遠見の術でこちらを見ているが、それは四六時中というわけではない。

 いつも通り気ままに遊んでいて、ふと何日かぶりにミミノを見て、そして一瞬で飛んできたのだ。


「何があったの?」


 そう問い掛ける顔は、能面のようだった。昏く、冷たく、漆黒の夜の恐怖そのままの顔。

 ステイオンは初めて、レイアのことを確かに魔女なのだと思った。


「詳しいことは分かっておらぬ。この町の領主と近しい、ある貴族家の者たちに連れ去られたのを見た住民がいる。そしてその夜、死体が裏通りに捨てられていた。それだけだ」

「そう。じゃあその家に行きましょうか」

「待て。放り出されてから、ごろつきに殺された可能性もある。その貴族がやったと決まったわけではないのだ」

「締め上げれば吐くでしょう」

「それは…吾輩が許さぬ。真実を見定めないまま、感情だけで力を振りかざしてはいかん」

「…あなたはいつだって、クソ真面目な馬鹿野郎ね」


 レイアはそれだけ言って、姿を消した。


 ステイオンはミミノの葬式を挙げ、恋人の男にくれぐれも馬鹿なことはするなと言い付け、一人証拠を探した。

 しかし貴族家に楯突くわけもいかないのか、誰も何も話してくれなかった。


 この時代、王族や貴族は絶対だったし、法など貴族が好きに決め、好きに運用するだけのものだった。

 法に則って裁きを受けられたところで、たとえ証拠や証言があったとしても、ミミノの仇は無罪である。貴族がそう判決を下すからだ。


 二週間が経つころ、レイアがまた現れた。

 ステイオンと恋人、恋人の家族を集め、新しく開発した魔術を披露した。


 それは、過去の映像だった。暗闇に鮮明に映し出されるそれは、時間をそのまま切り取ったかのように動き、声や周りの音まで発した。ミミノが抵抗し、拐われ、襲われ、抵抗し、殺されるところを、その全てをレイアは見せた。


 恋人は剣を取った。必死で止める家族に泣きながら叫んだ。仇を取ると。


 そんな恋人にレイアは言った。


「あたくしに任せなさい」


 彼女は凄絶な笑みを浮かべていた。ただの人には決してできない顔だ。人ならざるものの笑み。


 魔女は歌うように告げる。闇の住人そのままの笑顔で。慈愛の聖女のような声で。


「あなたが剣を持って斬りかかったところで、殺されるだけ。たとえうまく行ったとしても、相手をただ殺すだけ。あたくしに任せなさい。簡単に殺したりはしない。指を一本一本切り落として、生まれたことを後悔させてあげる。苦しめて苦しめて、首だけになっても死なせない。どんな姿になっても、どれだけ死んだ方がましと思っても、寿命を全うさせてあげるわ」


 恋人は魔女に気圧されて、思わず頷いた。


「ステイオン」


 魔女が振り返りもせずに言う。ステイオンは剣に手を掛けていた。


「あたくしを止めるの?…それがあなたの正義なの?」

「度が過ぎている」

「あたくしはそうは思わない」


 次の瞬間、二人は町から離れた山の麓の平野にいた。レイアの転移魔術だ。


 それから壮絶な戦いが始まった。雷が落ち、森が燃え、洪水が起きた。

 ステイオンは、それら全てをその身に受けながら、すぐに変質して機能を果たさなくなった鎧を纏って愚直に走り、レイアに立ち向かった。手足がちぎれても再生し、首が飛んでも剣を振り、体が消し炭になっても復活して。


 町の住民や領主は祟りと騒ぎ、騒然となった。


 戦いは三日三晩続いた。

 ステイオンは三日目の深夜、遂にレイアの一瞬の隙を着き、肉薄した。


 レイアはステイオンを睨みつけた。その目からはとめどなく涙が流れていた。


 ステイオンはレイアを斬らなかった。いや、斬れなかった。涙を流す彼女を、何よりも美しいと思ってしまったから。


「復讐をしても、ミミノは戻っては来ぬ。恋人の彼や、その家族、そして我らが笑っていることこそ、ミミノは望むであろう。そうは思わぬか?」


 レイアはしばらく、何も言わなかった。

 ステイオンは、レイアの涙をそっと拭った。

 それから、抱きしめた。

 レイアはされるがまま、何も言わず、抵抗もしなかった。


 どれだけそうしていただろうか。レイアがか細い声で「離して」と呟いた。


 そして抱擁を解いたその瞬間、レイアの魔術がステイオンの意識を刈り取った。






 ステイオンが明け方に目を覚ました時、レイアは消えていた。遠くに火が見える。

 町へ行くと、ミミノが連れ込まれた貴族家は燃え上がっていた。屋敷にいた使用人たちは、気付いたら近くの通りにいて無事だったらしい。貴族やその一部の部下だけが、見つからなかった。

 火は三日三晩燃え続け、屋敷は跡形も無くなった。

 不思議なことに、その貴族家の建物以外には、一切延焼しなかった。


 そしてレイアは、姿を消した。


 ステイオンは、ミミノの恋人に幸せになるように言い含め、また一人、旅を続けた。


 季節が変わり、年を跨ぎ、また何年もの月日が経っても、レイアはステイオンの前に姿を現さなかった。







 それから三十年目のある日、レイアが突然、目の前に転移して来た。

 しばらく何も言わないレイアを、ステイオンは黙って見つめ続けた。


 長い長い沈黙の後、レイアはぽつりと言った。


「ごめんなさい」


 ステイオンはそれに、


「うむ」


 と返した。それから続けて、


「気は済んだか」


 と問いかけた。レイアはこくりと頷いた。


「そうか」


 ステイオンはその場で野営の準備をして、レイアの分も肉を焼いた。

 二日前に仕留めた、(バンジェ)の肉だ。塩を振って焼いただけだが、血抜きが完璧で、臭みはない。肉汁が口の中に溢れてきて、美味かった。

 二人はぽつりぽつりとミミノの思い出を話しながら食べた。


 連れ去った貴族たちをどうしたかは聞かなかった。夜になればマントにくるまり、隣り合って寝た。


 朝、レイアはほんの少し微笑んで、


「またね」


 そう言って消えた。


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