Episode34 天竜暦370年 老聖女は安らかに
亜人の聖女マリネアの長い旅も、そろそろ終わろうとしていた。
齢六十を近くして、マリネアは病に冒されていた。強大な神力を宿すマリネアだが、レイアやシャーリーには及ばない。
その力をもってしても、病には勝てなかった。
約千五百年後に特効薬が生まれてからはなんということもない病気だが、この時代には治る見込みのない病だった。
マリネアの旅の終着点は、大陸の北、英雄ラムザの率いる北方亜人解放軍が拠点とする町だった。こじんまりとした教会があり、ラムザの元、亜人と人間の孤児達が慎ましく暮らしている。
少し体調を崩した為、しばらく逗留させてもらうつもりで世話になっていたが、どうやら終の住処となりそうだった。
「マリネアさま、おかげんどう?」
寝台でまどろむマリネアに、声が掛けられた。茶色い毛の、亜人の少女だ。この教会にいる間、マリネアが滞在費を教会に寄進しつつ、子供達にあれこれ教える教師役もしていたので、子供達からは懐かれている。
「ありがとう。今日はとっても調子がいいわ。…フィーだけ?他の子達はどうしたの?」
「森にいったわ。あたしがいると邪魔だからって、置いていかれたの」
「あらあら、後で叱ってやらなきゃ」
この教会にいる孤児達は十歳を超える子ばかりで、目の前のフィーだけがまだ六歳だ。子供の年齢差は大きく、体力の違いから、しばしばフィーは仲間外れにされることがあった。
「いらっしゃい。お話をしてあげましょう」
フィーはその言葉に、にっこり笑って寝台のそばに来た。大陸中を旅したマリネアの冒険譚は、子供たちの一番の娯楽だ。
他の子供たちは、帰って来てからフィーに新しい話の自慢をされ、悔しがるのがいつもの流れだった。
「そうね、今日は…とっておきの話をしましょうか。偉大な魔女と騎士のお話よ」
「聞きたい!」
それは、古くから大陸中に伝わる男女の話だった。眉唾ものの不可思議な話から、地方によってはしっかりと伝聞が残っていたりする、謎の魔女と騎士。
マリネアは大陸中で二人の話を聞いていく内に、かつて一度だけ会った、あの魔女の話だと気付いた。
そして、各地の話を精査していく内に、二人の行動を驚くほど正確に把握していた。
もちろん、マリネアの知らない話も多いのだが、マリネアはその頭脳で、各地で聞いた伝承の正誤や、盛りに盛られた逸話の真実を見抜いていた。
恐らくあの二人は、戦乱の終結と亜人の人権向上を目指して戦っている。
しかし、あまりに突拍子のない話も多い為、あまりこれまでは語ってこなかった。
この日は、ふと気が向いたのである。
夕方になって、子供たちが帰って来た。
どたどたとマリネアの元に走ってくる足音が一つ。
「マリネアさま!魔女の話、聞かせて!」
入って来たのは、十三歳の男の子だった。最年長であり、この教会の孤児たちをまとめる、中心人物だ。彼は特にマリネアの冒険譚を好んでいて、フィーを置いていった時に一番悔しがるのである。
「アクトがフィーを置いていかなければ、一緒に聞かせてあげましたよ。一人にさせたのが悪いのです」
「そりゃー悪かったけどさ、森でラッタが増えてたんだよ。せっかくだからたくさん獲ってこないとと思って。最近、いつにも増して食材が手に入りにくくなってるんだもん」
「ラッタなら、フィーも一緒に連れていけたでしょう」
「でも、たくさん肉が食べたかったからさ。フィーの為にも、俺たちで獲れるだけ獲りたかったんだよ」
「その気持ちは素晴らしいわ。でもね、足手纏いにされて施される食事より、皆で協力して得られた食事の方が、フィーも皆も美味しいと思うわ」
「あー、それもそうか。次からちゃんと連れてくよ」
「そうしなさい。どうせまた、リウとマネリに言いくるめられたんでしょう」
実際のところ、アクトはフィーのことはかなり大事にしており、仲間外れにしたりもしない。しかし、アクトと年の近い二人の男の子がフィーを邪魔にすることが多いのだ。二人に唆されると、アクトもすぐ靡いてしまう。
「人の意見を真摯に聞くことは大事だけれど、人の意見に流されるばかりではダメよ」
「ごめんなさい。気を付けるから、お話聞かせてよ!」
「フィーにちゃんと謝って、許してもらったらね」
「分かった!行ってくる!」
アクトはまた、騒がしく部屋を出ていった。
(素直な子たち。最後を迎えるのがここで良かったわ)
これまで長く、旅をしてきた。やれるだけのことをやってきた充足感はある。幸せを感じることも多々あった。しかし、やはり辛く苦しい旅だった。差別に晒され、立ち向かい、戦い、何度となく負けて、それから再び立ち上がって勝ったり、また負けてしまったり。
自分が愛を説いてきた人々の心に、どれだけ何かを残せただろうか。南の方はシェラクの活躍もあり、この数十年で少しはマシになったと言える。しかし、中央諸国では未だ根強く亜人への差別が続いている。
(けれど、きっと種は蒔いたわ。志を同じくする誰かが、きっと未来を作ってくれる)
マリネアが息を引き取る、一月ほど前のことである。教会に訪問者があったと、アクトが伝えてきた。
「聖女さまだってさ。すげー強そうな騎士を連れてる」
「私に何の御用かしらね」
もう最近は、寝台から起き上がることも難しくなっている。命の灯の消えかけた老女に、一体何故会いに来たのか。
そうして通されたのは、白銀の髪を持つ美しい若い女性だった。後ろには背の高い騎士が控えている。なんとなく、騎士に見覚えがあるような気がしたが、名前を聞いても聞き覚えがなく、会ったことはないようだった。
「初めまして、聖女マリネア様。シャーリーと申します。南方の亜人解放軍にて、シェラク様と共に戦っております。長らく大陸にて聖女の務めを果たしてきたマリネア様に、一度お目通りしたく参りました」
シャーリーはマリネアより過激派で、中央諸国に対する戦いを覚悟していた。血を流さずには、この世界は変えられないと考えているようだ。それについては、マリネアも否定できないところがあった。
二人は各地の情報について意見交換し、シャーリーはマリネアの話を色々と聞きたがった。
長く話すことが難しいマリネアだが、シャーリーの覚悟を感じ、毎日少しづつ、自分の見聞きしてきたものを伝えていった。
そうして、ある春の曇り空の元、マリネアは安らかな眠りを迎えようとしていた。
子供たちや修道女、そしてシャーリーと騎士ステイオンに囲まれ、穏やかに息を引き取ろうとしている。
不死の病だというのに、不思議なほど痛みや苦しみがなかった。ただ意識が少しずつ混濁し、体が動かなくなっていくだけだ。
途切れそうな意識の中で、ふと気付いたことがあった。
目の前の聖女は、全く見た目が違うが、かつての魔女だ。騎士に見覚えがあったのは、あの日離れたところで魔女を待っていた騎士だったからだ。
(ああ、あなたが。きっと成し遂げてくれるというのね)
もはや声を発することも叶わなかったが、白銀の聖女、いや魔女は笑った。
「全てうまくいきます。ゆっくりお休みなさい」
その笑顔は、全てを任せるに足るものだった。
視界の端には、アクトとフィー、そして子供たちの姿。亜人も人間も関係なく、皆が一緒に自分を送り出してくれている。
マリネアは、その光景に、人間と亜人が平和に共存する未来を確信して、息を引き取った。




