Episode35 天竜暦371年 世界の理不尽
マリネアが亡くなって、聖女と騎士も去った。
教会はほんの少し静かになった。寂しさを覚えつつも、日々の暮らしは続いていく。
幸い、ここしばらくは森の恵みが豊かであり、なんとか暮らしていけている。
アクトは十四歳になった。もうあと一年で教会を出ていく年齢だ。いつまでもはいられない。自分と同じような孤児はまだまだたくさんおり、教会はいつもギリギリの運営をしている。大人になったら出ていかないと、子供たちが飢えてしまう。
疲弊した時代であり、孤児のアクトが働ける場所は多くはない。それでも、この街はまだ人の温かみが残っている街だった。教会を出た先輩たちも、大体はなんとか暮らしていけている。
最も待遇がいいのは北方亜人解放軍の兵士だ。ラムザの人望の元、様々な物資が集まる。また、最近力を付けてきた方の大陸からの援助もあるらしい。
拠点となっている町ではあるが、ラムザがこの町に来ることは滅多にない。彼は北方を駆け回っており、比較的亜人の立場が良いこの周辺には滅多に来ないのだ。
ところが、今度ラムザが隣町に来るらしい。この辺りにおいて、
ラムザは英雄だ。亜人の解放を謳うだけでなく、権力者の横暴を止め、ならず者を討伐し、治安向上と生活の安定をもたらしてくれた。実際のところ、まだまだ内心は亜人を差別している人間はいるだろう。けれども、ラムザの手前、表立って弾圧してくるようなことも減った。
ふと、ラムザに会ってみたいと思った。解放軍は魅力的な就職先ではあるが、軍ともなればやはり命の危険もあり、辛い思いをすることも多いだろう。大将が本当に命を預けられるような男なのか知りたいと思った。
マリネアから散々魔女と騎士の話を聞いて、アクトは気分が高揚していたのだ。
マリネアに会いに来た、あの聖女と騎士のこともある。あの騎士は格好良かった。寡黙で、威厳に溢れていて、それでいて子供たちに優しかった。
まさに騎士という騎士を体現していた。
リウやマネリも乗ってきた。二人もアクトと年が近い。アクトが入るのならば、自分たちも軍に入ってもいいと考えている。
「三人だけでいこう。他のみんなは働き先を考えるにはまだ早いし、隣町までは遠いからな」
「そうだな。どうせなら泊まりたくないか?」
「いいな!どこか安宿なら、一部屋くらい借りられるだろう」
そうして、修道女には森は行くと言って、手紙を残して出掛ける計画を立てた。
しかし、実行日のことである。
「森へ行くんならフィーも連れて行っておくれ。他の子達は町で仕事があるんだ」
運悪く、子守を押し付けられてしまった。ラムザが滞在するのは数日だけらしく、この日を逃せば抜け出す機会はない。
ひとまずフィーを連れて歩きながら、三人は話し合った。
「どうする」
「今日しか無理だぞ」
「どっかに置いていこうぜ。夕方に帰るくらい、フィーも一人で大丈夫だろう」
その時、アクトの頭にはふとマリネアのことが浮かんだ。
「いいよ、連れて行こう。置いていくのは駄目だ。それに、亜人のフィーにとって、ラムザは俺たち以上の英雄だろ。フィー、ラムザに会ってみたくないか?」
「え!?ラムザさま!?あいたい!あえるの!?」
隣町への一泊くらい、フィーを連れても大丈夫だろうという思いがあった。三人は隣町には何度か行ったことがある。
しかし、最近為政者が変わったこと、その新しい為政者が亜人差別の激しい人物だということを、アクトは知らなかった。
なぜラムザが来たのか、その意味を深く考えていなかった。
「なんだか…雰囲気が変わったな」
リウの言葉に、アクトとマネリも頷いた。以前きたときには、もっと活気があったような記憶がある。それが今日は、街全体が暗く、人々の顔にも笑顔がない。
そこへ、一人の女性が話しかけてきた。
「ちょっと、君たち」
人間の、中年女性である。その顔には焦りがある。
「なんですか?」
「危ないよ、今この街で亜人が歩いてたら、どんな因縁付けられるか分かったもんじゃない。悪いことは言わないから、早いとこ帰りなさい。どこか他の町から来たんだろう?」
「因縁付けられる?」
どういうことなのか聞こうとした、その時だった。
「おい、そこのガキ!」
大声を挙げて近寄って来たのは街の警備隊らしき身なりの兵士達だった。しかし、街の治安を守る仕事に就いているにしては、妙に柄が悪い。身に纏う空気は破落戸のそれだ。
「な、なんだよ、悪いことなんかしてないよ。今来たところだよ」
アクトは三人を庇うように前に出て言った。先ほどの中年女性はそそくさと離れていった。
「へっ、そうかい。その言葉が本当かどうか取調べしてやるぜ」
男達はにやにやと笑いながら、アクト達を囲むように立ちはだかった。武装した大の男が六人近付いてきて、フィーは縮こまって怯えている。
「亜人がこの街に何の用だよ」
「隣町の教会から来たんだ。買い物しに来ただけだ」
アクトは咄嗟に嘘をついた。先ほどの女性の言葉が引っ掛かっていたのだ。それに目の前の男達は、明らかに亜人を標的にしている。亜人解放軍を口にするのは危険だと思った。
「亜人なんか連れて来やがって、買い物だぁ?そんなこと言って、亜人解放軍の物資調達じゃねーのか?」
そう言って、兵士の一人が剣の鞘でフィーを小突いた。
「や、やめてくれよ。もう帰るよ」
「おー?警備隊にびびって帰ろうとするなんざ、さらに怪しいなぁ!」
アクトはこの因縁の着地点が、既に彼らの中では決まっている可能性に恐怖した。一刻も早くこの場を離れなければならない。
「亜人が来ちゃ駄目って知らなかったんだ。だから帰るだけだよ。頼むよ、何もしないよ」
「いやいや、怪しいなぁ。やっぱり亜人解放軍なんじゃねーのか?」
遂に兵士はフィーの腕を掴んで連れ出そうとした。
「きゃああ!やめて!」
「やめろよ!まだ子供だぞ!何もしてないってば!」
「うるせえ!亜人なんざ子供でも信用できるか!」
その時、フィーが恐怖で思わず口走ってしまった。言ってはいけないことを。
「やめてよ!亜人だからってひどいことしたら、ラムザさまがやっつけに来るんだから!」
「!!てめえ、やっぱりあのクソ亜人の手下か!」
「違う!俺たちは関係ない!」
もうどうしようもなかった。大人相手だが、とにかく逃げるしかない。
「走れ!」
アクトが叫び、リウとマネリが駆け出す。アクトはフィーを掴んでいる兵士に体当たりをした。ろくに鍛えていないのだろう、兵士はあっさりとよろけ、フィーから手を話す。アクトはフィーの手を取って走ろうとした。しかし、その考えは甘かった。
「クソガキが!」
叫び声とともに、兵士の一人が剣を振るった。その剣はやすやすと、フィーの背中を切り裂いた。アクトの視界が鮮血に染まる。さらに兵士はアクトを斬らんと剣を振り上げる。逃げた二人にも兵士がもう追い付きそうだ。
アクトの頭は真っ白になっていた。
何故こんなことになったのか。何がいけなかったのか。
もちろんアクトが悪い。修道女に嘘をついて、こんなところに来てしまった。もしかしたら教会の大人達は隣町のこの状況を知っていたかもしれない。
子供たちだけで来てしまったから、こんなことになった。
目の前のフィーを見る。
顔は真っ青で、背中は真っ赤に染まっている。二人の足元にはフィーの血が大量に溜まっている。
「フィー、フィー。しっかりしろ」
「アク、ト、にいちゃん…」
どうすればいいのか分からず、アクトはフィーを抱えながら立ち尽くした。
そういえば、何故自分は斬られていないのか。
ふと周りを見ると、兵士達は組み伏せられ、屈強な騎士達が周りにいた。その中の一人、亜人の男が近付いてくる。
「すまない、遅くなった…。亜人の子供が町へ来たと聞いて、飛んで来たんだが…。すまない…」
白い髪、精悍な顔。黒い毛に覆われた、鍛え上げられた肉体。北の英雄、ラムザだ。
「ラムザさま?」
「ああ、そうだ」
「ラムザ様、フィーが…フィーが」
「…すまない…」
「フィーを助けて、お願い、ラムザ様。フィーを助けてください」
ラムザはそれには答えなかった。
「抱きしめてあげなさい」
はっとして、フィーを抱き直す。もうその焦点はあっておらず、瞳は何も見ていない。
「ラムザさま…やっぱり、来て…くれたね…」
「ああ、そうだ。もう大丈夫だからな。フィー、もう何も怖くないから」
アクトはもう、どうにもならないことを知った。強くフィーを抱きしめる。
「疲れたろ。ちょっと寝ていいぞ。おぶって帰ってやるから。明日はまた森に行こうな」
「……」
「何も心配は要らないから…。俺がそばにいるから」
がくんと、フィーの体から力が抜けた。突然その重さが増し、アクトはより強く抱きしめた。
「ごめんな…。ごめんな、フィー。ごめんよ…」
その時、俄かに周囲が騒がしさを増した。
「増援がもう来そうだ。ラムザ、行かないと」
「ああ。…少年、ここは危険だ。町から離れないと。その子を家に連れ帰ってあげないと」
解放軍の誰かがフィーの亡骸を運ぼうとしてくれた。しかし、それをアクトは断る。
涙で前が見えなかったが、おんぶして歩き始める。おぶって帰ってやると、約束したから。
ラムザは何も言わず、少年を守りながら町から退却した。
そのまま教会まで何人かで送る。ラムザも部隊の撤収は他の者に任せ、同行した。何が英雄か、何が勇者か。自分はまだ、こんな小さな子供一人守れない。
途中で解放軍に保護されていたリウとマネリも合流し、フィーの亡骸を見て泣いた。
アクトは教会まで休むことなく歩き続けた。
教会では子供たちが泣き、修道女は泣きながらアクト達の頬を打った。打ってから、三人を抱きしめた。三人はまた泣いた。
この一年後、三人は亜人解放軍に入隊する。
彼らの胸の内には、強い覚悟があった。この理不尽な世界を変える覚悟だ。フィーの死をきっかけに、リウとマネリも闘志を燃やしていた。あんなことが起きる世界は、絶対に変えなければならない。
変えることが、フィーへの贖罪になるのかは分からない。しかし、過ちを犯した三人にできることは、それしかなかった。
そしてアクトの王としての道のりも、フィーの死から始まった。
アクティレーン・フィード・フォン・ドラクレア。
アステリード王と共に亜人解放を掲げて戦った王。しかし、百年戦争の終結はドラクレア皇帝なくば成り立たなかったと言われる。
百年戦争、つまり亜人解放戦争を終わらせたドラクレア帝国の初代皇帝の戦いは、ここから始まる。




