Episode2 紀元前38年 聖騎士と魔女の邂逅
ステイオンはグレーイルのある大陸の、海を挟んで北にある大陸、そのさらに東の小国に生まれた。冬は雪に閉ざされる小さな国だが、領土に塩の山と海を持ち、地形や海流の関係で、北の厳しい国の中では海が温かい。その為温かい海風が入り、周辺国より作物の実りもいい。
元々は国を追われて行き場のなくなった商人などが集まりできた国であり、王は対外的な交渉のために擁されたものであった。王族と国民の距離も近い、平和な国だった。当時人間に迫害されていた亜人も多く、当時としては非常に珍しい、亜人と人間が仲良く暮らしている地だった。
厳しい北の地では助け合わなければ生きていけず、余計な争いに費やす時間も体力もないのである。
当初は他の人間の町や国からはかなり離れた町で、国を名乗る必要もないほどだった。しかし、やがて周辺にも人の町が増え、戦争によって治める統治者や国が変遷してきた。祖国にも侵略の手が伸びてきた頃、敵国は侵略した国の人々に残虐な性質があった。特に亜人に対する扱いは物と同じであった。
とても恭順することはできず、かといって戦争になれば確実に負ける国力の差があったために人間を王に立てた。なんとか戦争を回避しようとしたが、無駄な努力だった。厳しい北の地の中では非常に資源に恵まれた小国は、敵国にとって喉から手が出るほど欲しい土地だったのである。
どうせ侵略されれば全ての国民が非業の運命を遂げる。小国は女子供、老人にいたるまで、死を覚悟して戦争に臨んだ。そして、そこで頭角を現した農民の息子、ステイオンによって戦争はまさかの勝利に導かれた。
以来、間断なく襲い掛かる敵国との戦争で、ステイオンは戦い続けた。数倍にも及ぶ敵軍に相対しても、たった一人で切り込んでは司令官の首を獲り、風のような速さで敵軍を翻弄した。やがて遂に敵国が内戦によって政権交代し、不可侵条約を結ぶまで、一度も負けなかった。
ステイオンは農民の息子である。亜人と仲良くしたために国を追われた、人の良い夫婦に生まれただけの、普通の子供だった。しかし幼少期から大人顔負けの体力と力を誇り、いざ戦争時に剣を持てば、齢十二にも関わらず、熟練の騎士を相手に何の気もなしに勝ってしまう。
レイア辺りが見れば、滅多にいない体内魔力の持ち主であり、それを無意識に身体強化に使っていると分かっただろうが、そんなことが分かる人間はいない。
ステイオンは女神に遣わされた騎士として崇められた。
王はステイオンを騎士に任命し、力自慢の国民で構成された、王国騎士団という名ばかりの騎士団の団長に任命した。
己の剣に祖国の命運がかかっていると、ステイオンは愚直に戦い、騎士の鏡なれと自分を律したのだった。そうして三十二歳のある時、女神によって聖騎士にされた。
隣国の内戦により、政権が代わってから、両国の王族の婚姻によって不可侵条約が結ばれた。それから数十年、婚姻から三代に使え、両国が真に友好国になるのを見届けてから、ステイオンは女神の神託により告げられた使命を果たすため、遂に国を出たのであった。
老いもしない英雄を恐れる者もいたが、出立時には二国から大勢の人々が見送ってくれた。
とはいえ何の手掛かりもなかったので、自分が神託を受けたころまで遡り、女で何かしら特別な力を持つ者を探しながら旅をした。北の国から海沿いに南下し、時には内陸も周り、十年以上をかけてグレーイルに来た時、遂にそれらしい少女を見つけた。
類まれな神力を持ち、歴代最高の聖女と言われながら、ある日突然事故死した少女。それはまさに、己が神託を受けた年と同じ年の話だった。その死には不審な点があった記録も見つかった。
グレーイルにおける何の伝手もないステイオンは、姿絵を見る許可を得るまでに数年を要した。黒髪に赤い目をした美少女であった。写実画が全盛の年代に描かれた絵姿で良かった。姿絵は絶世の美少女に描かれており、実物とどれほどの違いがあるかは分からないが、目印としては申し分ない。
それから、また旅が始まった。まだ大航海時代を迎えていなかった。空を飛ぶ手段などない時代である。海には竜がいて、ステイオンというより人類にはまだ海を越える手段がなかったので、祖国の大陸とその南にある大陸を東西南北、地道に回った。そして、南の大陸の内陸にある芋が名産の小さな町で、遂にその少女を見つけた。この世のものとは思えないほど美しく描かれた姿絵は、それでも画家の腕が悪かったとさえ思ってしまう程、少女は浮世離れした美貌だった。
服装は平民なのに、腰まで伸びる長い黒髪は艶やかで、手入れを欠かさない貴族女性よりもさらさらとしている。真っ赤な瞳はどんな宝石よりも美しく、顔の造形はどんな彫刻家でも作りえない完璧なものだ。女性にしては高めの身長は儚げなほどに細く、それでいて女性らしさに溢れる見事なかたちをしていた。
(なるほど、魔女ともなれば人にありえぬ容姿であるわけか)
ステイオンはそんなことを思いながら、声を掛けた。間違いないと思うが、間違いがあってはならないのであり、しっかりと確認せねばならない。どこの国も平和などとは言えないが、それでも女神の言うような魔女に世の乱れなど感じない。そんな中うら若き乙女を手にかけるのことに抵抗はある。それでも神託を受けたからには、必ず成し遂げなければならない。ちなみに魔女も自身と同じくらいには長生きしているということには、全く考えが及ばなかったステイオンである。
話してみれば、やはり魔女に間違いはなさそうだった。決闘を申し込み、承諾をもらってから宿へ帰る。
明日、もし勝てば自分は死ぬ。負ければ死ぬことはなく、再戦のために修行の日々だ。もちろん、聖騎士となってからこれまで、一日たりとも鍛錬を欠かしたことはなかったが、それでも魔女に勝てるという保証はない。
親の世代はもとより、同年代の友人やその子供の代も、皆先に老いて死んでいった。歳も取らない自分を、友人たちの子孫の多くは慕ってくれた。建国時からの英雄と讃えてくれた。
戦争で死ぬと思っていたので、妻は娶らないまま戦っていた。そのまま聖騎士になったので、子孫はいない。兄弟姉妹の子孫は今も国にいるが、もはや家族といえる間柄ではない。友人達は戦争での死を前にこそ恋に生き、生き残った者は家族を持っていたのだから、ステイオンは不器用だったといえる。
そんなあれこれに思いを馳せ、死んでいった人々に心の内で語りかけ、少しの酒を飲んで、ステイオンは眠った。
翌日、日も昇らない内から起床し、いつも通りの朝の鍛錬をすると、もりもりと朝食を食べ、まだ朝と言える時間の内に、決闘の場に赴いた。
魔女は来なかった。何かの作戦かと、三日立ち尽くした。不老不死のステイオンは飲まず食わずでも死にはしない。四日目に町へ行ってみると、少女はあの日から誰も見ていなかった。
「…ふむ」
ステイオンは荷物をまとめて町を出た。
「見事な引き際なり」
それから二十八年、ステイオンは時には噂を頼りに、時にはあてもなく、少女を探して大陸を歩き続けたのだった。