Episode22 天竜暦313年 グレジュ族
セレクィタはまずレーシュトを海賊達から奪還したいと考えた。亜人の誘拐にはあまり関わっていないはずだが、この極寒の地において、あの地区の暖かさは最重要といえる。北大陸の食料庫であるレーシュトを抑えた者が、大陸を獲ると言っても過言ではない。立地的にも不凍港があり、北と東は山に囲まれ、西の街道以外からは攻めにくい。ただし、食べるものに困らないから欲する者はいても、その戦略的価値を認識している者はこの時代ほとんどいない。
ステューによると、海賊と言っても、南の大陸の戦乱の中で流れてきた騎士くずれや軍人くずれらしい。レーシュトの騎士達は強いが人数が多くない。その為に幾度となく大国に飲み込まれ、宗主国を変えて存在してきた。どこの国もレーシュトの豊かな恵みを欲している為に、土地を焼いたり住民を虐殺するようなことはしなかったのだ。
セレクィタは大陸中に点在するメル・アイザの民を三年かけてまとめ上げ、亜人の誘拐などに対する備えをさせ、軍備を増強した。この時代の北大陸の人々は多少農耕もしているとはいえ、そのほとんどが狩猟民族である。その中でも特に、厳しい雪山に生きるメル・アイザの民は屈強で高い戦闘能力を持つ。他の亜人の部族も続々と合流した。
亜人の解放と安寧を掲げ、天竜暦三百十三年、セレクィタはメル・アイザの民と亜人達を率い、元海賊であるミシテット王国に戦いを挑んだ。
占領、建国してからの数年で、ミシテットは小さな国土の西側を囲う、非常に強固な城壁を建設した。何故元々城壁がなかったのかと言うと、古くは周辺国家からの距離があり、過酷な谷に囲まれた天然の要塞だった為に、必要がなかった。ウステニア時代に長い時をかけて谷が開かれたが、ウステニアが健在の内は一領地だったので必要がなく、その後は短期間で支配者が変わった為に建設されず、ミシテットとして建国が成った後に、西の国への備えとして建設された経緯がある。
北と東は険しい山に囲まれ、南は海である。セレクィタはその北側の断崖絶壁の上に陣を敷き、宣戦布告をした。そして東の雪山から、精鋭部隊を進軍させた。針葉樹林に隠れつつ、ゆっくりと軍を進む。雪は深く、角度は非常にきつい山を、それでもメル・アイザの戦士達は易々と降りていく。
敵に補足されるのを避ける為、火も焚かずに進んだ一週間。約百人の戦士達はミシテットの近くまで到達した。
「冷たい保存食も今日で最後。各々、もう少し辛抱するように伝えておいて」
二十歳となり、美しく成長したセレクィタが、副官の男に声を掛けた。屈強な亜人で、黒い豊かな毛に覆われている、目付きの鋭い男は冬の雪山でも数十日絶食しても生きられる種族だ。唯一メル・アイザにも勝るグレジュ族。その男はギロトといった。
非常に強い種族だが、彼らは基本的にメル・アイザの住むところよりもさらに標高が高く寒い地域に住んでおり、”下界”に興味がない。力を貸してくれたのはギロトの氏族、百人ほどだけだった。その中から更に選ばれた二十人が、この奇襲部隊に配属されている。
「士気の落ちた軟弱者などいない。セレクィタこそ、早めに休むべきだ。戦士ではない身でこの行軍は相当に苦しかったはず」
「皆が運んでくれたのだから、大丈夫。私は全然歩いてない」
「それでも、体力は奪われている」
セレクィタは忠告を素直に受け止め、ガレッドに身を寄せて眠った。
寒さに強いガレッドで暖を取るのは、雪国に生きる人々の緊急手段だ。雪山に住むメル・アイザの民は、野生のガレッドを捕獲し、己の物として、初めて成人として認められる。そして彼らは、寿命や何らかの理由で死んだガレッドしか食べず、普段の狩りではバンジェやその他の動物を狩り、食べる。彼らにとってガレッドは、家族以上の存在なのだ。
メル・アイザの戦士達は皆、同じようにガレッドと共に眠った。グレジュ族の住む地域はガレッドですら生きられない寒さである為、彼らはガレッドを持たない。単独で生存可能な彼らはどっかと座り、そのまま眠った。
ギロトは見張りの指示を出しつつ、塩漬けの肉を齧った。グレジュ族でも最も勇敢な戦士は、この程度の寒さと行軍では、いささかも疲労しない。
眠るセレクィタの近くの木に寄り掛かり、槍を抱えて目を閉じた。眠るわけではない。ほんの少しまどろむだけで、周囲に対する警戒は怠らない。
ギロトは、自分達に助力を求めてきた時のセレクィタの姿を思い出していた。
元々、グレジュ族の住む地域は他のいかなる種族も生存不可能な土地であり、その為、大陸の国々がどれだけ争っていても関係がなかった。
ガレッドもバンジェも、彼らの住む標高では生きられない。人々も人間、亜人を問わず、長期間の滞在は難しい。木々もほとんど生えていない白だけの世界で、彼らだけが生きている。
ある日のことだ。白い毛を持つ亜人の一族が数人やってきた。屈強な男達だが、グレジュ族の戦士に比べれば、一回り小さい。驚いたのは、その中に女が二人おり、しかも代表として出てきたのが、最も小さい少女だったことだ。
その美しい少女に、ギロトは目を奪われた。長い長い髪は雪の中でさえ、一際輝いている。戦士達やグレジュ族に比べれば、折れてしまいそうな華奢で小柄な体躯。しかし手足はしなやかに伸び切り、女性らしい曲線を描いている。大きな瞳は太陽を思わせる黄金色で、自分の倍ほどの男達に相対しても、臆することなく見つめてくる。そしてグレジュ族の言語を流暢に話した。
「私はセレクィタ。グレジュ族の勇者達の力を貸していただきたい」
グレジュ族には関係のないことだが、亜人の多くは人間達に迫害され、こき使われている。少女は人間から亜人を解放し、亜人が暮らしやすい国を作りたいと言う。
「我らには関係のないことだ」
族長も当然のように突っぱねた。
「弱い者は強い者に従う。それが節理だ」
そう言い放った族長に対し、セレクィタは問いかけた。
「強さとは、何を言いますか?」
「それは、グレジュの戦士を見れば分かる」
「そうですか。では、しばらく滞在し、見させて頂いても?」
「好きにしろ。この地で生きることのできる者を、我々は拒まぬ」
それはつまり、彼らではこの過酷な地に滞在することもできず、すぐに帰ることになるという意味だった。
驚くことに、供を二人残し、セレクィタは他の男達を帰らせた。グレジュ族と同じように、斜面に雪洞を掘り、住居とした。供は人間の女と男だ。男は騎士のようで、しかもその居住まいは歴戦を思わせる。セレクィタへの興味と、男への興味があり、ギロトは彼らの監視役に立候補した。
「あなた方は雪魚とホロロ鳥、それとレプノを糧にしていると聞いています」
「そうだ。この標高で獲れる獲物はそれだけだからな。獲れなければ帰るべきだ」
「ご安心を。まずは、そうですね。ステューに獲ってきてもらいましょうか」
ステューという男が狩りに出ると言うので、ギロトは付いていくことにした。
雪魚は雪の中を泳ぐ魚だ。まるで水の中にいるかのように、雪の中を素早く移動している。どうやら雪の下の土に埋まっている微生物を食べているらしい。
ホロロ鳥は崖に穴を掘り、周辺を飛ぶ鳥だ。この鳥は何らかの方法で雪の下の雪魚の位置を把握し、急降下で雪に飛び込み捕獲する。
そしてレプノは巨大な四本足の肉食獣だ。やつらはもっと低い標高で生息しているが、雪魚を好物としており、頻繁に登ってくる。グレジュ族でも簡単には勝てない相手であり、レプノを一人で仕留めることで、グレジュ族の男は初めて戦士の称号を得る。
極寒の中、深い雪に埋もれながら狩りをするのは非常に難しい。グレジュ族の男達は弓で簡単にホロロ鳥を射抜くし、歩いていて近くを雪魚が通れば素手で捕獲する。彼らには特殊な感覚器官があり、獲物の位置を簡単に把握できるのだ。深い雪もものともしない。
ステューという男は、足に何かの枝を組んで作ったものを履くと、雪の上を軽やかに歩いて見せた。丈夫な木の蔓で雪駄を作り、体重を分散させているのだが、ギロトにはよく分からなかった。そしてただの人間のはずなのに、まるでホロロ鳥の動きが読めているかのように、簡単に矢を当てた。
ステューはホロロ鳥を五羽仕留め、抜いた血を革袋に入れた。血抜きをしないと肉がまずくなる。そしてグレジュ族も、抜いた血を捨てることはない。この極寒の地では、動物の新鮮な血が貴重な栄養源であることを、ステューは知っているようだった。
次に、雪の中に座り、目を閉じる。まるで雪と同化するかのような気配の消し方に、ギロトは『こいつは自分より強いのでは?』という、ありえない錯覚を覚えた。ただの人間がどれだけ鍛えたところで、グレジュ族でも最強の戦士たる自分に敵うわけがないのに。
ステューはそうして瞑想し、雪魚が己の近くに来ればたやすく抱き上げた。わずかな時間で四匹の雪魚を抱えると、ホロロ鳥とまとめて担いで、雪洞に戻った。
雪洞を出て帰ってくるまでの時間は、グレジュ族の熟練の戦士よりも早かった。ギロトは内心とても驚いていたが、セレクィタは当然のように獲物を受け取り、もう一人の女と処理を始めた。
解体の仕方も手際よく、少し標高の低いところで獲れる木を使って焚き火を起こすと、さっと塩を振って焼く。三人で血を分け合い飲むと、焼いた肉を食べた。食べきれない分は燻製にしていた。
夜は焚き火に使った木を黒い炭にして暖を取っているようだった。どうして炭が朝まで暖かいままなのか、ギロトには分からなかった。狭い雪洞では火を長時間燃やし続けるわけにはいかないので、普通は寒さに耐えられないはずなのだが。
そうやって、全く問題なく数日を過ごすのを見て感心していたギロトだが、本当に驚くのは、セレクィタが本気を出してからだった。




