Episode29 天竜暦358年 聖女シャーリー誕生
聖女は世界各地で生まれるが、例え素質があっても、生涯教会に行くこともなく、祈りもせず生きた結果、聖女として神託を受けることのないまま死ぬ者も多い。
地方では聖女になっても教会中枢に連絡が行くことがないような場合もあり、正確な聖女の数は不明である。しかし、記録によると古代から世界の人口は増えているのに、聖女の数は減少していることが確認されている。
天竜暦元年頃は、教会で把握しているだけでも、百人ほど聖女が存在していたという記述があるが、史料の正確性には疑問が残る。
ちなみに、何らかの使命については男性に神託が下ることもある。しかし何故か、女性しか聖女としての神託を受けることはない。
教会の数も多く、国民の信仰心も高いことからグレーイルは聖女の数も非常に多く、天竜暦三百年代でも国内に十数人の聖女がいた。
グレーイルは直接的に戦争の現場になることは多くないが、それでも各地から様々な人が流れて来ており、中には他国で犯罪を犯した者も多くいたため、治安は非常に悪くなっている。
それほど肥沃な土地ではないにも関わらず、それでもヴィータ教のお陰で侵略を受けていないこともあり、近隣国への支援などもしないわけにはいかない。
信仰心の高さから粗食を美とする風潮がある為に、なんとかギリギリで国民を飢えさせてはいないが、聖王は難しい政治をしていた。どこの国にも肩入れできず、支援も平等に、あくまで女神の慈悲による施しでなければならない。
また、本来ヴィータ教には口伝を尊ぶ教えがあり、書物での記録は比較的少なかった。保管庫には絵画の方が多いくらいである。多くの宗教画が寄進されていたためである。
幾度かの飢饉や流行り病で農業の知識や鍛冶などの技術を持つ職人の継承も途絶えがちであり、直接の侵略を受けていないとはいえ、国土の荒廃や人々の困窮は他国とそう変わりはなかった。
それでも、比較的安全であると、各地からの人の流入は途切れないが。
そういった人々のことも、ヴィータ教を尊ぶ国としては無下にもできず、基本的には無理をしてでも受け入れるほかなく、また食料が足りなくなり、治安の乱れに繋がる悪循環であった。
そんなグレーイルの、西の海沿いにある小さな村。そこに一人の少女が生まれた。天竜暦三百四十八年のことである。
その日はどんよりとした曇り空だった。寒い冬の日で、北西の海から吹く冷たい風は痛いくらいだ。
母親は貧しい漁師の妻で、その年は不漁であったことから、体力は限界だった。
当時、幼い子供の死亡率は非常に高く、また出産時の母親の死亡率も高く、出産と子供の健やかな成長は、奇跡と奇跡の掛け算のようなものだった。
なんとか少女は産み落とされた。しかし母親は出血がひどく、危険な状態だった。
母親は力を振り絞り、一度だけ、最期に我が子を抱こうとした。そうして抱き上げられた赤子は泣いている。ただの泣き声なのに、その声には不思議な清涼さがあった。
ふと、あばら家の隙間から光が降り注いだ。曇り空を突き抜けて、赤子に降り注いだ光は荘厳で、温かかった。
たちまち母親の血が止まり、顔に赤みがさしていく。不思議と周囲の人々のあかぎれや、腰の痛みなど体の不調や怪我が治った。
村の人々は口々に、生まれながらの聖女と言った。
通常、聖女は祈りを捧げる内に後天的に神託を受けて成るものであり、生まれた時からの聖女など聞いたこともない。
得たいが知れないと畏怖するものも多かったが、少女が育つにつれ、そんな声は消えていった。
シャーリーと名付けられた少女は、幼いながらも聡明で、慈愛に溢れた少女だった。
年上の子供たちが喧嘩をしていれば収め、大人が落ち込んでいれば近づいていき、手を握って微笑みかける。
さらにはシャーリーの生まれた日から漁に出れば大量、畑の作物は豊かに実り、周囲の獣に襲われることもなくなった。
人々は自然とシャーリーを崇め、その成長に何の曇りもないよう、誰もが見守った。
シャーリーは他の人には聞こえないことを聞き、見えないものを見た。早くからそれは胸の内に留め、あまり口にはしなかった。しかし村人には周知のことだった。シャーリーのいないところで怪我をすれば、どこからともなく現れて治す。危険があれば、いつのまにか腕を引かれ、止められる。悪意を持った者が近づけば、何故か獣に襲われて満身創痍で村に転がり込む。
シャーリーにはどんな危険な動物も懐いたし、どんな悪人も、ほんの少し話せば跪いた。
そんなシャーリーには亜人の友人がおり、シャーリーがその家族や亜人を対等に扱うため、村では亜人は他の人間と変わらない生活をしていた。
噂が噂を呼び、次第に亜人が村にやってきて住み着くようになったが、シャーリーが受け入れるので村の人間も受け入れた。
そうして何年も過ごし、シャーリーが十になる頃には、村では亜人の差別など一切なくなっていた。
シャーリーはそんな村を笑顔で眺め、皆で食べる食卓が好きだった。村ではシャーリーと話したい人が後を絶たないため、十人程度の班で食事をし、その班をシャーリーが日毎に回る習慣ができていたのだ。
シャーリーには遠視の能力もあった。世界中で戦いが続き、人々が殺し合っているのが見える。中でも亜人は迫害され、過酷な日々を過ごしている者ばかりだ。
シャーリーの心の中には、いつか村を出て、皆を笑顔にするために戦う決意が芽生えていた。愛を説いて回るなどという、生易しいことではない。亜人の権利と平和を掲げて戦乱に身を投じ、力でもって人々をねじ伏せ、それから人々の考えを改めさせるという決意だ。
独善的で傲慢であっても、血を流した革命が必要だと、シャーリーは考えていた。
ある日のことである、村に美しい黒髪の女が訪れた。
人間離れした美貌、数多の人の目を捉えて離さない美しい曲線を描く身体。紅い瞳は凄まじい引力を持ち、視線一つで国を動かせそうな、美人だった。
シャーリーは彼女に自分と似たものを感じた。すなわち膨大な魔力と女神との親和性だ。
「あなたも、聖女?」
「いいえ、あたくしは魔女よ。かつて聖女であったこともあるけれど、あたくしはどこまでも魔女なの。どこまでも聖女である、あなたとは違うわ」
「そう?似てると思うけど」
「似てるけど、違うのよ。あなたは、いつか戦いに行くのでしょう?」
「そう。皆戦いを止めないし、亜人に酷いことをするから」
「そうね。でも、行かない方がいいわ。あなたはこの村にいれば、幸せになれる」
「そうなの?でも、行かないと。あたしにしかできないはずだから」
「本来は、その通りよ。でも今、世界は歪んでしまっている。あなたは志半ばで死んでしまうことになる」
「…それでも、あたしは行かないと」
「きっとあなたはそう言うって分かってたわ。でも、頭の片隅にでも、覚えておいて」
「ありがとう。あなたは優しいね」
「そんなことないわ」
魔女は悲しげに笑って、村を後にした。遠くに一人の騎士がいるのが見える。二人は一度、シャーリーのことを振り返ってから、どこかへ消えた。




