Episode31 天竜暦365年 南の英雄シェラク
水竜オレアラとの邂逅から一年程をかけ、シャーリーは海沿いから北上し、大陸中央に向かって旅を続けた。
リスタードの南東、東の小国群からは西にあたるこの地域に、音に聞こえた亜人の英雄シェラクがいると聞いたのだ。
既に六十に近い老齢であるが、大陸南部の亜人を守り戦い続けた偉大な騎士であり、中央の亜人差別の根強い国々からの南方侵略を防ぎ続けだ男である。
元々はリスタードで騎士としての修行を積んだ後、生まれ育った小国群に帰ったシェラクであったが、道中で亜人が虐げられている場面があれば助けつつ旅をしていく中、師であるアレイオンの愛したリスタードと故郷を結ぶ地域の安定を願った。
また、アレイオンより魔女と聖騎士が亜人の権利向上の為に動くことを聞いていたこともあり、大陸南部のあらゆる国や地域で、亜人が苦しんでいると聞けば飛んで行き、国や立場を超えて守り続けた結果、今では生ける伝説にまでなっていた。
「聖女?聖女が私に何の用でしょうかな」
「私はグレーイル生まれの聖女、シャーリーと申します。シェラク様、亜人の英雄にお会いできて嬉しゅうございます」
「英雄などと言われる程のことはしていないが…。グレーイル辺りの方々はそれほど亜人に酷いことはしないとはいえ、亜人の解放を掲げる私に会いたがる聖女が、マリネア殿の他にもいるとはな」
この頃には大陸中に名前の知れているマリネアの名を引き合いに出し、シェラクは笑った。
その言葉には、人間の聖女が亜人の為にこれまで何もしなかったことを揶揄する意味合いがあった。
確かに目の前の聖女からはマリネアすらも凌駕する魔力を感じるが、人間の聖女が本当の意味で、心の底から亜人に寄り添ってくれるとは、シェラクには考えられないのだ。
「私はマリネア様と志を同じくしています。そして、マリネア様は大陸中の人々に愛を説いて回っていましたが、私は戦いたいと考えています」
「戦う?何と戦うというんだね?」
「亜人を苦しめる、全ての国を打倒します」
あまりに突飛な発言に、シェラクも固まった。大陸中央部には大小様々な国があり、国同士の協定や条約などは複雑に絡み合い、亜人への弾圧も多様な形で根付いている。
その全てを打倒するなど、夢物語もいいところと言えた。
「それは…随分なことを仰る。実現できると?」
「必ず。私には、助けてくださる方々がおりますから」
シェラクは聖女の共連れの面々を見た。
(過酷な旅についてくるのだから信仰心の高い者たちなのだろうが、戦力としては役に立ちそうもないぞ…)
呆れて止めようと思った、その時だった。急に共連れの中に、強大な気配が吹き荒れた。
(こ、これは…!?なんという武威)
その気配の源が、歩いてくる。これまでは意図して抑えていたのだろう。今やその武威は少しも隠されず、強大な気配を周囲に撒き散らしている。シェラク率いる『亜人解放軍』の中の猛者達も気配を感じ、周囲に緊張が走った。
出てきたのは一人の男である。鍛え上げられた体躯、実用性一辺倒の革鎧、強度を重視した無骨な剣。金髪の短い髪と鋭く、けれど慈愛の満ちた眼差しは忘れるわけもない。
「あなたは!」
同時にシェラクは知った。この偉大なる聖騎士が、かつてと変わらぬ姿でここにいるということが意味すること。つまり目の前の聖女が誰なのかを。
「なるほど。貴女が言うのであれば、夢物語では終わらなそうですな。もはや去るのみだった老兵でありますが、何でも命じて頂きたい。この老骨の一欠片に至るまで、その使命の為に使いますとも」
「ありがとうございます。そう言って頂けると思っていました」
シャーリーも魔女のような微笑みで笑った。
正体を隠す理由は後で聞こうと思いつつ、シェラクは続ける。
「それで、具体的には?」
「この辺りに王の器を持った方が現れます。彼を中心に南方の国々をまとめ、また同時に北にも王が現れます。南北それぞれに大国を作り上げ、中央を挟撃するのです」
「王の器か。そのお方の居場所は?」
「詳しい場所は分かりません。しかし、南方にいらっしゃるはずです」
この魔女が場所を分からないわけもないが、教えられない事情でもあるのだろう。
ひとまずシェラクは聞けることを聞き出し、捜索に人を出した。
夜になれば、少し落ち着いて話をする時間を取ることができた。
「それで、事情は聞かせて頂けるのですかな?」
二人は聖女シャーリーについて、話せることを話した。
「なるほど、それでは、今後しばらくはシャーリー殿として生きるわけですな」
「それでお願い。…それにしても立派になったものね」
「うむ。アレイオンを超える騎士になるとは、驚きである」
「ほう。ステイオン殿にそう感じてもらえるとは。しかし、直接戦闘はともかく、将としては師匠の足元にも及びませぬよ」
「確かに、やつは戦っても強いが、兵を動かす力は比類ないものだったな」
それからは、アレイオンやグルーディット、リンカの思い出話に花を咲かせた。もはやその誰一人としてこの世にはいない。シェラクにとっても己よりも立場や力の強い、尊敬できる存在に会うのは久しぶりだった。気持ち良く酒に酔いながら、時間は過ぎていった。
「そうだ、いい酒があるのですよ」
そう言ってシェラクが取り出したのは、酒精の強い芳醇な酒だった。この時代には醸造酒のみで、蒸留酒というのはほとんど存在していない。蒸留という技術自体は紀元前から存在していたし、蒸留酒も存在自体は古くからあるが、流通するほど生産されていない。
ユナという穀物を原料にした醸造酒であるヴェナを蒸留して造られた酒は、醸造酒に比べ、がつんとくる酒精の衝撃があり、それなのに味わいはまろやかで、どこまでも奥深い。聞けば蒸留してから十年以上、木樽で寝かせているらしい。
そういえば、いつかレーシュトで食べた魚醤も魚を熟成させて作るものだ。
「熟成させると、あらゆるものが各段に美味しくなるものだな」
「あら、それは違うわよ。闇雲に何でもかんでも寝かせればいいってものじゃないわ。確かに熟成や発酵で味わい深くなる食べ物もあるけどね。新鮮な方が美味しいものもあるわ。どんなものにも食べ頃ってやつがあるのよ」
それからは魔女の高説が続いた。寝かせた方が旨味の増す魚、新鮮な方が美味しい魚。様々な種類の動物の、部位によっても新鮮なうちに食べるべきもの、何日か寝かせた方がいいもの。野菜や果物すらも、熟成させることで甘みの増すものも多いらしい。
ステイオンは聞き流していた。どうせ自分では適切な調理などできない。そして料理人は最も美味い食べ方を知っている。つまり料理人に任せればよい。
シェラクはどうやら魔女の語る食についての知識に感銘を受けたらしい。実際、未来視のできるレイアが知る知識は、この時代には存在の片鱗すらない、料理人達の研鑽の先にある未来である。この時代にはなかったものや、味覚の違いにより大衆に理解されないようなものばかりだった。
英雄シェラクは百年戦争を生き抜いた晩年、不自由な身体に無理をさせて美食を追い求めたという逸話がある。ただし、その当時では突飛な調理法や、食材と考えられてすらいなかったものの調理法をいくつか編み出したことは、あまり知られていない。
周囲にはゲテモノ好きと言われていたという説があるが、天竜暦二千五百年頃の時代における最先端の調理法などを多数実戦していた記録が散見され、一部歴史学者の間では『食雄』などと呼ばれている。




