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魔女(あるいは聖女)と騎士の六百年  作者: ノワール


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Episode27 天竜暦326年 亜人の聖女

 北の大陸の、寂れた教会に、聖女がいた。


「どうしても、行くのですか?」


 老婆は問いかけた。祈りを捧げる聖女に。まだ少女と言って良い年齢である。


「それが私の使命ですから」


 少女は振り向いて笑った。美しい亜人の少女である。白い髪と長い耳。青い瞳を持ち、額には一本の長い角がある。体はほとんど人間と変わらず、豊かな毛の尻尾があった。皮膚の色まで滑らかに白く、祈る様は白の女神のようですらある。


 亜人の聖女はいないわけではない。しかし、やはり人間の聖女に比べると軽く扱われることが多く、国や地方によっては亜人だと聖女と認定しない教会もある。


 特に今は、長い戦争で教会間の連絡などが途絶え、それぞれが独立して活動している時代である。

 貧しく、戦いの絶えない生活において信心は重要であるが、腐敗した教会、ほとんど活動できていない教会も多かった。

 そんな中では亜人が聖女として神託を受けても、認定されないこともめずらしくないのだ。


 北の大陸に建国されたアイザ王国では、亜人の人権を人間と同等にしている。アイザ王国は強さと賢さを兼ね揃えた女王であるセレクィタと、その配下の亜人の力により勢力を拡大しており、虐げられてきた亜人達はこぞってアイザ王国の傘下に入ろうとしている。


 既にその勢力は北大陸最大となっており、未だ敵は絶えないが、亜人の過ごしやすい世界へと一歩一歩前進しているところである。


 しかし、北大陸の安定を優先するセレクィタ女王は、南に位置する大陸からの干渉を避け、鎖国状態にしている。南側の都市や村を抑えており、現在は大陸間の行き来はほとんどない。


 非常に優れた聖女である少女には、南の海を渡り、大陸の亜人解放に尽力せよという神託が下ったのだ。


「マリネア。くれぐれも気を付けて行くんですよ」


 教会の老いた修道女(リーメ)に強く手を握られる。戦争によって家族や友人を失いながらも、寂れた教会を一人で守り、人々に救いを与えてきた優しい老女は、戦争孤児のマリネアにとって母親のような存在だった。

 これから始まる長い旅が終わるまでに、恐らくもう会うことは叶わない。


 マリネアは最後にもう一度抱擁をし、涙が溢れないようにぎゅっと強く目を瞑り、それから旅立った。





 漁師に無理を言い、なんとか海を渡った先でマリネアが見た東大陸は、北大陸以上に凄惨なものだった。

 大陸中で争い、人が死んでいく。


 そんな中だからこそ、人々は救いを求めて教会へ行く。どれだけ荒んだ街や村にも教会はあった。神父や修道女、修道士は形ばかりであったが、それでも懸命に女神の教えを伝え、人々に希望を与えようとしている。


 どんな小さな教会でも、マリネアが女神像に祈れば光が差した。聖女にのみ舞い降りる神託の光は、通常は聖女とはいえ人生で数えるほどしか見ることはない。

 しかし、マリネアはいつでも光を降らせることができた。マリネアが光の中で祈れば、人々の病気や怪我は治り、焼けた土地が再生する。


 マリネアは何年もかけて、東大陸を歩き、巡った。やがて亜人でありながら、歴史上でも最高の聖女の噂は大陸を駆け巡った。

 噂だけでなく、東大陸の全ての人々に光を見せるのがマリネアの目的である。


 その旅は辛く、苦しいものだった。常に食料や水に悩み、獣やならず者との戦いに怯える、過酷な旅だった。

 教会を巡る内に、マリネアの使命に感銘を受けたり、その力に心酔する者が旅に加わったが、命を落とす者もいれば、逃げ出す者もおり、その顔ぶれは頻繁に入れ替わった。

 また、亜人であるマリネアの力を疑ったり、難癖を付けてくる者もどこにでもいた。

 酷い時には奴隷が聖女を騙ったと、殺されそうになることもある。





「貴様が聖女を騙る卑しい亜人か」


 ある日、一行の前に騎士達が立ち塞がった。亜人への差別の激しい地域であり警戒していたが、領内を守る騎士が真正面から絡んでくるのを避けることはできない。


「私は教会で神託を受けております。私に光が降り注ぐのは、多くの人が目撃しております」


 マリネアは弁明したが、騎士達は聞く耳を持たなかった。マリネアを見るその目は欲望に満ちている。本当に聖女かどうかなど、彼らには関係ないのだろう。ただ、美しい亜人をおのれの奴隷にしたいだけなのだ。


 一行の中の力自慢達は抵抗しようとしたが、完全武装の騎士を相手には分が悪すぎる。死者が出る前にと思い、マリネアは大人しく捕縛されることを選んだ。


 これまでは何とか守れてきた貞操も、どうやら捨てる時が来たようである。しかし、そんなこともあると、マリネアは旅に出る前から覚悟していた。もしかしたら死ぬかもしれないとも。


 汚い騎士団宿舎の牢に押し込められ、酒を飲みながらマリネアを犯す順番を決める野蛮な騎士達。気丈に振る舞うマリネアだが、やはり涙が止まらず、体は震えていた。


「やったぜ!俺が一番だ!」


 下卑た笑いと共に、勝負に勝った男が牢に近付いて来る。順番争いに負けた男達も、にやにやと笑いながらマリネアを見ている。自分が汚される瞬間は、同時に見せ物にもなるのだ。


 しかし、男の手がマリネアに触れようとしたその瞬間、突然男は氷漬けになった。


「な、なんだ!?」

「こ、凍ってやがる!?」


 騎士達が叫んだと同時、いつのまにか宿舎に一人の女がいた。


 黒髪に紅い目の美女である。妖艶でありながら、同時に非常に若く見える。その美しさはこの世のものとは思えないほどだ。


「不愉快だわ。あんたたちは、騎士じゃない」


 次の瞬間には、宿舎にいた騎士の全てが氷漬けになっていた。この得体の知れない女性がやったことは間違いない。

 しかし、マリネアの心に恐怖はなかった。彼女は味方であると思えたのもあるが、その魔力がとても温かいものだったからだ。


 その温かさは、女神の神託の光に似ていた。


「もう大丈夫よ。安心して」


 女性はそう言って微笑んだ。その微笑みはまさに、女神の微笑みだと、マリネアは思った。


「ありがとうございます。あの…あなた様は?」

「あたくしは魔女よ。でも女神とも友達なの」


 魔女は名乗らなかった。仲間の元まで送ってくれると言うので、夜道を二人で歩いた。

 しばらくは無言だったが、やがて魔女が問い掛ける。


「…辛くないの?」

「辛い…?何がでしょうか?」

「あなたは偉大な聖女なのに、亜人であるというだけで謂れのない迫害を受けている。人を助けても、助けた人に罵られることすらある。自分のしていることが虚しくなることはない?」

「虚しくはありません。私の行動のひとつひとつが、未来に繋がっていますから」

「こんな戦争ばかりの時代で?どれだけ人を救っても、国が燃えれば意味がなくなるわ」

「一人でも誰かが残れば、未来へと繋がります。その一人をほんの少しでも増やして、助けることが、私の使命です」

「それは、神託を受けたから?」

「いいえ、私が望んでいることでもあります。こんな時代ですが、私は人の笑顔を見るのが好きです。そして、いつか皆が笑顔でいられる時代が来ると信じてます」


 まるで絵空事のようなことを、何の迷いもなく言い切るマリネアを見て、魔女は少し眩しそうに笑った。


「あなたは、本当の聖女ね。偉大な聖女だわ」


 マリネアは、目の前の魔女がかつて聖女であり、そしてその役割を投げ出したことを知らない。


「あなたを尊敬するわ、心から…。あなたの旅に幸運を」


 マリネアが魔女と会ったのは、その一回きりである。






 聖女マリネアの伝承は、各地の教会に残っている。


 長い時間をかけて大陸中を回った聖女は、歴史的な偉業を成したわけではないし、ただ各地の教会でほんの少し、人々に癒しを施しただけである。

 しかし、世界で最も亜人の地位向上に貢献したとさえ言われる聖女である。

 彼女に会い、話をすれば、亜人嫌いの人間も心を開いたという。また、彼女はどんなに自分を嫌った人にも癒しを与えたと言われる。


 聖女マリネアが旅の最中に語った女神の教えは、それまでの聖典の解釈と違うところが度々見受けられた。

 マリネアの信奉者達が彼女の言葉を纏めた本は、今も各地の教会にあり、何千年の時を経ても、聖職者達の大事な教本として読まれている。

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