Episode15 天竜暦279年 聖王国グレーイル防衛戦争
結局、天竜の呪いは完全に解除することはできなかった。
なんとか軽減することはできたが、やはり簡単には地上には降りられない状態のままだ。
しかし、人々や動物達を見守ることはできるようになったので、
現在の戦乱を収めれば、ひとまずある程度の平和は訪れる。
呪いを軽減できたことで、レイアの未来視にて鍵となる人々が分かるようになった。
彼らは時代時代にて英雄、英傑、偉人と呼ばれるような人々であるが、天竜の呪いの影響で魔力が弱かったり、運命が狂い、成すべきことを成せずに死んでいってしまう場合が多くなっていた。
西の大陸は呪いが軽減できた時点で、これから百年前後で安定する可能性が高いことが分かったが、東の大陸は放っていれば数百年に渡り戦いが続く。それを短縮するため、レイアはステイオンと共に歴史への介入を始める。
まずはグレーイルだ。近い内に神聖ティーリアン帝国がグレーイルに侵略戦争を仕掛けてくる。
一時期は大陸全土に勢力を広げていたこともある帝国だが、現在はグレーイルに近い大陸の南部分を国土としている。近年の戦争で皇族の大部分が亡くなり、現皇帝は齢十二歳の少年である。もはや傀儡であり、周囲の貴族の意向を抑えることができず、戦争を仕掛けてきた。
そしてグレーイルの今代聖王は非常に戦争向きではない。このような戦乱の時代でなければ、人々の生活を豊かに導く名君だったはずの王だが、魔女の呪いの影響で、過酷な政治を強いられている。
元々清貧を良しとする国であり、今代聖王が発展させるはずだったグレーイルの文明は周辺に比べ数百年遅れていた。それが戦争で多くの国々で文明の後退が進んだ結果、同程度まで大陸全体の文明が遅れてしまっている。本来は多くの戦争が起きる時代を経ても、グレーイルのお陰で技術や文化はある程度存続できたはずだが、それも叶わない。
レイアには、戦乱を終えた大陸が千年以上に渡り、非常に低い水準の文明に停滞することが見えているが、もはやそれはどうにもならないことだった。まだまだ続く戦争で、文化も芸術も技術も何もかも破壊される。この時代において貴重な石板、木板や羊皮紙は失われ、識字率は著しく低下し、口伝は継承が途切れるのだ。
グレーイルはヴィータ教の総本山であり、戦乱の中でも大規模な侵攻を受けずに存続してきた。女神の代弁者として他国同士の戦争に介入することはあったし、当然それに付随し暗殺や内乱など破壊工作が水面下で行われてはいたが、公的に宣戦布告をされたことはない。
そして、神聖ティーリアン帝国の初代皇帝も女神に愛された王として建国した経緯があり、二国は隣合っていたから、目立って反発するようなことはないように努めてきた。それが、己の野心の為に少年皇帝を唆した貴族により、『女神の寵愛は皇帝のみにある』としてグレーイルを女神の敵に認定したのだ。その理由は亜人の扱いだった。亜人への差別が激しいこの時代において、グレーイルは非常に亜人に寛容な国である。貴族階級とは結婚できないし、就ける地位も限られてはいるが、平民としては人間と同じ権利が認められているのである。しかしそれはヴィータ教によるものではなく、数代前の聖王の考えにより徐々に進められてきた人権改革であった。帝国や多くの国々は亜人を人と認めておらず、それを理由にグレーイルのヴィータ教総本山を異端認定したのだ。
実のところ、ヴィータ教における、つまり女神ヴィータにとっての『人』というのは亜人を含む全てである。具体的には『言語における意志疎通が可能な全ての種族』を指すのだが、この時代にはそのことが知られていなかった。
普通に戦えば、ティーリアン帝国が勝利し、ヴィータ教も大陸全土において大打撃を受けることになる。戦乱の時代において宗教がなければ、人々の道徳は失われてしまう。それは民度の低下に繋がり、争いを激化させる。ヴィータ教と聖王国グレーイルの存続は、平和の為に必要だ。
レイアは教会に赴き、聖女の名乗りを上げた。名前はアレーナとした。この名前が歴史に残ることはない。また、遥か古い時代の聖女の肖像画を見たことのある者もわずかにいたが、かつての聖女シャーラクレイアと同一人物と思うわけはない。
そしてステイオンはレイアの推薦を受け、神殿騎士として洗礼を受けた。神殿騎士は、これから始まる戦争での最高戦力である。
グレーイルの者で、自国が戦争を仕掛けられると考えている者はいなかった。女神に戦争を仕掛ける者などいない、とそう考えていたのだ。その為、防衛戦力は心許なく、信心により過酷な修行を己に課す神殿騎士以外、戦える者は多くない。
それでも、戦争は始まった。グレーイルは神殿騎士がおおそ二百人、国中の、町の治安維持に当たっていた保安部隊から集めた兵が約七百人。民衆から志願した志願兵が千人。対するティーリアンは約七千人の軍隊。勝敗は火を見るより明らかだった。
神殿騎士は死も厭わずに戦うつもりだが、保安兵士達や志願兵は敵の人数を聞いて震えあがった。しかし実際に逃亡などを実行する前に、レイアが大聖堂に立った。
一際強い光が降り注ぎ、叫んでもいないのに、国民に声が響く。聖都だけでなく、国中の人々に響いた。
『聖女のアレーナです。皆様、女神ヴィータ様より託宣を賜りました』
大聖堂でレイアの後ろに控えていたステイオンは、都中で怒号のような歓声が起き、建物が震えたのを感じた。恐らく、国中のあらゆる町で同じことが起きているだろう。
『女神様は、永く真摯に仕えた教会や民の心を無下にはいたしません。この度、神敵を撃ち滅ぼす力を我々にお与えになりました』
もちろん、そんな事実はない。
『聖女の祈りにより、神殿騎士は加護を得ます。斃れても立ち上がる、神の騎士となりました。愚かな帝国に神罰を』
そして、この時聖女に任命されていた四人の少女が大聖堂に跪き、祈りを捧げた。
いざ戦いが始まれば、聖女の祈りを隠れ蓑に、レイアの魔術で神殿騎士の負傷は即座に治癒され、手が千切れても足が吹き飛んでも、首を斬り落とされてさえ復活する二百人の騎士達が、恐ろしい戦果を挙げた。
元々の信心の高さに、女神の加護を授かったと信じている神殿騎士達は恐れを知らず敵に襲い掛かり、そして反撃されて死にかけても、即座に治癒され戦いを再開する。すぐに恐怖を麻痺させ、狂戦士となった。先陣を切るステイオンはその中でも突出した戦果を挙げた。
保安部隊や志願兵には数百人の死者が出たが、流石にそこまではレイアにも手が回せなかった。大して帝国は、およそ二千人を失い、三千人が負傷する大敗北を喫して、わずか二週間で講和条約の使者を送ってきた。
そして、帝国の貴族の多くが独立を宣言した。自分達は中央とは関係がなく、今回の戦争にも関与していない。女神に敵対はしていないと宣言した。貴族の多くは、元は独立した国の王族やその子孫である。もはや神聖ティーリアン帝国は終わりだと、元の国を復活させる好機としたのだ。