Episode21 天竜暦311年 雪国の天才少女
セレクィタの朝は早い。まだ十二歳だが、両親を早くに亡くしたセレクィタがやらなければならない家事や仕事は多いのだ。
白い耳と尻尾、鋭い牙と爪を持つメル・アイザの民は村単位の群れで生きており、子供は村全体で育てるものだ。しかし、それはそれぞれの親が家長として仕事をしているから。親を亡くした子供を、ただ子供として遊ばせておく余力はない。
北の大地は寒く、一年の大半は雪に閉ざされる土地。その中でも標高の高い山に住むメル・アイザ達の生活は常に厳しい。
セレクィタは村の男たちと狩りに出る。まだ小さな少女だから、流石に他の仕事でも言いと村の皆は言ってくれたが、セレクィタはつまらない内職に興味はなかった。
自作の弓を構える。メル・アイザの民は周辺に群生するカシャの木で作った弓を使うが、セレクィタは板ばねを利用して子供でも扱える弓を作った。最大で五本の矢を連続で撃つことができる。矢尻には他の男たちの毒矢を参考に自分で作った毒を塗っている。今では皆が逆に、セレクィタに教えてもらった毒を使う。食べてはならないと言われていたミッサ草の毒を抽出する方法は、九歳で考えた。
その他にも、古くから伝わる罠も改良したし、凍らない滝の勢いを利用して粉を挽く仕掛けを作ったのもセレクィタだ。
セレクィタは天才だった。いつどこの時代に生まれても、その頭脳は技術や生活に革新をもたらしただろう。
雪国の少数民族の中でさえ、彼女は様々なものを生み出した。今も、冬の山でも活動する貴重な肉である動物、バンジェを家畜化させる為にあれこれ試している。肉をすぐに食いたがる村人達に、飼育に必要な資源と、繁殖による資源の増加を説明し納得させるのは骨だったが、それすらも楽しんだ。
『自分より知能に劣る人間を納得させる』、それ自体を試行錯誤し楽しんだのだ。他人は全て自分より知能的に劣ることを理解していたので、馬鹿な村人達に憤りを感じることはなかった。馬鹿でも素直で善良な人々だと思っている。
そうして日々を過ごしてきたある日、セレクィタの前に旅人が現れた。黒い髪と赤い目をした美女と、金髪碧眼の隙のない騎士だ。
「故郷が戦争で焼かれてしまったの。しばらく村に住まわせてもらえないかしら。もちろん、仕事はするわ」
二人はレーシュトの生まれだと言った。確か、南西の方にある小さな領地だ。この大陸にしては暖かい地域で、ウステニア王国の領だった国だが、戦乱の中でウステニアの滅亡と共に宗主が変わり、さらに最近、南の海の向こうから来た海賊に滅ぼされたはずだ。たまに村に来る行商人が言っていた。
かの領は古くから精強な騎士が多かったと聞く。古代の英雄がレーシュトで生まれたとかで、武を尊ぶ気風があったのだ。あの領の騎士なら、腕っぷしは期待できる。女は分からないが、どうせ村人も全員馬鹿なのだから、似たようなものだろう。
「役に立ちそうなら住んでもいい。けれど、役立たずなら放り出す」
セレクィタはそう言って村へ二人を連れて帰った。村長に話し、自分の家に住まわせると告げる。見知らぬ旅人を子供一人の家に住まわせることに難色を示されたが、言いくるめた。大人と同じように狩りをしているのだから、大人と同じ権利を有すると言うだけで、村長は何も言えなくなった。
「ずいぶん不用心ね」
「わたしを害する気があるなら、会った時でよかった」
「安全な村まで案内させてから殺す気かもよ?」
「こんな小さな村でそんなことをしてどうするの?」
「さぁ。村人を全部殺して、食料を奪うとか?」
「そんな粗暴には見えない。それに、あなたは頭が良さそう」
「あら、そう見える?」
「言葉使いに品があるし、会話にも知性がある。騎士さんは馬鹿そうだけど、実直そう」
「ふぅん。人を見抜く目に自信があるのね。だけど覚えておきなさい。こんな村では出会えないような根っからの極悪人はね、一見すると本当に善良そうに見えるものなのよ」
「こんな村では出会えないなら、どうでもいいんじゃない?」
女はくすりと笑った。
「これから、あなたはそんな人達にも会うことになるわ。だから、あたくしがそれに対抗する術を教えます」
その時は、何も思わなかった。セレクィタの世界には、自分より劣る人間しかいなかったのだ。だから、『他人に教わる』ということが想像も付かなかった。
女はシア、男はステューと名乗った。ステューは驚異的な身体能力を持ち、剣、弓やその他の刃物を巧みに扱い、瞬く間に村の最高戦力となった。二、三人の男を連れて、必ず獲物を仕留めて帰ってくる。村は肉に困ることが無くなり、余裕のできた男達は漁や山の恵みの採集に時間を割くことができるようになり、生活水準が上がった。
それ以上にセレクィタを驚かせたのはシアだ。彼女は何でも知っている。魔術のこと、魔素のこと、大地のこと、風のこと、川のこと。そして力学、数学、兵法、天文学に至るまで、あらゆることを知っていた。メル・アイザでは最高神は女神ヴィータだが、眷属の神は万物に宿ると考えられていた。雪の中にも、木の中にも、川の中にも神はいる。一匹の魚にも、一頭のバンジェにも。この世のあらゆる現象は神々のしわざと考えられてきたのだ。その神々が起こしていたと考えられていた事象の一つ一つを、シアは魔法学的、物理学的、生物学的に説明した。セレクィタは興奮し、気になっていたことを何でもシアに聞いた。その全ての質問にシアは答えた。
セレクィタの家の者であるステューが狩りをしており、シアも昼間は村の女たちに混じって内職をしていたので、子供のセレクィタは仕事をする必要がなくなった。しかし、村の子供たちと遊ぶことはなく、勉強に費やした。
シアはすぐに村の相談役のような立場になり、内職からは手を引いた。セレクィタはシアに一日中付きまとい、勉強をして質問をして、シアの仕事を見て学んだ。村の皆がただシアの言う通りにして成果が上がるのを喜ぶだけの中、セレクィタはその原理や仕組みについてひたすら考えた。
そうして五年が経った。
最近は北の大地でも戦乱は広がる一方だ。特に北の大地には亜人の集落が多かったが、亜人への弾圧は激しさを増していた。戦争の人出を欲しがった国々は、亜人を捕らえて奴隷にし、最前線で戦わせるのだ。
セレクィタの村でも何人かの村人が行方不明になった。痕跡から、人間に誘拐されたことが分かったのだ。
「シア。女神ヴィータ様は私たちのことも人として扱ってくれているのよね」
「そうよ。女神様はあらゆる人種を平等に愛していらっしゃるわ」
「なぜ、人間族は私たちを物扱いするの?」
「人は自分と違う者を恐れるの。恐れが迫害に繋がり、差別に繋がる。この価値観を正すのは、簡単ではないわ」
「…私は、これ以上亜人が迫害されるのを、黙ってみていることができない」
奇しくも、亜人の誘拐だけでなく、レーシュトを支配した海賊たちが勢力を広げ、メル・アイザの人々にも迫っていた。セレクィタはメル・アイザの民を率い、海賊や周辺国家に対抗し、亜人の解放を掲げる。
その戦いは、北の大陸の大部分を統一する巨大国家を築く礎となるのだった。
北の巨大国家アイザ、その源流が雪国の少数民族であることは、後の歴史でも確実なものとされている。




