Episode4 天竜暦66年 王女の生涯
レイアはアレクースという町の外れに二人の棲家を用意し、その辺りで使われる言葉を理解し喋れるように魔術をかけると、さっさとハイントリスに帰ってしまった。
王女は憎しみの籠った目でステイオンを見て、けれど一人でどこへ行くこともできなかったのだろう。何も言わずに自分に宛てがわれた部屋に入った。
とにかく、彼女が生きている間は見ていなければならない。
ステイオンはアレクースの町近くの森へ行き、適当な動物を捕まえる。弓矢などはなくとも、身体強化したステイオンにかかれば、あらゆる動物は簡単に手に入る食材でしかない。
家に戻り、調理場を見た。水の瓶と窯がある。
(ブール窯が家にある?…いや、こちらではブールではなくパンと言うのか)
レイアの魔術により、自然と単語が頭に入ってくる。
ステイオンのいた大陸では、パン窯は領主しか持つことが許されず、庶民は領主が運営する共同窯場で使用料を払って作るものだった。こちらの大陸では自宅に作っていいものなのだろうか?
まぁ、あるのならば構わないのだろう。とはいえ、ステイオンには使い方が分からなかった。適当に近くの木を切り倒し、薪にして焚き火を起こすと、岩塩を砕いて振りかけた肉を、適当に枝を削って作った木串に刺し、直火で焼いた。
そうしてできた、焼いただけの料理を木皿に載せると、王女を呼んだ。
「吾輩が憎くとも、父君やご家族の思いを無にしてはならぬ。其方には生きる義務がある。食事はしっかりと摂っていただきたい」
意外とすんなり王女は出てきた。実は戦争の決着が着く少し前から何も食べていなかったのだ。
しかし、食事机の木皿に載った丸焼きの肉を見て顔を引き攣らせた。
「血抜きに抜かりはない」
的外れなことを言うステイオンは無視する。
ステイオンが椅子を引いたりする気配もないので、自分で椅子を引いて座る。給仕がいない食事など初めてだった。しかも食事をする為の小剣も、手を洗う水の壺もない。
彼らがいた大陸では、国にもよるが王侯貴族の間では両の手を使い手掴みで食べる習慣は、かなり早い時代に無くなっていた。右手で小剣を使い、左手で料理を掴むのが作法である。
料理に触れていいのは左手のみとされ、右手で触れるのは野蛮とされる。もちろん、農民の息子だったステイオンは無骨な大剣しか持っておらず、平然と両手で手掴みし、そのままかぶりついて食事をする。
王女は恥辱に震えながら、肉に刺さった木串を掴んだ。小剣がなく切り分けられないので、仕方なくステイオンを見習い、平民のようにかぶりつく。
「…美味しい」
意外にも、獲れたての新鮮な肉に塩を振っただけのそれは、贅沢に慣れた王女の舌にも美味しかった。
そもそも、王侯貴族とはいえども肉を毎日食べられる時代ではなく、調理法もほとんど焼くか茹でるかの簡単な料理しかない。
香辛料の類もろくにないし、ものによっては、宝石と同等の価値がある。ステイオンは長い時を生きて大陸を旅したため、美味い塩を手に入れる手段を多く持っており、塩だけには拘っている。
簡単な農業は普及しているが、そこらの農民などは質素な野菜くずや穀物の粥しか口にしていない中、ステイオンの用意した肉は実質的に、時代の最高峰のものだった。
「口に合ったのであれば良かった」
それだけ言うと、二人は何も言わずに食事を終えた。
ステイオンは毛皮などを持って町に行き、ユグルという野菜の種を交換してもらい、家の近くに植えた。
この野菜はかなり北に位置するこの地域でも、一年を通して収穫できる。毎日畑の世話をしながら、狩りに出たり釣りをして獲物を獲ってくる。
毒見などもないので、温かい肉や魚はエリザとしても満足のいく味だった。
そうして一ヶ月ほど過ごしていると、突然レイアが転移してきた。
「戦乙女リーザ…。何をしに来たのですか?」
王女は警戒しつつ問う。
彼女は自国を滅ぼした最も強大な戦士だ。ステイオンに対するそれと並ぶ憎しみを込めて睨みつけた。
「だいたい戦後処理の目処も立たせたから、来ちゃった。もうリーザは死んだから、これからはレイアって呼んで。ええっと…王女ちゃんの名前なんだっけ」
こんなに早く戦後処理の目処など立つ筈はないが、レイアは国の運営などにまで関わる気はなかった。早々に姿を消しただけである。
「……」
二人は無言だった。王女は自分を憎んでいるから仕方ないと言えば仕方ない。
流石にステイオンの方は聞いているだろう。一ヶ月も共に暮らしたのだから。
「ねぇ、王女サマの名前は?」
「…知らぬ」
「は?」
「…聞いておらぬ」
「…この一ヶ月、何か話した?」
ステイオンはむっつりと、無言を貫いた。レイアは怒りに声を震わせる。
「引き取ったんだから、ちゃんと面倒みなさい!」
「面倒は見ている。食事も掃除洗濯も抜かりはない」
「そーゆーことじゃなくて!はぁ…しばらくはあたくしもここに住むわ」
「待て。戦後処理が終わったのであれば、今度こそ決闘を」
「…あたくしが死んだら、あなたにこの子はまともに育てられないし、あなたが死んだら、最後まで監視する誓いを破ることになるけど?」
「む…吾輩は魔女を討ち滅ぼすまで死なぬが、吾輩が勝てば二人とも消えてしまうか」
「この子が一人になっちゃうじゃないの」
「うむ…。これではしばらくは戦えぬな」
「そういうこと。…それで、王女サマは何して過ごしてるの?」
ステイオンは再び無言になった。レイアはため息をついて王女に向き直る。
「引きこもっているのかしら。いつまでも沈んでいたって仕方ないでしょう」
「…貴方にだけは言われたくありません」
「あたくしは、すこし義理のある人に助けを求められただけ。侵略してきたのはそちらの国です」
「お父様は土地が必要だって…。農業に適した土地が…」
「それは理解しているし、どこの国もそうして領土争いをしている。悪いって言ってるわけじゃないわ。お父上は残念ながら、負けてしまった…それだけよ。確かにあたくしの助力は大きかったけれど、それは運のようなもの」
王女は涙目になって、拳を握りしめた。
「そして、お父上は憎いはずのあたくしたちに、あなたのことを頼んだ。ご立派な最期でした。お母上も、そしてあなたと六つしか違わないお兄様も…あなたがこれからも生きられる、それを希望にして死んでいきました。あなたには、毎日を全力で生きる義務があります」
レイアは屈みこんで、王女を見た。
「あなたのお名前は?」
「…エリザべーティア」
「当たり前だけど、高貴過ぎるわね。エリザかエリーにしなさい」
「…じゃあ、エリザで」
「うん。よろしくね、エリザ。巡り合わせで敵同士だったけれど、これからはあなたの味方です」
エリザはこくんと頷いた。
(こんなんでも、ちゃんと王族ね)
十にも満たない子供が、家族の遺志を汲み取って、仇敵への憎しみを抑え、態度を改める。レイアがいたから負けてしまったが、見事な王族だった。
とはいえハイントリスの王も清廉潔白な賢王だ。どこも資源や領土を争っているこんな時代で、隣国同士だったことが不運と言える。
「それでエリザ、毎日何して過ごしているの?」
「やることがないの。勉強も舞踊の練習もないし、毎日暇で暇で…」
「そうねぇ、王族の頃のような生活はもうできないのだから、家事を学ばないとね」
そうして、ユグルを使った料理や、町で手に入る穀物を使ったパンの作り方を教えた。
エリザは嫌がりもせずに能動的に動いた。畑では収穫で大はしゃぎし、町へ行けば子供達と走り回った。
しばらくはぎくしゃくしていたレイアにも次第に懐きいた。いつしかまるで母娘のように、姉妹のようになり、二人は毎日を過ごした。
ステイオンは肉や魚を調達するだけで、エリザになかなか馴染めなかった。毎日素振りをし、狩りをし、力仕事をし、時にはアレクースの町で、流れの傭兵として働いた。
数年もすれば、エリザはステイオンにも親しみを抱き、三人はまるで家族のように過ごした。
魔女は聖騎士が己の天敵だというのに、レイアはステイオンにも明るく接してくるので、ステイオンも使命のことは置いて接した。
やがてエリザは美しく育ち、元々生まれてから身に付けていた礼儀作法もあり、周辺で知らぬ者のない評判の美人となった。
数多の貴族や、近くの国の王にまで求婚された。
しかし元々の気品は失っていないとはいえ、大人になる頃にはすっかり庶民化していたエリザはそれらをあっさりと切り捨て、若い頃から仲良くしていたアレクースの町の商家の息子と結婚した。
幸い、アレクースの辺りは大きな戦争が起こることもなく、五人の子に恵まれた。内二人は幼い頃に死んでしまったが、三人の子やその孫に囲まれ、八十五歳まで幸せに過ごした。
長い長い、不思議な関係が数十年続いたその日、エリザは子供達や孫達に囲まれ、天寿を全うしようとしていた。
傍には若く美しいままのレイアと、同じく変わらぬ、鍛えられたステイオンもいる。
「レイア、ステイオン…今までありがとう」
「いいのよ。…女神様の庭に行ったら、貴方のご家族に謝っておいてほしいわ」
「ふふふ…ほんとはずっと気にしてたの、知ってたよ。色々あったけど、幸せだったのは二人のお陰。本当に、楽しかった」
「あたくしも、楽しかったわ」
「ねぇ、ステイオン。レイアが混乱をもたらす魔女だなんて、何かの間違いよ。貴方達に殺し合って欲しくなんてないわ。私の死ぬ前の、最後のお願い」
「…そうだな。吾輩も、レイアが悪人でないことは知っている。いつかまた、女神様に聞ける機会も来よう。それまでは戦わぬ」
「きっとね。約束よ」
それから数日後、エリザは家族に看取られ、穏やかに息を引き取った。
子供達や孫達には必要以上に関わらないようにしていた二人は、別れを告げる。
エリザが嫁いでから、町外れの家にはステイオンが一人で住んでいた。レイアは世界中を飛び回りながら、エリザがステイオンの家に遊びに来る時などには、定期的に帰って来ていた。
思い出が溢れるその家を魔術で跡形もなく消して、レイアは聞いた。
「それで、どうするの?」
「約束した。いつか女神の御心を問う機会もあるであろう。それまでは旅をする」
「あなた、そのままだったら死ねないんでしょう?…大丈夫?」
普通の人間は、数百年も生きるように精神ができていない。
レイアは魔女へと変質した際に人ではなくなっているので平気だと思っているが、ステイオンは魔術で精査した限り、女神の恩寵で肉体が老いず、損傷も修復されるというだけで、中身は人と変わらなかった。
既に二百歳を越えたこの男は、いつまで正気でいられるのか。
「旅なら、あたくしと一緒に来れば?」
「…やめておこう。本当に戦わずに済むか、今は分からぬ」
「そう…本当、融通の効かないクソ真面目ね」
それだけ言って、レイアは魔術でどこかへ転移した。後には孤独感と、遠くグレーイルでよく見かける、白い花の香りだけが残った。
そしてまた、たった一人の、長い旅が始まった。