Episode32 天竜暦366年 アステリード王
大陸南部の海沿いの町に、その男は生まれた。
そこそこ大きな町のなかで、彼は人気者だった。聡明で、人柄が良く、それでいてやんちゃで、小さな頃から悪だくみをしては大人たちを困らせたものだ。
しかし、彼の周りではいじめなどもなく子供たちは仲良く、そしていざ大人たちが困っていれば、子供らしからぬ聡明さで解決した。
町の領主の息子だった彼の周りにはいつしか人が増え、こんな時代だと言うのに、町には他にない活気があった。
彼は亜人の子らとも分け隔てなく接し、その雰囲気は彼の成長につれ、町全体に広がっていった。高齢者の間では、いまだ根強い差別があるが、働き盛りの大人達には、いつか来た亜人の聖女の記憶がある。
亜人でありながらも平等を謳い、当時の戦争で傷ついた兵士たちを分け隔てなく癒してみせた聖女の記憶である。
彼の父である領主も亜人を積極的に登用していた。さらに奴隷からの解放条件を緩和し、また奴隷の身分にある亜人に対しても、ある程度の生活待遇を保証するようにさせていた。
マリネアの来訪があった頃から、徐々に待遇が改善されているが、まだまだ亜人を奴隷にしている国も多く、特に戦争時やよく戦乱に巻き込まれる国では、奴隷にまで優しくする心の余裕がない。
しかし南方では近年、英雄シェラク率いる亜人解放軍があらゆる国に出没し、亜人への理不尽な仕打ちに真っ向から反抗しており、特に差別の酷い中央の国からの侵略を防ぎ、南方の国同士や国内でも、一つ一つの差別に戦っていった。
亜人の話でけでなく、戦争に負ければ敗戦国の国民の扱いは散々なものである。戦いに勝つにも亜人の協力は重要であり、そういったことからも亜人と人間の戦友の間で生まれる友情、種族間の恋など、昔では考えられないほど、その垣根は低くなっている。
ある日、彼は父に呼ばれた。成人間近の十四歳の頃である。
「ヴィクトーリ。お前、成人後はどうするつもりだ?」
「領のことは兄貴に任せるさ。俺は中央に行く」
「この辺りにいれば、補佐でもしながら穏やかに過ごせるものを…」
「そんなのはつまらない。それに、亜人のダチには中央の故郷を追われてきた奴らも多いんだ。あいつらを帰してやりたいし、中央諸国の戦乱は特に酷い」
「あんな、いつ終わるかも分からぬ戦いに行っても、いいことなぞないだろう」
「いーや、今だからさ。もう散々疲弊している。亜人を全部味方に付けて、中央辺りは俺がもらう」
「国を建てて王にでもなるつもりか?」
「そうさ!この戦争を終わらせて強い国を興せば、歴史に名を刻めるぜ!」
「そんなにうまく行くかは知らんが…まぁ、好きにしろ」
父は苦笑しながらも、ほんの少し期待していた。
ヴィクトーリの器は自分などには計り知れない。なぜか期待してしまう。こいつなら本当にやってしまうんじゃないかという夢を見させてくれる男だ。
(息子なんぞに欲しくはなかったな。同じ時代に生まれて、肩を並べて戦えたら、それだけ楽しかったことか)
兄も同じ思いだった。
ヴィクトーリは兄を立てて領主館では大人しくしているが、町へ出れば自分などより余程民に愛されている。しかし、妬む気持ちはなかった。ただ誇らしい。
「ヴィクトーリ、いつ出発するんだ」
「兄上か。そうだな、次の春のつもりだ」
「誰を連れて行くんだ?」
「馴染みの奴は連れていくけど…安心してくれよ、町の嫌われ者の、ごろつきばかりさ」
「ふっ。どうだかな」
次の日、兄は町中にお触れを出した。
『ヴィクトーリが亜人解放軍と共に亜人を解放し、中央に国を興す。彼と夢を共にする者は、出領税は不要』
他にも細々書かれていたが、要するに、付いていきたい者は好きにしろ、ということだった。
これを受けて、亜人人間問わず、二百人以上の者が同行を願い出た。
「おいおい、兄上。そんなに連れていけねえよ。食い扶持はどうするんだ」
「シェラク殿に連絡をした。解放軍と取引すればどうにかなるだろう。大丈夫だ。傘下に加わるわけじゃなく、同盟という形になっている」
「そんなのが許されるのか?」
「許されたぞ」
「シェラク殿に会ったこともないのに、なぜ」
「さあな。そんなことは知らん」
「だいたい、領を出ることはともかく、国を出る時に問題になるのでは?」
「シェラク殿のお力添えで、そこも問題ない」
いざ出発の際には、大々的な壮行式が行われた。
種族も年齢も様々な男女があちこちで別れを惜しんでいる。
ヴィクトーリはそこで、自分の理想とする国の姿を語った。聖女マリネアが願ったように、人と亜人が同じように暮らし、また戦争のない国。
「俺たちは強くなろう。差別に負けないように、そして差別するような弱い心を持たないように。俺たちは強くなろう。どこの国にも攻められないように、どこの国を侵略しようとも思わなくていいほどに。まだ領土はないけれど、俺は今日から王になる。今日より俺の名は、ヴィクトーリ・ヴァイス・ラ・アステリード!」
ヴァイスとは、この地に伝わる聖剣の名である。おとぎ話にある、その昔、女神ヴィータより授けられたという伝説の聖剣。また、大陸で広く使われるヴィト語では、ラという言葉はアの次に高貴な音である。
つまりこの名前は、自分が大いなる女神の次に偉いと宣言しているのと同じだ。
名乗るだけで様々な反応があるだろう。
しかし、付いていく者も領に残る者も、万歳、万歳と歓声を上げた。父と兄も、偉大な王になれ、と肩を叩いた。兄は、「その内お前の国の属領にしてくれ」と笑った。
母はずっと泣いていたが、いつか妻と子供を見せてくれ、と言って抱きしめた。
新時代の息吹は、こうして南から吹き始めた。
アステリードの初代健国王ヴィクトーリの伝説は、枚挙に暇がない。
戦いはシェラクやステイオン頼みだったし、交渉は聖女シャーリー頼み。彼は聡明だったと言われているが、直接何かをした記録は驚くほど少ない。
しかし、大陸の中央から南にかけて、様々な逸話が今日まで伝わっているし、どこへ行っても人々を惹きつけ、愛された話ばかりだ。
シェラクやステイオン、シャーリーがいくつもの偉業を成しえても、王はヴィクトーリということに反発があった記録もない。あまりにも史料に乏しい為にどこまでが本当でどこからが伝説なのか不明な王だが、しかし後年、大魔女アルトラヴィクタは言った。
『王は彼以外になかったのよ。彼は生まれついての王。それも王の中の王だったから』
北のドラクレア皇帝とヴィクトーリ王。この二人が史上最も偉大な王という認識は、遠い未来まで続いていく。




