Episode3 紀元前10年 戦乙女と王女
ハイントリスにリーザという戦乙女がいるらしい。黒髪に赤い目のとんでもない美女で、戦の戦闘に立ち、屈強な男たちを相手に勝利を重ねているんだとか。
そんな噂を聞いて、ステイオンはハイントリスに向かった。祖国のはるか南、グレーイルの東の地域にある小国だ。小さな国や部族が乱立する、群雄割拠の地域である。
近年、大陸の南の辺りでは神聖ティーリアン帝国が勢力を伸ばし、一大勢力圏を作り上げているが、その東や北の小国群はまだまだ戦乱のさなかにある。グレーイルの辺りは教会総本山ということもあって比較的平和だが、大陸全土で苛烈な領土争いが起こっている時代だった。
ハイントリスに入りたかったが、鎖国状態で入国できなかった。その敵国である隣国アンブローズで、どうしたものかと頭を悩ませながら街道を歩いていたところ、ならず者がガレッド車(二足歩行の動物に車を曳かせる当時の主流な移動手段である)を襲おうとしているところにたまたま通りがかった。
ならず者を成敗してみたら、客車に乗っていた少女は、なんとアンブローズの王女だった。どうしても礼をと言われ王宮に連れられ、聞かれるがままに事情を話した。
「私がお父様に頼んであげる!」
そうして謁見した王に何故か気に入られてしまい、客分となってしまった。人間離れした武力を見せた上、何も考えずに自身の経歴や聖騎士であることまで話してしまうステイオンだった。
『ならばハイントリスと戦う我が国にいれば魔女討伐の機会もある』と丸め込まれ、まんまと自軍の戦力にされたことになど気付かない。
「旅の者ゆえ、失礼ながらこの戦争、どちらに大義があるのか存じ上げぬ。部外者の吾輩が加勢するわけにもいかぬ。ゆえに吾輩は魔女としか戦わぬ」
流石に戦争に加担しようとは思わなかったので、王に対しても、そうやって息巻いた。しかし王からすればハイントリスで最も人望があり、最も戦に優れる戦乙女リーザさえ殺せば、勝利は間違いがない。それに、滞在さえしていれば篭絡する機会もある。天の導きとしか思えないほどだった。
無礼ではあるが、不老不死の化け物を相手にして兵士を損耗させるのは下策だ。
この地域では、この世界では非常に珍しいことに、女神ヴィータはあまり信仰されていない。紅き龍を神と崇める人々は、聖騎士と聞いても異教の化け物としか思わなかった。百年以上生きているなど、もはや人ではない。
そうして、内心は人とも思われていなかったが、表面上は丁重にもてなされた後、戦乙女が戦う戦場に連れて行かれた。
いざ相対してみれば、二十八年前と全く変わらぬままの魔女がいた。今はリーザと名乗っているらしいが、間違いない。
魔女のはずだが、剣の腕も凄まじかった。
この時代、まだまだ鉄の全身鎧などは存在しない。青銅の鎧を着た騎士を、硬度や強度に優れるとはいえ鉄の剣で斬り裂いている。技量があるのも間違いないが、恐らく魔術も使用しているのだろう。
「ふむ」
ステイオンも、祖国の鍛冶屋が丹精込めて作った青銅の鎧を着込んでいる。旅のために軽量で簡素なものだし、祖国の精錬技術はそれほど高くなかったので、強度はそこまでではないが、錆びにくい為に数十年経った今でも使用できる、愛用の鎧だ。
魔女の方に歩いて行くと、古めかしい鎧を見た魔女は怪訝そうな顔をした。アンブローズの本隊から銅鑼が鳴らされ、魔女に相対していた騎士達が下がる。
「アルトラヴィクタ嬢。吾輩を覚えておられるか」
「なんでその名前を…覚えてないけど、どちら様?」
「二十八年前に一度お会いしている。吾輩は魔女を討ち果たす使命を女神様より賜った聖騎士、ステイオン・ド・ゴーリ・ブラーシュ」
「思い出した!いたねぇ、そんなやつ」
「あの時果たせなかった決闘、今こそ受けていただきたい」
「あー。…ちなみにあの日、どのくらい待ったわけ?」
「三日待った」
「ありゃー、そりゃーさぞかし…怒ってる?」
「いや。それが其方の生きる術であるならば異論はない」
「そういえばこんなクソ真面目なやつだった」
「では、いざ!」
「待った待った!女神の聖騎士が一つの国に肩入れしていいの?」
「肩入れなどしていない。この戦争、どちらに女神様の御心があるか知らぬが、あくまで吾輩は其方とのみ戦いに来たのであって、戦争に関わるつもりはない」
実は旅に出るまでは祖国に思いっきり肩入れしていたのだが、それは言わなかった。
「そもそもこの辺りでヴィータ様は信仰されてないんだけど。まぁそれはともかく、あたくしがハイントリスの戦乙女である以上、戦えば介入になるけど?」
「其方が先に介入している。吾輩と其方がどちらもいなくなるのが正しい形と考える」
「今更でしょ。これまであたくしの存在を前提にハイントリスは戦ってきた。アンブローズには今まであなたはいなかった。なのに一方的にあたくしを排除するのは不公平では?」
「ぬ。それは確かにそうだが…。そもそも、なぜハイントリスに肩入れする?」
「ちょっと世話になった人がいるの。それに、侵略してくるのはアンブローズの方よ」
「そんな理由で肩入れしてしまっては世界が乱れる。其方であれば一人で戦争に勝つこともできるはず」
「そこまでしてしまったら後々が大変でしょう。あくまで魔術は使わず剣でしか戦っていないわ」
「…では、吾輩も一兵士としてアンブロ―ズで戦おう」
「そうこなくっちゃ!」
しかし、レイアはまともにステイオンとぶつかろうとせず、軍師としてハイントリス軍を操った。
その知略は将軍だったとはいえ、剣のみで生きてきたステイオンに太刀打ちできるものではなく、戦争はステイオンが来てから一年もしない内にハイントリスの勝利に終わった。
アンブローズの王族は全員処刑されることになる。殺しても死なないステイオンはレイアの指示により拘束すらされず、王族の処刑の場に現れた。
「何をしに来たの?」
「王族の処遇について聞きたい」
「一族郎党処刑に決まってるでしょ」
それは当然のことだった。血を引いている公爵家まで全て根絶やしにしなければ、血筋の正統性を旗印に、また戦争の火種になりかねない。
ステイオンは黙って王女を見た。一年前に、ステイオンがならず者から助けた少女だ。未だ九歳の子供である。
アンブローズ王はステイオンが王女を気にしているのを見て、声を張り上げた。
「聖騎士よ!幼い我が子の命だけでも助けてくれぬか」
ステイオンが生真面目に戦争に参加せず、戦乙女だけを狙って討ちとってくれれば結果は違ったかもしれない。何度リーザを討伐するよう言っても聞かなかった堅物の騎士に対し、王の心には憎しみがあった。
しかし、戦争は既に終わった。己の命については既に覚悟を決めていた。愛しい娘のため、王は憎しみを胸にしまい、嘆願した。
「…吾輩は王女に親切にしてもらった。また、王にもここ数か月の生活の恩義がある」
「王族の血は、新たな争いの種になるわ」
「せめて王女だけでも。年端のいかぬ少女に罪はない。吾輩が遠い異国の血で育て、死ぬまで監視すると誓おう」
「…それならまぁ、いいわ」
「聖騎士よ、それに戦乙女にも。感謝する。娘を頼む」
そうして王は潔く死んだ。王妃や十五の王子も死を受け入れた。直系男子で、しかも十五歳は既に成人である。王子は戦争にも参加していたので、助けることは不可能だった。
家族の処刑が、王女に見せられることはなかった。
「貴方があの女を殺してくれれば、お父様もお母様もお兄様も死ななかったわ!」
用意された部屋で、王女は泣きながらステイオンを罵った。
「すまぬ」
ステイオンはただ罵倒を受け止めた。本当にこれで正しかったのか。聖騎士とはいえ、元々ただの人間であるステイオンには分からなかった。一緒に部屋に来た魔女が問いかける。
「それであなた、どこに行くの?」
「なるべく遠くへ」
「じゃあ、海を越えなさい。あたくしが連れていきます」
そうして、聖騎士と王女は魔術で西の海を越え、別な大陸へ行った。