Episode13 天竜暦208年 歌姫の結末
「なんて魔力…あの金色の目、前とは桁違いの力だわ!」
「くふふふふ。国一つを生贄にしたんだ。聖騎士が一緒だろうと、もう小娘なんかに負けやしないよ!」
国を生贄にしたというその言葉に、周囲でざわめきが起きる。実はここ最近、隣国に人がいなくなったという噂が流れていたのだ。戦争状態とはいえ、多少は行き来していた商人などがいたが、長いこと帰ってきていない者などもいた。
それでもレイアとステイオンは粘った。周囲の騎士達が倒れていく中、マリエーラとエストリッドを守り、戦い続けた。マリエーラも必死に歌い続けているが、やがて喉が枯れ、歌は途切れ途切れになってしまった。そして一昼夜を越える戦いの後、遂にステイオンが空の彼方へ吹き飛ばされ、レイアが魔術で転移させられないよう、探知を妨害された。
(死にはしないとはいえ、戻ってくるのにどれだけかかるか…!)
当然、その隙を逃す魔女ではない。荒れ狂う魔女の攻撃に対して、レイアはさらに押され始めた。腕がちぎれ飛び、体のあちこちが焼け、凍る。瞬時に魔術で治療しつつも、いつしか周囲に立っている騎士は見当たらなくなってしまい、とうとうレイアも膝をついた。
「前に戦った時より、小娘も随分魔力が増えてたね。秘術で底上げしていなかったらやばかったよ」
魔女は金色の目を細め、にたりと笑った。レイアの後ろではエストリッドが剣を構えている。マリエーラはとっくの昔に声が出なくなっており、ただ気丈に魔女を睨みつけるだけだった。
「この国は貰うよ。あたしの国は無くなっちまったからね」
自分で滅ぼしておいて、なんという言い草だろうか。しかし、既にそれを防ぐ力を持つ者はいない。
「憎たらしい小娘も、流石に力尽きたようだね。そっちの二人は呪いをかけて殺してやる。輪廻転生もできない。あんたらの魂は地獄の業火に永遠に焼かれ続けるんだ」
レイアはぞっとした。確かにこの世界では通常、死んだ者の魂は転生する。新たに生まれる魂や滅びる魂もあるが、永い永い時を転生していくのだ。そして地獄とは、この世界と別な世界の狭間の無の空間のことであり、本来そこには何もない。この魔女はただ虚無の広がるそこに、炎と共に魂を閉じ込めるつもりなのだ。そうなれば時間の概念もない虚無の中で、永遠に地獄を味わうことになる。
(そんなことは…!)
しかし力が入らない。おのれの中にある魔力はもう欠片ほどしか残っていなかった。魔女が近づいてくる。エストリッドが前に出た。彼はここまで狙われなかった為、多少自分から攻撃などもしたが、体力はある。とはいえ、魔女に対抗するような力はないが。マリエーラがレイアを抱きしめる。
「ごめんなさい、レイアさん…わたくし達の為に」
二人が悪いわけではない。だが、それでも責任を感じてしまうのだろう。例え一瞬でもレイアを守り、一秒でも生きながらえさせる。自分達が先に死ぬ。そんな覚悟が伝わってきた。
それは、見る者によっては無意味ととる行為だろう。ほんの僅か時を稼いだとして、全員死ぬのであれば意味などないに等しい。しかし、レイアにとって、これこそが人の美しさと言えるものだった。絶えさせてはならない、愛おしき人の生き様。
(力が、力が足りない!魔女になって三百年以上を生きても、何てちっぽけな力なの!)
世界にはこんなに勇敢な人々がいて、広大な海があり、巨大な樹があり、遥かな山があるのに!この青い空、暗い宇宙、数多の星々に比べて、何とおのれの小さなことか!
そう感じた瞬間、天啓のように閃くものがあった。
この世界には魔力が満ちている。空気、水、土、あらゆる物は魔力を帯びている。それは人の周囲にある範囲の中で言えば非常に微力なものである。人や動物の内から溢れる力に比べれば。しかし、星全体で考えれば違う。空の全て、海の奥底まで、山の頂まで、広大な星の魔力は桁違いのものだ。
レイアは近づいてくる魔女に手を向けた。
魔女は呪いの言葉を紡いでいる。呪文を唱え終わった時、二人の魂は地獄に閉じ込められる。
(星全体とは言わない。でもあたくしなら、広大な範囲の魔素を凝縮できるかもしれない…!)
ぶっつけ本番の試みだった。成功するかも分からない。それでもレイアは必死で魔素を凝縮する。やがて魔女の見ていない空に、大きな魔力の集まりができる。
そして魔女が呪いを発動しようとした瞬間、それを魔術とし、呪いを無散させようとした。
「な、なに!?どこからこんな魔力を…」
魔女も全力で呪いを操作する。マリエーラとエストリッドは吹き飛ばされ、レイアと魔女の力比べが始まった。魔術は拮抗し、周囲には風が吹き乱れ、あらゆる物が浮き上がった。そして徐々にレイアが押し始める。空の、海の、大地の、広大な範囲の魔素を少しずつ集め続け、いつしか魔女の魔力を越えていく。
「ぐぅぅぅぅぅぅ!!そんな、そんな馬鹿なぁ!」
魔女も粘る。生贄の秘術で集めた魔力を体の奥底から絞り出す。永遠にも思える時間、二人は鬼の形相で魔力を押し合った。
そしてそこに、騎士が一人現れた。鎧らしき物もなく、ぼろぼろの布をまとっただけの男は、それでも聖騎士だった。そこらに落ちていた剣を拾い、ステイオンは魔力渦巻く嵐の中に一歩一歩進んでいく。
「待たせた」
ステイオンがレイアの横まで進んだ時、レイアは目線すらよこさなかった。ステイオンは歩みを進めていく。嵐に体が切り裂かれようと、止まることはない。
「おのれ!おのれ!!こんな小娘に!聖騎士なんぞにぃぃぃ!!」
狂い叫ぶ魔女の前まで進み、ステイオンは剣を突き立てた。振りかぶる力もなく、勢いもなく、ただ真っすぐに前に、突き出したまま進んだだけだ。しかし、その剣はステイオンの歩みの通りに、抵抗もないかのように魔女の胸を貫いた。
「ぎぃぁああああああぁぁあっぁああああああ!!!」
魔女の断末魔が響き渡る。レイアもステイオンも一切の気は抜かない。力の限り魔術を操り、剣を固定した。
「くそっくそっくそっ!!せめて、せめて一太刀ぃぃぃ!!!!」
レイアもステイオンも油断はなかった。しかし魔女の執念も凄まじいものだった。
呪いを込めた魔力が嵐に混じる。
「まずいっ!!!逃げて!!!」
レイアが叫んだ時には、呪いはマリエーラを貫いていた。
「ひひ!ひはははははははは!!!」
魔女の死に際の笑い。呪いの術者が死んだ場合、呪いが強力になる場合が多い。レイアは咄嗟に無散しかけた魔女の魂を集めた。
「くっ!!」
魔女の魂をステイオンの中に叩き込む。ステイオンはたたらを踏んだが、その場に立ち続けた。
「マリエーラ!」
エストリッドに抱きかかえられたマリエーラに、レイアが駆け寄る。集めた魔素も使ってしまい、今レイアのいる場所を起点に、かなり広範囲に渡って魔素が薄くなっていた。レイア自身の魔力も既にない。
(マリエーラの魔力でなんとか!!!)
レイアは必死にマリエーラの体内で魔力を操り、呪いを組み替えた。そう大きくは弄れない。地獄への転移を消去し、転生できるように。しかし呪いを完全には打ち消せない。このままでは転生時に魂が清浄化されない。呪いの解除条件をなんとか捻じ込む。簡単ではない。魔女の怨念や呪いが薄まるまで、少なくとも千年以上…。
全ての処置を終えても、マリエーラは目覚めなかった。彼女は呪いをその身に受けた瞬間に即死していた。
「ああ、嘘だ!嘘だ!マリエーラ!ああ、目を…!起きてくれ!どうして君なんだ!どうして私じゃないんだ!あああ!ああああああああ!!!」
エストリッドの慟哭がいつまでも響き渡った。
「マリエーラの魂は転生するわ。本来は消去されるはずの記憶と人格を持ったまま。魂が転生時に清浄化されなければ、やがて人の心が壊れてしまうの。そうなれば、魂はいつか呪いに追いつかれ、虚無に囚われる。そうならない為に鍵を仕込んだわ。エストリッド、あなたの魂よ。愛し合う二人の魂は、何度転生されても惹かれ合うはず。だから、あなたがマリエーラの魂を見つけ出して、名前を呼んであげるの。ちゃんと、マリエーラのことを思い出した上でね。そうしたら、その生を二人で添い遂げて、幸せに死んだ後、転生できるわ」
これで良かったのかは分からない。結局『マリエーラ』は死んでしまった。そして、彼女には永い永い苦しみが待っているだろう。地獄の業火に焼かれることは回避できたが、もっと他に方法はなかったのか。
思い悩んでいる内に、レイアは未来視を獲得した。二千年以上にも渡る、永い永い魂の流浪の先に、マリエーラが幸せになる未来が見えた。エストリッドは王になり、妃を迎え、人生を全うした。そして『必ず彼女を見つけ出す』と言い残して死ぬ。そして数多の転生の先、マリエーラを見つけるのだ。
そんな未来が見えて、やっとレイアは微笑んだ。ステイオンに話すと、「見事だ。吾輩の心はたかだか三百年と少しで壊れそうだというのに」と、無表情で言った。
聖騎士たるステイオンよりも何倍も強いとは、マリエーラの精神力がそれだけ強いと言うことだろうか。レイアは何か原因があるように思えて、考え込んだ。
隣国は神聖ティーリアン帝国に飲み込まれた。しかし、人のいない国まで飲み込んだ帝国は、大きくなりすぎて崩壊の兆しを見せていた。まだまだ戦乱は続くだろう。
魔女の魂はステイオンの高潔な魂の中で浄化される。これもすぐには終わらないだろう。ステイオンが死んでからも清浄な魂の中で旅をさせ、いつか浄化させるしかない。これも監視者、調停者を選んだレイアの役割だ。
そこでふと思った。ステイオンは役割の為に生かされている。ステイオンは高潔な騎士の心をもって、その使命を全うせんとしている。しかし、それは本来の彼の意思ではない。
マリエーラはどうか。次の転生先でレイアは呪いのことを伝える。彼女はエストリッドにもう一度会いたい一心で永い時を耐え抜く。それでも心が崩壊する寸前にまでなってしまうが、エストリッドへの愛ゆえに耐えきるのだ。
レイアは宿屋にて、隣の部屋のステイオンに声を掛けた。感情のない返事を聞いて、扉を開く。
「何か用であるか」
レイアは何も言わず、ステイオンに口づけをした。戸惑う気配。しかし振り払ったり、拒否する素振りはない。
レイアはずっと言って欲しかった言葉を自分から言うことにした。
ステイオンの感情が擦り切れているから聞けないのだと、そう言い訳して聞かないまま、言わないままでいた言葉。
確かめなかった感情。
確かめてはいないけれど、確かに感じる愛情。
「あなたを愛してる」
三百年以上の時を越えて、その日、初めて二人は結ばれた。
マリエーラとエストリッドの物語については拙作「呪われた歌姫」にて描かれております。